
合同会社を昨年に設立したのですが、けっこういろいろな書類を出さないといけません。1月末までに出さないといけないのが償却資産の申告書。
サービス業なので基本的に固定資産はありませんが、東大阪市の固定資産税課に電話すると固定資産がないのなら”ない”で書類だけは出してくださいということです。というわけで朝からeLTAX(エルタックス)に挑戦していました。eLTAXとはネットで地方税の申告、申請、納税などができるシステムです。
まず利用するには利用者番号を取得しなければなりません。確定申告をするe-Taxでも利用者番号は使えず、新しく取得する必要があります。こういうのは縦割りにせず一本化してほしいですね。
ネットだけでできるのかなと思ったらPCdeskという150Mバイトもあるソフトをダウンロードして申請しなければなりません。エラーの意味がよく分からないなど2時間ほど悪戦苦闘して、ようやく申告が終わりました。郵送した方がよほど早かったですね。
京都橘大学 WOC認定看護師

京都橘大学には看護学部があり、認定看護師教育課程があります。認定看護師とは特定の看護分野において、熟練した看護技術および知識を用いて、水準の高い看護実践のできる看護師を指します。京都橘大学の場合は皮膚・排泄ケア(WOC)があります。
全国から現役の看護師さん、しかも5年以上の実務経験がある看護師さんが集まって半年間の集中教育を受け、日本看護協会が実施する試験に合格すると認定看護師となれます。病院の期待を背負って参加していますので、勉強するほうも大変です。教育課程には情報管理という科目があり、一番最初から担当させてもらっています。昨年は11期生でしたが、無事に全過程が終わったようで手紙が届きました。毎年、自筆の手紙をもらっており恐縮しております。
皆さん、試験に向かってがんばってください。
雨山城

2018年の初山城は雨山城。熊取の大阪体育大学、浪商高校の近くにある山城です。
関西国際空港の近くに日根野駅がありますが、昔、日根野村に九条家の日野荘という荘園がありました。今は日根荘遺跡として国史跡となり、雨山城も追加指定されています。南北朝から戦国時代にかけて日野荘や和歌山の粉河を結ぶ粉河街道をおさえる城だったようです。
南北朝時代、北朝方の高師直が日根野氏に城の警護を命じています。これを楠木正行の弟である楠木正勝が攻め落とします。ところが南朝側で孤立した楠木正勝が北朝方に寝返ったことから城が北朝方に。ところが、また南朝方になったりと、この城を舞台に戦国時代まで争奪戦が行われました。
雨山城は国史跡でハイキングコースとして整備されており迷うことはありません。十町からカウントダウンする町石が一町ごとに置かれ目印になります。大手道は幾重にも曲がり、高取城の七曲りのようになっています。城の入口は土橋になっていて、主郭には神社が建っていました。いろいろな郭があり、楽しめます。主郭からは関空、四国、明石大橋などが一望できハイキングコースとして人気があるわけです。
和泉苅田城

和泉苅田城、Googleマップで偶然に見つけたお城で、JR和泉府中駅が最寄り駅です。府中という名前がついているので昔の和泉国府があったはずですが、国衙(役所)は見つかっていません。
和泉苅田城跡には住宅街になっていて何も遺構が残っておらず城跡は穴師小学校からJAいずみ穴師支店周辺だったようです。こんなマイナーなお城までGoogleマップに掲載されているんですね。かと思えば外鎌山城のように、割とメジャーな城が登録されたおらず、どんな基準で登録しているんだろう。
近くに穴師山薬師寺があり、秀吉の紀州征伐時には根来寺に味方し僧兵もいたため、大伽藍が焼けてしまったそうです。この時に和泉苅田城はどうなっていたんだろう。
小牧・長久手の合戦がこんな和泉の地でも行われたんですね。
2017年 三大ニュース

近くの石切劔箭神社にお参りに行くと大祓の茅の輪が境内にありました。年末ですねえ。
2017年の三大ニュースです。
■合同会社エムアイティエスを設立
3月3日に合同会社エムアイティエスを設立。自分で自分に役員報酬を出すのですが売上をあげないと資本金を食いつぶすことになり、もっとしっかり働きなさいよ、俺!
■「バグは本当に虫だった!」出版
2月にペンコムから「バグは本当に虫だった!」を出版。本屋に自分の本が平積みになっているのを見るのは感激でした。
■山中城踏破
秀吉の小田原城攻めで立ちはだかったのが箱根の名城・山中城。槍の勘兵衛こと渡辺了が攻め入って一番乗りの功名をあげた記録が残っています。前から行きたかったのですが東京へ行くついでに寄ってきました。障子堀が見事でした!
積善寺城(貝塚)

積善寺城跡 JR阪和線の和泉橋本駅の近くにあります。
遺構は何も残っておらず住宅地になっていますが、長屋門のある家があったり、狭い通りなど古い町並みを残しています。主郭があったのが明教寺付近と言われています。表札には根来という名前がかかっていました。Googleマップでは明教寺が積善寺城跡となっていますが、少し離れた安楽寺境内が主郭とも書かれており、ここらへん一帯が城跡だったようです。
積善寺城はもともと三好一族と争った時の砦として作られ、近木川沿いの千石掘城などとともに、根来衆の出城でした。基本的に平城で秀吉の紀州攻めでは三重の濠をめぐらした城に根来衆9,500人が立て籠もって戦いました。結局、城は落ちず和睦開城となったようです。
千石堀城(貝塚)

秀吉の紀州攻めで有名なのが千石堀城の戦い
貝塚にある高井城から近木川を超えたところに千石堀城があります。貝塚こすもすの里の裏手に拡がる丘の上にあるのですが、城に入るところが分からなく、紀泉鉄道を通す予定で掘削した跡の道から藪に入ると登城できました。かなり大きな主郭で、帯郭が巡っています。写真は堀切横にある虎口ですが、写真ではよく分かりませんね。
千石堀城には秀吉と対峙した根来衆は鉄砲で武装し守っていました。
秀吉軍は豊臣秀次、堀秀政、筒井順慶、長谷川秀一らで二の丸まで攻めましたが本丸は攻めあぐね多大な被害を受けます。このまま持久戦になるかもと思われましたが、筒井隊が放った火矢が城郭を焼き、たまたま火薬箱に引火して大爆発が起きます。豊臣秀次軍が本丸に突入し、根来衆が討ち取られてしまいます。
藤ケ森城(安濃)

津で午前中にセミナーの仕事が終わったので、もちろん午後の予定は何も入れず、城巡りです(笑)。
安濃には伊賀の国人領主のように城塞が密集しているところがあります。まず目指すのは藤ケ森城。標高30メートルほどの丘の上にあります。坂道を上るとすぐに主郭の中へ入ることができます。整備されていて藪が少ないのがいいですねえ。主郭は楕円形で、けっこう広く単郭になっています。近くにある浄土寺城、今徳城、連部城を見渡すことができます。
藤ケ森城を誰が造ったのか城主が誰だったのか分かりません。秀吉の家来の砦という説もあります。ちょっと行ったところに伊勢国で最大の城だった安濃城があり、長野氏一族だった細野藤敦が信長に敵対していました。安濃城は信長の伊勢攻めの舞台となったところで、藤ケ森城は位置からいくと安濃城攻めのための付城だったかもしれません。
企業の魅力発信セミナー
紀州攻めの舞台 高井城(貝塚)

南海の貝塚駅から東南に近木川が流れています。この近木川沿いに二両編成の水間鉄道が走っていて終点には水間観音があります。
根来衆はこの近木川沿いにいくつもの出城を作っていました。松永久秀が三好三人衆と対立していたこともあり和泉をおさえるために築いたようです。水間鉄道の名越駅のすぐ近くにあるのが高井城跡。もともとは高井天神廃寺があったようで、寺跡を出城にしたようです。本丸、二の丸があったようですが現在は遺構が残っておらず高台になっているだけです。
秀吉の紀州攻めでは高井城に200名の農民が立て籠もりました。岸和田城に入った秀吉は、すぐに出城攻めを開始。高井城は福島正則軍に攻められ落城したようです。
