IoT・AI入門活用セミナー

大阪府よろず支援拠点

昨日は大阪府よろず塾ワークショップセミナー「社会が変わる中、企業は・・・IoT・AI入門活用セミナー」を開催しました。

内容は
・未来の年表ーITによる生産性向上
・IoTとは
・部門別に見たIoTの利用
・IoT、ビッグデータ、AIの関係
・ビッグデータの少し怖い話
・IoT、AIをはじめるには

で、世の中がこう変わっていきますよという動きと少し早い目に動くためにGacco(日本版Mooc)やラズパイ、ワトソンを勉強しましょうという内容です。セミナーではラズパイ(ラズベリーパイ)を動かし、実際に人工知能ワトソンを使うデモなどの実演も行いました。

中村一氏時代の駿府城が見つかる

駿府城

朝、ニュースを見ていると駿府城発掘調査で秀吉時代の金箔瓦と天守台が見つかったと報じていました。

秀吉が小田原征伐で後北条氏を滅ぼした後、徳川家康に後北条氏の遺領となった関東への国替えを命じます。この家康を封じるために各所に子飼いの大名を配置しますが。駿府に入ったのが中村一氏で、この時に築城されたようです。

この中村一氏ですが、まだ和泉や紀州が秀吉に敵対していた時代に大坂の南のおさえとして岸和田城主となります。ところが小牧・長久手の戦いで秀吉軍主力が尾張へ展開している間隙をぬって、根来・雑賀衆、粉河寺衆が攻めてきます。岸和田城の攻防戦を何とかもちこたえ、秀吉軍と共に貝塚の千石堀城、積善寺城など相手の拠点を次々に落して紀州征伐となります。

南海電車に蛸地蔵駅がありますが、駅名の由来はこの時の岸和田城の攻防戦で落城寸前となった時、大蛸に乗った一人の法師と数千の蛸がどこからともなく現われ落城を救ったという伝説からきています。

中村一氏は秀吉の信頼あつく駿河一国をまかされ、関ケ原の戦い合戦前に亡くなります。この中村一氏時代の城跡ですか~あ。見てみたいな~あ。静岡からセミナーの話でも来ないかなあ(笑)。

マイクロソフト創業者ポール・アレンが亡くなる

ビル・ゲイツと共にマイクロソフトを創業したポール・アレンが亡くなりました。最近は深海から戦艦「武蔵」を発見し、話題になっていました。

基板ではなく個人でも手に入る値段で完成キットとして発売された最初のコンピュータがアルテア8800。発売したのはニューメキシコ州アルバカーキのガレージからスタートしたMITS社です。そうです合同会社エムアイティエスとは世界最初のパソコンを出したMITS社にあやかっています。
アルテア8080が発売されると多くのマニアが飛びつき、売れに売れました。

■マイクロソフト誕生
雑誌「ポピュラー・エレクトロニクス」にアルテア8800の紹介記事が掲載されます。記事を読んだビル・ゲイツは、アルテア8800を作っているMITS社に電話し、アルテア8800でBASIC(ホビー用プログラム言語)が動くデモをしたいと提案しました。手元にBASICプログラムもアルテア8800もない状態での申し出で、つまりハッタリです。

当時、MITS社にはこの手の売り込みが多く、「動くものがあるのならもってこい」という返事がかえってきました。返事があったのはよいのですが、アルテア8800はビル・ゲイツが通うハーバード大学にもありませんでした。そこでハーバード大学にあったコンピュータをアルテア8800のように動くようにシュミレーション・プログラムを作り、知り合いのポール・アレンと共にBASICを作りあげます。

■BASICのデモに成功し飛躍の第一歩に
1975年、ポール・アレンはMITS社でデモンストレーションを行うためBASICを収めた紙テープを持ってアルバカーキに飛びます。BASICを実際のアルテア8800で動かすのは初めてでしたが、一発で動きました。ただ、すぐ止まってしまいます。ところがMITS社にいろんな売り込みはありましたが、動いたプログラムを持ってきたところは初めてでしたのでMITS社側もビックリ。

質の良さを見た社長から“仕上げてくれ”と言われ、ポール・アレンは半月かけてアルテア8800で完全に動くBASICを作り上げます。社長は高額で買い取ってくれ、この資金がマイクロソフト社の創業資金になります。マイクロソフト社はMITS社との取引のためMITS社の本社があったアルバカーキで創業します。

ここから皆さん、ご存知のパソコンの歴史がスタートします。といった逸話がたっぷりの本が「バグは本当に虫だった」です!

バグは本当に虫だった!
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枚岡秋郷祭り 踏切超え

枚岡秋郷祭り

河内一之宮 枚岡神社の秋郷祭り。

麓にある東高野街道沿いに枚岡神社の一の鳥居があり、朝から各町内を巡った23基の太鼓台が集合。順次、枚岡神社までの坂を登り始めます。坂を延々と登り枚岡神社までもう少しというところにたちはだかるのが近鉄奈良線の踏切。枚岡駅のすぐ横です。この踏切を渡ったところから一番急な坂が30メートルほど続き、ここが難所となります。

この踏切超えの太鼓台を見るのが一番、面白いですね。近鉄の職員がダイヤを見ながら太鼓台を通す時間を見計らいます。ところが通る近鉄電車の運転手は駅周辺の山のような人だかりを見て減速するもので、なかなかダイヤ通りにはいきません。いろいろと連絡をとりあって23基もの太鼓台を通していきます。

動画はこちらです

バグは本当に虫だった Kindleアンリミテッド 10/31まで

「バグは本当に虫だった」

カセットテープにプログラムを保存していた話
ヤフー創業者 京都で恋に落ちる
スティーブ・ジョブズの右腕は沖縄出身

など91話を紹介しています。

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バグは本当に虫だった

船場総研 久しぶりのセミナー

船場総研 星

かってパソコンからモデムにATコマンドを打ち込み通信するパソコン通信なるものがありました。インターネットなどが普及する前の時代の話です。

パソコン通信Nifty-Serveにあったのが資格(Flic)フォーラム。ここのオフラインの集まりから生まれたのが中小企業診断士試験の勉強会である「船場勉強会」です。この勉強会のOB組織が船場総研(船場総合研究所)で1998年に誕生しました。私は2002年から参加しています。

■発表は二名
最近は街歩きや忘年会というイベントばかりでしたが昨日は久しぶりの勉強会でした。
・経営戦略の新しい視点「健康経営」の実践例とインセンティブについて 但馬さん
・とにかく明るい評価制度の話 星さん
の二本立て。

なかなか作りこまれたパワーポイントによる発表でしたが、出席者からはいろいろと突っ込まれておりました。

交流会は裏難波に移動して魚料理の店で宴会。船盛や唐揚げなど、いろいろと食べてお腹いっぱいになった頃に鍋が登場(笑)。オイオイという、こちらもツッコミどころ満載のコース設定でした。

まもなく枚岡祭り

枚岡祭

風と共に太鼓の響く音が聞こえます。まもなく枚岡祭りですねえ。

枚岡祭りとは河内国一ノ宮である枚岡神社の秋郷祭りで。祇園祭のように日程が固定で、10月14日が宵宮、15日が本宮となります。今年は14日が日曜と重なり何とか祭りが見られそうです。

枚岡神社は日本最古の神社の1つで、枚岡神社に祀られていた天児屋根命(藤原氏の祖神)と比売神(天児屋根命の奥さん)が奈良に勧請されて春日大社(東大寺の隣にあります)となりました。ですので枚岡神社は元春日とも呼ばれています。枚岡は神武東征の舞台となった土地で社伝では神武天皇の勅命でできた神社だそうです。

枚岡祭りでは地元の9地区から大中小合わせて23台の太鼓台が出ます。9月下旬から夕方に夜にかけて太鼓台の太鼓を打つ練習がはじまり、それが風で届きます。

国慶節

大阪城公園
大阪府よろず支援拠点からの帰り道、最寄駅は谷四ですが、雨が降っていなければ大阪城の堀沿いを歩いて森ノ宮駅から乗っています。
 
夕方、いつもバスが10~15台ほどとまっていますが、昨日は30台ほどと、いつもの倍でした。中国は国慶節で旅行シーズンなんですね。関空の影響もなくインバウンド需要は戻ってきているようです。

Google設立20周年

google
Googleロゴが20周年を祝うロゴになっていました。

1995年、スタンフォード大学博士課程に在籍していたサーゲイ・ブリンとラリー・ペイジが出会い、在学中に検索エンジンのアルゴリズムを作成します。これがSEO対策でよく名前を聞くページランク(PageRank)です。このPageはホームページのページではなく、ラリー・ペイジの名前から名付けました。

ページランクはロボット型検索エンジンの基本となるもので各ページの重要度を計算するアルゴリズムです。特許はスタンフォード大学が持ちグーグルに使用を認める見返りに、グーグル株を180万株取得していました。2005年、スタンフォード大学がこのグーグル株を売却し、3億3600万ドルの利益となりました。この利益はスタンフォード大学の研究や教育に環流し、次のベンチャー企業育成となっていきます。

グーグル創業者サーゲイ・ブリンとラリー・ペイジは全世界の情報に索引をつけ、皆が巨大な量のデータを手に入れられるようにすることをミッションに検索サービスを始めました。検索エンジンに名前をつける時に考えたのが、すごく大きな数をあらわすグーグルプレックス(googolplex)という言葉。

■ところがミススペルしてグーグルになった
サーゲイ・ブリンとラリー・ペイジは、このグーゴルプレックスという名前を検索エンジンにつけようとしましたが、グーグルプレックス(googleplex)とミススペルしてしまいました。これを短くしたのがグーグルです。

Googolというドメイン名は既に取られていましたので、このミススペルした名前、グーグル(Google)をそのままつけることになります。そして20年前にGoogleが設立され先発のYahoo!を追いかけることになります。

検索エンジン名はグーグルですが、グーグル社員はグーグル本社をグーグルプレックスとよんでいます。

ということで、こんな話題が満載な本が
バグは本当に虫だった!

会津屋(関の小万)

会津屋

東海道五十三次、47番目の宿場が関宿。京都に向かうには次の坂下宿から難所といわれた鈴鹿峠を超えて近江の土山宿に入ります。

関宿には町屋が今も200棟以上が現存し、国の重要伝統的建造物群保存地区になっています。関宿を歩くと、まるで時代劇のセットを歩いているようでインスタ映えは間違いなし。木曽路の馬籠、妻籠ではなく、落ち着いた雰囲気の奈良井宿にちかい感じです。

■会津屋 関の小万
この関宿の地蔵院前にあるのが「会津屋」さん。手作りおこわと、おそばの店です。大正時代のかまどに薪をくべ、地下水を使って蒸す山菜おこわが名物になっています。山菜おこわは「おひつ」で出てきて絶品!

会津屋さんは元は旅籠山田屋で、江戸時代には仇討ちで有名な「関の小万」の生家となります。

身重ながら夫の敵討ちのために関宿までたどりつき、ここで女の子(小万)を出産しますが、小万のお母さんはまもなく亡くなります。そのまま山田屋の主人と女将に育てられたのが小万。亡き両親のことを養父母から聞いた小万は武芸に励み、見事に本懐を遂げます。仇討はあっと云う間に全国に拡がり、浄瑠璃・歌舞伎・小説などの題材となります。鈴鹿馬子唄にも”昔恋しい鈴鹿を越えりゃ 関の小万の声がする”など小万のことが出てきます。