向きがずれている郵便ポスト

向きがずれている郵便ポスト
向きがずれている郵便ポスト

津市・北丸ノ内の国道23号線沿いに郵便ポストがあります。近くには第三銀行・津支店があります。

通るたびに不思議だったのが郵便ポストの向き。微妙に30度ほどずれています。歩道も広いので、まっすぐに郵便ポストを置いても問題はなさそうですが、なぜかずれています。台風などの風を考慮して、この向きにしたのか、工事をした時に何かの手違いでこうなったのか謎は深まるばかり。

何年もずれたままでしたが、最近、郵便ポストが新しくなり向きも普通になってしまいましたあ。微妙にずれていた方が味わいがあったのに(笑)。

物部の神様 八尾神社

八尾神社
八尾神社

近鉄八尾駅の近くにあるのが八尾神社。

祭神は宇麻志麻治命(ウマシマジ)で饒速日命(ニギハヤヒ)の子供になります。ニギハヤヒは神武東征より前に天磐船に乗って河内国(大阪府交野市)に降り立ち、大和に移った天津神で、最後は神武天皇を助け大和に迎え入れます。この神さまが、物部氏の祖となります。

八尾市、東大阪市から交野市にかけてが物部氏の本拠地で、蘇我馬子・聖徳太子連合軍が攻めた物部守屋の館は東大阪市と八尾市のほぼ間にある衣摺といわれています。戦勝したお礼に聖徳太子が建立したのが四天王寺になります。

東大阪や八尾の神社をまわると本当に物部の神様ばかりで楽しめますよ。

枚岡神社 秋郷祭り

枚岡神社 秋郷祭り
枚岡神社 秋郷祭り

枚岡神社・秋郷祭りは毎年10月14日、15日と固定になっています。今年は1日がちょうど祝日にあたりました。まあ地域の中小企業は祭りの時は休みになるし、小学校などは「先生、太鼓たたくんで休みます」と黙認です。(笑)

東高野街道にある鳥居から山の中腹にある枚岡神社へ23基の太鼓台が担ぎ上げられます。難関は近鉄枚岡駅の踏切超え。宮入や中担(なかがき)もいいいんですけども、この踏切超えが一番おもしろいですね。線路を超えた後に急坂がまっていて、ここを一気に担ぎ上げます。

今年も線路脇から出雲井の太鼓台から最後の四条の太鼓台まで通り過ぎるのを見ていました。宮入の時間と電車の間隔をぬって、各町の太鼓台を通していきます。近鉄の各列車も徐行運転になるんで、乗客はなんだこの人だかりはと驚いています。

リノアス

リノアス
リノアス

昔、高安駅近くに住んでいた頃、西部八尾に時たま行っておりました。2017年2月に閉店となりましたが、その後にできたのが「リノアス」という商業施設。
昨日、八尾へ行く機会があったので中に入ってみましたが、けっこう賑わっていました。隣にあるアリオ八尾への渡り廊下も西部八尾時代と応用に健在でした。
リノアスは八尾しかなく、はハワイ語のリノ(輝く)と日本語の明日を組み合わせた造語なんだそうです。

メーリングリストの引越

freeML
freeML

メーリングリストでよく使っていたFreeMLですが、12月でサービス終了するので管理しているメーリングリストをせっせとGoogleグループへ引越しています。まあまあの数のグループを管理しているので、引越作業が大変です。おまけにGoogleグループは1日あたり100名を超える追加ができないなんて制約もありました。

無料サービスなんで告知しての終了は問題ないですが、FreeMLの収益モデル(広告)が大変だったんですかねえ。1998年頃、eGroupというメーリングリストがアメリカで生まれ、Yahoo!が買収して、Yahoo!グループとして2004年にスタートしましたが、10年経過した2014年にサービスが終了しました。当時、メーリングリストにYahoo!グループを使っていて、サービス終了に伴ってFreeMLに移行したので2回目の引越です。

阿保神社

阿保神社
阿保神社

河内松原にあるのが阿保神社。

阿保は「アホ」ではなく「アオ」と読みます。平城天皇(桓武天皇の息子)の皇子が阿保親王で、プレイボーイで有名な在原業平のお父さんです。この周辺に別荘があったため阿保という地名となりました。

阿保親王ですが日本史で習った”薬子の変”に連座して大宰権帥として左遷されましたが、後に許されてこのあたりに別荘を作りました。別荘の場所は阿保から田井城のあたりにあったようです。菅原道真が阿保親王と同じように大宰府に左遷される時、ここで休憩したことから阿保神社が作られたそうです。祭神は菅原道真で神社の紋は梅鉢でした。

河内松原に阿保親王の別荘があるのは、お母さんが百済系渡来氏族の葛井氏出身で、このあたりが葛井氏の本拠地だったからです。葛井氏の氏寺が葛井寺(フジイデラ)で、今の藤井寺となります。

■伊賀の阿保
伊賀にも阿保という土地があります。大阪と三重の真ん中あたりに近鉄・青山町という駅がありますが、もともとの名前は阿保(あお)駅でした。こちらは垂仁天皇(実在した?)の後裔氏族である阿保氏という豪族が住んでいたあたりで伊賀国造の一族でもありました。阿保宿には阿保親王墓がありますが、垂仁天皇皇子(息速別命)の墓で河内松原の阿保親王とは別人です。

田井城

田井城
田井城

河内松原にある松原商工会議所でお仕事でしたが、近くにあったのが「田井城」という地名!

「城がある!」と行ってみると何も残っていませんが、水路が周りを囲み、しかも出入口が4ケ所しかなく虎口のような道になっていました。

どう見ても環濠集落跡だ~あ!

ところがネットで調べても条里制跡の話は出てきますが、城跡の話は出てこない。ウ~ン、どうなんだろうなあ。じっくり調べよう。

枚岡神社 太鼓台の練習

この時期、夜になると枚岡の街にドーン、ドーンという太鼓の音が響きます。枚岡神社の秋郷祭が14日、15日と開催されるために各町で太鼓台をたたく練習がはじまっています。たたくのは子供たちでウチの子供も小さい頃は毎年、太鼓台をたたいておりました。

枚岡地域、秋の風物詩ですねえ。今年は14日が祝日にあたるので宵宮はけっこうな人出になりそうです。

クジラ橋

クジラ橋
クジラ橋

阪急・上新庄駅から少し行ったところに瑞光寺があります。ここの池にかかる橋がクジラ橋。正式には雪鯨橋といいますが欄干が鯨の骨でできている橋は世界でここだけでしょう。

時代は第9代将軍・徳川家重の頃で、田沼意次が活躍するちょっと前になります。木曽三川では幕府に命じられた薩摩が多大な犠牲を払って輪中の治水工事をしていた頃です。

瑞光寺の住職が修行の旅をしており捕鯨で有名な太地町を訪れたところ、不漁で食べ物にも困っている状態でした。村の代表が和尚に豊漁祈願を頼まれましたが、殺生は仏の道にそむくと断りましたが、困窮する生活を見かねて豊漁祈願をしたところ、豊漁となり困窮生活を脱することができました。

後日、太地町の村人が瑞光寺のお礼として寄進したなかに鯨の骨がありました。そこで和尚が鯨の供養のために造ったのが雪鯨橋です。以来、風雨で劣化する橋の欄干は50年前後の間隔で付け替えられています。

真田丸へ

真田丸
真田丸

午後から鶴橋で仕事でしたので、ちょっと歩いて真田丸跡へ。

大坂冬の陣で真田信繁が活躍した出城です。一緒に戦った兵は大坂城に入った浪人でしたので、それほど時間もないなか、どうやって教育したんでしょね。赤備えで統一し、帰属意識を明確にするなどいろいろな手をうちました。武田以来の赤備えですので徳川軍に与える心理的影響は大きかったでしょう。

写真は大坂城と真田丸との間にあった堀跡で、以前は大坂城と真田丸はつながっていたと考えられていましたが、今は明確に切り離された出城だったことが判明しています。遺構は残っていませんが高低差が往時のまま残っています。

この後、スコールのような雨に遭遇してしましました(泣)