丹波亀山城

丹波亀山城

明智光秀は丸岡城(余部城)を拠点にしていましたが新たに荒塚山と呼ばれる小高い丘に丹波亀山城を築城します。JR亀岡駅のすぐ近くです。丹波攻略の拠点にするため城下町を整備し総構えになっていました。本能寺の変で光秀が出立したのがこの丹波亀山城です。

その後、城主がいろいろと変わり、小早川秀秋によって修築され、家康の時代になると天下普請により藤堂高虎の縄張りによって近世城郭となりました。現在の城はこの当時のものですが、石垣の下の方は野面積みになっていて光秀か小早川の時代の石垣でしょう。途中から打込み接ぎになっていて変遷を楽しめます。

大正時代に荒れ放題になっていて売りに出された丹波亀山城を買ったのが亀岡生まれで大本の教祖となる出口王仁三郎です。太平洋戦争中は軍部から迫害を受けてせっかく整備した丹波亀山城も破壊されましたが、戦後に石垣などを積みなおし再整備しました。今、中心部は宗教施設になっていますが、総合受付で入館券を購入すれば天守台近くまで行けます。

丸岡城(余部城)

丸岡城(余部城)

京都から続く山陰道が亀岡の曽我谷川を超えると余部という場所になります。ここで山陰道と別れ、篠山街道が始まります。いきなり高台を登ることになり、この高台にあったのが丸岡城で、付近には古城、政所などの地名が残っています。昔は曽我谷川などが城の近くにあり天然の堀になっていました。応仁・文明の乱の時には城はあり、丸岡城は東軍の拠点になっていました。

明智光秀の丹波攻めで丸岡城は落城し、光秀は丸岡城を拠点にしていましたが新たに亀山城(今の亀岡城)を築いて移りました。丸岡城の遺構は残っておらず主郭のあったところが西岸寺になっていて高台なので亀岡を一望できます。

入鹿の首塚

入鹿の首塚

乙巳の変-645年に起きたクーデター。昔は大化の改新と習いましたが、今は乙巳の変の後に行われる政治制度改革を大化の改新と呼んでいます。

中大兄皇子と中臣鎌足が談山で密談し、三韓(新羅、百済、高句麗)からの使者が来日した式典にあわせて蘇我入鹿を暗殺します。今なら皇居で外国の特命全権大使が信任状を捧呈している最中に総理大臣を暗殺するようなものです。蘇我蝦夷は甘樫丘にあった蘇我邸を燃やし自殺します。昔からいろいろ説がありますが、結果的に一番得をしたのが孝徳天皇(軽皇子)なので首謀者ではないかと言われています。

飛鳥寺の横に入鹿の首塚があり、邸宅があった甘樫丘が見えますが、暗殺されたのはここではなく飛鳥板蓋宮になります。切られた首が飛んできて埋めたという伝説があります。

日本史には全然、出てきませんが蝦夷には蘇我善徳(蘇我馬子の息子)という兄がいて飛鳥寺の初代寺司を務めていました。業績を書くとまずいのか日本書紀には一文しか出てこない謎の人物です。

豊浦宮

豊浦宮(とゆらのみや)

豊浦宮

甘樫丘からちょっと行ったところに豊浦宮跡がありますが、飛鳥寺などの華やかさがないためか観光客は誰もいません。592年に推古天皇が即位した宮殿で推古天皇の祖父である蘇我稲目の向原の家がありました。

■仏教伝来の地
百済から仏像が送られ蘇我稲目がこれを受け入れて、向原の家を寺として安置しました。反対したのが物部守屋です。昔、日本史で習いましたね。その後、疫病が流行ったため物部氏、中臣氏が国神のたたりだと騒ぎたて仏像を難波の堀江に流し、寺は焼きはらわれます。この仏像が拾われて長野に運ばれて善光寺におさめられました。ほんまかいな。

仏像を捨てた難波の堀江ですが大阪の大川もしくは阿弥陀池(和光寺)、向原寺の横にある池などの諸説があります。

推古天皇の一代前の崇峻天皇は桜井から談山神社へ行く途中にある倉橋に宮殿をおいていました。ところが崇峻天皇は蘇我氏と対立し、馬子に暗殺されてしまいます。蘇我氏は本拠地である飛鳥に天皇を囲いこもうとしたようで、豊浦宮-小墾田宮-飛鳥岡本宮と宮が作られます。ここから飛鳥時代がスタートします。乙巳の変の後、孝徳天皇は大和の地を離れて難波宮へ移りました。

亀形石造物

亀形石造物

丘の上にある酒船石遺跡から降りると2000年に見つかった亀形石造物があります。昔は整備されていなかったのですが、今はきれいになって整備のために一人300円を徴収していました。斉明天皇が道教を信仰していたので、祭祀が行われた遺構とみられています。

■四天王寺の方が古い?
四天王寺からよく似た亀形石造物があります。境内にある亀井堂で「経木(きょうぎ)流し」が行われていて、古本市などが行わるとよく見に行きます。亀をかたどった石の水槽と、そこから出た水を受ける同じく亀の形をした石の水槽からなっています。

2019年に調査が行われ古墳時代の石棺などに用いられた「竜山石」でした。飛鳥時代には使われていたようで、亀形石造物より古いのではという説もあります。そんなものが今も現役で使われているんですね。

乙巳の変後に孝徳天皇は難波京へ遷都し、四天王寺は都の南限でしたので祭祀に使われていたのでしょう。

花見

花見

ファイティング・コンサルタンツ研究会の花見

毎年、満開の時期にあわせるのが大変ですが、昨日の土曜日は見事にピンポンでした。天満橋に集合してスーパーで買い出しをして大川沿いに。ちょうど満開ということで、かなりの人出で地下鉄も混んでました。

今回はハンターも参加しているので自身で処理した鹿肉の燻製が登場し、なかなか美味です。ただ手間がめちゃくちゃかかるそうです。買い込んだお酒が全部無くなるまで飲んで花見は終了です。

    狂心渠(たぶれごころのみぞ)

    狂心渠(たぶれごころのみぞ)

    斉明天皇がつくった大運河です。あまりに大規模で民衆の負担が大きかったことから狂った心の運河(狂心渠)と呼ばれました。日本書紀に石上(いそのかみ)山まで運河をつくり、石上山の石を舟200隻で運び宮殿の東の山に石垣を造ったとあります。この東の山が石垣が見つかった酒船石がある丘だと考えられています。

    石上山は天理にある豊田山のことで頂上には豊田城があります。発掘調査で狂心渠の流路が判明しつあり、飛鳥では飛鳥坐神社の西側にある小川が運河跡になります。当時の運河の幅は10mで深さは1.3mありました。京都の運河・高瀬川の幅が8mなので、それよりも大きいですね。先日の歴史探偵では斉明天皇はインフラ整備を行ったと評価が高かったのですが実際はどうですかねえ。

    ■有間皇子
    狂心渠といえば有間皇子です。有間皇子は孝徳天皇の皇子で「天上の虹」では主人公の讃良(持統天皇)が最初に恋心を抱く相手でした。この有間皇子が蘇我赤兄にはめられます。

    「天皇の政治には三失がある。大きな倉庫を建て民の財を集めたのが一つ目、長い運河を掘って公の糧を費やしたのが二つ目、舟に石を載せて運び丘を作ったのが三つ目である」ピンポン!狂心渠の話です。謀反計画がすすみますが蘇我赤兄が中大兄皇子に密告しアウト。19歳で殺されてしまいます。

    万葉集には殺される前の「家にあれば笥(け)に盛る飯(いひ)を草枕 旅にしあれば椎(しひ)の葉に盛る」が残されています。

    金曜ロードショーとジブリ展

    金曜ロードショーとジブリ展

    津市にある三重県総合博物館で「金曜ロードショーとジブリ展」をやっているので覗いてきました。津では4月11日(金)までやっています。いつもは閑散としている博物館なんですが、会場に着いたら親子連れなどですごい人。なんで平日の昼間にこんなに人がいるんだ!!

    ジブリ映画の絵コンテなどが紹介されています。以前「高畑勲展―日本のアニメーションに遺したもの」を三重県総合博物館でやっていましたが展示が充実していて、おまけに人は少なかったですね。そうそう高畑監督は伊勢市出身です。

    会場を進んでいくと真っ暗な中に王蟲(オーム)がいて腐海が再現されたコーナーがありました。別会場には「もののけ姫」に出てくるモロのでっかいオブジェなど、いわゆる映え写真が撮影できるコーナーがたくさんあって列ができていました。なるほど、これが目的なんですね。映え写真には縁なき衆生でございますので早々に退散しました。

    酒船石

    酒船石

    飛鳥の主目的は酒船石遺跡です。

    NHKの「歴史探偵」では酒船石を3Dスキャンで作った復元モデルで実験を行っていました。水を流すと笹舟をがくぼみに沿って流れていき、ランダムな穴に入ることから斉明天皇が占いに使ったという説でした。笹舟石が酒船石になったという説があり、これにのっとった実験でした。

    酒船石、昔は「三つ目がとおる」でも描かれていましたね。酒船石は小高い岡の上にありますが、新たに岡の中腹から石垣が見つかり展示されていました。日本書紀に「宮の東の山に石を累ねて垣とす」に該当すると考えられています。というと斉明天皇の両槻宮(ふたつきのみや)はここだったんですね。ということで酒船石よりもこの石垣を見るのが目的です。

    ■両槻宮
    日本書紀には「田身嶺(多武峰)の上の両つの槻の樹の辺り」と記述があり、談山神社から少し歩いた念誦崛(ねずき)にある石垣が両槻宮かなと、見に行きましたが、山の上の不便なところに宮を作る理由がさっぱりでした。酒船石の丘なら話が分かります。となると日本書紀の記述はどう考えるんですかねえ。

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    エイプリールフール2025

    各位                         2025年4月1日
                      水谷IT支援事務所・代表 水谷哲也

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