三重県中小企業診断協会60周年

傘

三重県よろず支援拠点へ2週間ぶりに出たら三重県中小企業診断協会・設立60周年記念の折り畳み傘をもらいました。診断協会は三重県よろず支援拠点と同じ三重県合同ビルの中にあり、遠方は記念品を郵送しますが、近くは郵送代がもったいないので手渡しということです。

折り畳み傘は晴雨兼用で日傘にもなるので、これはありがたいですね。津にある百貨店・松菱で買ってきたようです。1964年に社団法人 中小企業診断協会・三重県支部としてスタートし、公益法人制度改革が行われた2012年から一般社団法人・三重県中小企業診断協会になっています。

三重県中小企業診断協会には、たぶん独立したての2002年ぐらいに入会したので、もう20年以上の加盟ですね。年会費が46,000円なんで100万円ほど支払っている計算になりますなあ(笑)。

仁王山城

仁王山城

汐の山城のある旭ヶ丘団地の西側に山があります。山には廣野神社という小さな神社があり、この神社横の山道を入っていくと仁王山城にたどりつけます。

Googleマップには日の谷城と仁王山城の二つが出てきますが、どうやら一つの城のようです。大きな削平地があり、削平地の周りは切岸になっています。城跡のようですが、それにしては堀切などがなく防衛力もそれほどでもなく、よく分かりません。

仁王山城は比定地が3つあって旭ヶ丘団地はその一つです。仁王山城は南北朝時代の古文書に名前が登場し、室町時代になって畠山義英と畠山尚順の戦いでは義英が仁王山城に陣取ったようです。今は草木に覆われていますが当時は金胎寺城、嶽山城、旗蔵城、石仏城が一望できたでしょう。

汐の山城

汐の山城

仁王山城へ行こうとGoogleマップを見ると手前に汐の山城跡がありました。住宅街開発で城は残ってなさそうです。まずは最寄駅である南海高野線・三日市町駅を目指します。三日市町駅を降りて汐の山城方面へ向かうと、どんどん高台に登っていきます。坂をひたすら登って着いたのが南花台というニュータウン。山を開発した町で眺めがいいですね。

スーパーコノミヤがあって、ここから汐の山城へ行けそうです。と細い道に入ったら道がどんどん下って行きます。せっかく、ひと山登ったのに!案の定、谷筋まで出てしまいました。

ここから再度、登り直しです。旭ヶ丘というニュータウンに着きました。汐の山城跡の主郭は送電線の鉄塔になっていました。河内長野が一望でき、金胎寺城や嶽山城がよく見えます。

    またやってしまった

    本と猫

    積読を少しでも解消しようと1冊、取り出して読み進めると案山子の語源が載っていまし案山子の語源といえば、確か煙などを炊いて鳥や獣を近づけないようにする「嗅がし」が語源じゃなかったっけと本を読むとピンポン。

    他にも知っている内容がでてきて、ちょっと前に読んだ本でした。本屋で買って積読に積み上げていたのを忘れて、また本屋で買っておりました。

    まあ、本屋さんの売上に貢献したということで(笑)最近は本を買う時に奥付などをチェックして買っていないはずだと確認していたんですが、またやっていましました。3冊同じ本を買うことはさすがになくなりました。

    三重県中小企業診断協会 懇親会

    三重県中小企業診断協会

    三重県中小企業診断協会の新春研修会&懇談会。場所は津新町駅近くのプラザ洞津です。大阪のような大所帯ではないので参加人数は25名ほど。

    研修会は臨床心理士の牧野先生による「信頼関係を築くための話の聴き方」。どうしてもしゃべるのが商売ですので、しっかり相手の話を聞かないと、自戒。終わてっからは、こっちが目的の懇親会です。

    水間鉄道

    水間鉄道

    城めぐりでかかせないのが水間鉄道。貝塚駅と水間観音駅5.5kmを結ぶ路線です。日中は1時間に2本ですね。

    近木川沿いの路線ですが、これが見事に根来衆の出城群に沿っています。天正13(1585)年、羽柴秀吉が岸和田城を拠点として紀州根来寺を攻めます。根来衆は対抗するために近木川沿いに出城を並べて防衛線を構築します。これが千石堀城、高井城、積善寺城、畠中城、窪田城、沢城、根福寺城、興蔵寺城などで、市街化に伴って失われた城も多いのですが千石堀城など、今も残っている城があります。

    水間鉄道の各駅から歩いて行けるので城巡りには最適な路線ですね。観光客には響かないでしょうが(笑)

    わらじトンカツ定食

    わらじトンカツ定食

    ガモ四で仕事だったので少し歩いて鴫野へ。目的は名店「かんなべ」を訪れることです。

    有名なのが「わらじトンカツ定食(1800円)」。これでもかーという量のトンカツが入っています。ちなみにミニトンカツ定食(1000円)というのもあり、これが普通の定食屋のトンカツ定食になっています。

    水間観音

    水間観音

    興蔵寺城に登った帰りに水間観音にお参りに

    聖武天皇の勅願で行基が開創したと伝わっています。戦国時代は秀吉と敵対する根来寺側についたため天正13年(1585年)に堀秀政に攻められて焼失します。江戸時代となり岸和田藩主である岡部氏が保護するようになり再建されます。

    水間観音は「利生の銭」の逸話を井原西鶴が日本永代蔵に記載したことから全国的に有名になりました。一貫の銭を借りて帰った江戸の廻船問屋が、13年後に八千百九十二貫として返済奉納し廻船問屋はその功徳で末永く栄えたことから、仏から与えられた銭(利生)を翌年の初詣で倍額にして返し、商売繁盛などを祈る習わしとなります。

    興蔵寺城

    興蔵寺城

    石仏城と同様に情報が少な貝塚にあるい興蔵寺城

    麓にある興蔵寺の南にある池から山道を行くと興蔵寺城に登城できるという資料を見つけました。2つ目の池を進んでいくと山道が分岐していて左手の山に入っていけそうで、これが登城口だろうと分け入ります。資料にある通り、途中で山道がなくなり、あとは尾根を直登するだけです。笹藪だらけですので冬しか登れません。

    興蔵寺城は一城別郭になっていて2つの尾根に郭が作られています。けっこう大きな山城で見ごたえはありますが、藪や倒木をかき分けるのが大変です。根来寺側の防衛ラインに位置する山城ですので、根来寺側として整備されたのでしょう。帰りに郭がある尾根の谷筋から下に降りられる道を見つけましたが、途中でなくなってしまい、結局は無理やり降りることに。一つ目の池の近くに出ましたが、こちらの道を探すのは難しいですね。

    夢洲駅開業

    夢洲

    新石切駅へ行くと行先表示がコスモスクエアではなく夢洲(ゆめしま)になっていました。本日(1/19)夢洲駅が開業し、関西万博の会場となる夢洲へのアクセスとなります。路線図、アナウンスともに変わっていました。昨夜は入れ替え作業などで大変だったでしょう。

    2009年に近鉄と阪神が相互運転を開始し、奈良駅で難波行ではなく三宮行という行先表示を見て驚きましたが、あれ以来ですね。