久留倍官衙

久留倍官衙

久留倍官衙は「くるべかんが」とよみます。四日市市大矢知町の高台にあり、桑名での会議まで時間があったので、ついでに寄ってきました。近江と伊勢を結ぶ八風街道が近くを通っています。

官衙とは役所のことです。北勢バイパスの建設工事で遺跡が見つかり、バイパスはコースを変えて遺跡をまたぐ形に変更されて保存されました。久留倍官衙の最初は奈良時代で正殿や東門(八脚門)などの政庁が、東向きに建てられていました。一部が復元されていますが高台ですので四日市の街が展望できます。ただ政庁ではなく朝明駅ではないかとする説もあります。

久留倍官衙は長期にわたり使われたようで、壬申の乱では桑名へ向かう大海人皇子がこのあたりから伊勢神宮を遥拝して戦勝を祈ったともいわれています。また壬申の乱の道筋をなぞった聖武天皇の謎の行幸では頓宮が新しく造られたようです。遺跡は公園になっています。

支払調書

支払調書

各所から支払調書が届きます。そろそろ確定申告の準備をしないといけないなあ。

支払調書とは個人別に報酬、原稿料、講演料などの支払い状況をまとめ、税務署への提出が義務付けられている法定調書の一種です。税務署への提出は義務になっていますが支払った相手には別に送らなくても大丈夫です、まあ大概のところは送ってきます。

そういえば去年、合同会社を清算したけど4月まで役員報酬を出していたので税務署に支払調書を出す必要あるんだっけ?

さっそくググってみたら、清算結了後でも支払調書を出さないといけないそうで、提出しないと所得税法違反で1年以下の懲役または50万円以下の罰金と恐ろしいことが書いてあります。気づいてよかった。ちゃっちゃとE-Taxで提出しました。合同会社の清算っていろいろあるんですねえ。

天野酒

天野酒

高野山へ向かうには4つの街道がありました。一番長いのは京都の八幡が起点で生駒山の西を下る東高野街道です。また堺の大小路橋が起点の西高野街道、平野が起点の中高野街道、天王寺が起点の下高野街道があります。下高野街道と中高野街道は大阪狭山市で一本になり、河内長野で西高野街道と合流します。また河内長野駅近くで西高野街道と東高野街道が合流して高野街道の一本になります。

一本になった高野街道沿いに西條合資会社がありました。ここのお酒が天野酒で天野山金剛寺でつくられた中世のお酒です。途中で途切れたのですが復活されたお酒です。純米吟醸とにごり酒を買ってきましたが、すっきりした味でいけますねえ。

烏帽子形城

烏帽子形城

三日市町駅から汐の山城・仁王山城を目指すのに、結局は2つの山を登る羽目になったので帰りは河内長野駅を目指します。となると途中にあるのが烏帽子形城です。

結局は烏帽子形山に登って、久しぶりに城跡を見てきました。昔は小さな案内板しかなかったのですが、きれいに整備されていました。発掘調査も行われ主郭には瓦が使われた建物が2つあり、礎石が復元されていました。天守というものではありませんが、山城には珍しい建物ですね。

烏帽子形城は、それほど大きな山城ではないのですが、土塁と横堀の多くが効果的に配置された構造になっています。楠木正成が上赤坂城の支城として造ったという説があります。高野街道を見下ろす要所にあり、応仁・文明の乱では畠山義就と畠山政長の争奪戦の舞台ともなりました。秀吉の時代となり、紀州攻めの拠点として改築されましたので瓦付き建物はこの頃のもののようです。

高向

高向玄理

仁王山城がある旭ヶ丘団地を下ると高向という高台の街があります。高向ってどっかで聞いたな。と高向からさらに降りて道の駅・奥河内くろまろの郷まで下ると高向玄理の碑がありました。

そうか高向玄理って、河内長野出身だったんだあ。それで道の駅の名前にまでなっているんだあ。高向玄理って昔、日本史で習いましたねえ。遣隋使・小野妹子に同行する留学生として推古天皇16年(608年)に南淵請安、旻らと共に海をわたり隋に留学しました。留学中に隋から唐に変わり、30年以上にわたる留学を終えて帰国します。国博士となり政府の最高顧問で律令国家としての体制を整えていきます。

外交でも活躍し大化2年(646年)には遣新羅使として新羅に赴き、任那問題に活躍します。白雉5年(654年)には遣唐使として唐に赴きましたが長安で病死しました。

桑栄メイト

桑栄メイト

桑名商工会議所で経営発達支援計画推進会議があったので出席するために桑名駅へ。

桑名駅前東口に桑栄メイトがあったのですが、まだ残っていました。昔は駅から桑栄メイトを通って、桑名商工会議所が入っているサンファーレ2階にそのまま行けましたので便利でしたが老朽化もあり駅前再開発の一環で2020年7月末に閉館となりました。今は桑名駅を出て地上に降り、道路を渡り、また2階まで登らないと商工会議所までたどりつけません。

桑栄メイトを取り壊してナガシマスパーランドなどを運営する長島観光開発がホテルを建てる予定になっています。西口にもロータリーができて再開発しています。

三重県中小企業診断協会60周年

傘

三重県よろず支援拠点へ2週間ぶりに出たら三重県中小企業診断協会・設立60周年記念の折り畳み傘をもらいました。診断協会は三重県よろず支援拠点と同じ三重県合同ビルの中にあり、遠方は記念品を郵送しますが、近くは郵送代がもったいないので手渡しということです。

折り畳み傘は晴雨兼用で日傘にもなるので、これはありがたいですね。津にある百貨店・松菱で買ってきたようです。1964年に社団法人 中小企業診断協会・三重県支部としてスタートし、公益法人制度改革が行われた2012年から一般社団法人・三重県中小企業診断協会になっています。

三重県中小企業診断協会には、たぶん独立したての2002年ぐらいに入会したので、もう20年以上の加盟ですね。年会費が46,000円なんで100万円ほど支払っている計算になりますなあ(笑)。

仁王山城

仁王山城

汐の山城のある旭ヶ丘団地の西側に山があります。山には廣野神社という小さな神社があり、この神社横の山道を入っていくと仁王山城にたどりつけます。

Googleマップには日の谷城と仁王山城の二つが出てきますが、どうやら一つの城のようです。大きな削平地があり、削平地の周りは切岸になっています。城跡のようですが、それにしては堀切などがなく防衛力もそれほどでもなく、よく分かりません。

仁王山城は比定地が3つあって旭ヶ丘団地はその一つです。仁王山城は南北朝時代の古文書に名前が登場し、室町時代になって畠山義英と畠山尚順の戦いでは義英が仁王山城に陣取ったようです。今は草木に覆われていますが当時は金胎寺城、嶽山城、旗蔵城、石仏城が一望できたでしょう。

汐の山城

汐の山城

仁王山城へ行こうとGoogleマップを見ると手前に汐の山城跡がありました。住宅街開発で城は残ってなさそうです。まずは最寄駅である南海高野線・三日市町駅を目指します。三日市町駅を降りて汐の山城方面へ向かうと、どんどん高台に登っていきます。坂をひたすら登って着いたのが南花台というニュータウン。山を開発した町で眺めがいいですね。

スーパーコノミヤがあって、ここから汐の山城へ行けそうです。と細い道に入ったら道がどんどん下って行きます。せっかく、ひと山登ったのに!案の定、谷筋まで出てしまいました。

ここから再度、登り直しです。旭ヶ丘というニュータウンに着きました。汐の山城跡の主郭は送電線の鉄塔になっていました。河内長野が一望でき、金胎寺城や嶽山城がよく見えます。

    またやってしまった

    本と猫

    積読を少しでも解消しようと1冊、取り出して読み進めると案山子の語源が載っていまし案山子の語源といえば、確か煙などを炊いて鳥や獣を近づけないようにする「嗅がし」が語源じゃなかったっけと本を読むとピンポン。

    他にも知っている内容がでてきて、ちょっと前に読んだ本でした。本屋で買って積読に積み上げていたのを忘れて、また本屋で買っておりました。

    まあ、本屋さんの売上に貢献したということで(笑)最近は本を買う時に奥付などをチェックして買っていないはずだと確認していたんですが、またやっていましました。3冊同じ本を買うことはさすがになくなりました。