あなたの知らないPowerPointの世界

河合弘之
昨夜は知的生産の技術研究会・関西セミナーを大阪産業創造館で開催。
「あなたの知らないPowerPointの世界-魅せるビジネスプレゼンテーションとは-」というタイトルでノヴェル・プレゼンテーション代表・河合さんにお話しいただきました。河合さんはMicrosoft MVP AwardのPowerPoint部門を2011年より8年連続受賞されている達人です。
なんせ幹事がずぼらで、予約制にしていないので何人集まるか当日にならないと分かりません。20人ぐらいかな~あと思っていたら、36名もの参加で会場はほぼ満員でした。
ビジネス・プレゼンといえばPowerPointが定番。ところが巷にあふれるのは箇条書きや文章が書かれたスライドばかり。スライドをただ読み上げるだけのプレゼンも多く、聞いている方は眠くなるだけです。これをパワポ死と言います。
その場ではわかった気になっても、記憶には残らず、人を動かすためのプレゼンにはなっていません。重要なのはプレゼンの「印象」。印象は記憶に焼き付き、人々を行動へと駆り立てます。どうすれば印象に残るプレゼンができるのでしょうか?
ということで、今年、執筆された「コピペで使える!動くPowerPoint素材集2000」(翔泳社)の技も駆使し、PowerPointでこんなことまでできるんだと紹介いただきました。

七郷山城

七郷山城
最後の山城が七郷山城。
七郷山城は送迎山城から近く、明神山から連なる山稜沿いにあります。一回山を降りて、また登るのはしんどいので尾根沿いに行けないかなと、途中からハイキング道に入ると、これが正解でした。Googleマップでみると、この尾根道は明神山トレイルのコースになっているようで両側は急峻な崖になっています。
尾根道を進むと、いきなり二重の堀切が現れます。堀切を超えると尾根道に階段がついていて登ると主郭に入ります。なかなか大きな郭で端まで行くと階段を降りた先にまた二重の堀切があります。南北は崖になっていますので東西の尾根道に対する防御をすればよい構造で、なかなか見ごたえがある山城です。何の案内板もないので、ほとんどの人は城に気づかずに尾根道をハイキングしているんでしょうね。
山城を3つ登り、送迎山城を探すのに手間取ったこともあり、日没が近づいていました。南側の近鉄方面に降りるのはあきらめ、北側の崖を降りる道をたどりJR河内堅上駅から大阪へ戻ってきました。

送迎山城

送迎山城
2本目の山城は送迎(ひるめ)山城。大阪と奈良の県境近くにある近鉄・関屋駅から北に向かい、旗尾池を超えてずっと舗装路を行くと、途中から東海自然歩道になります。道を進みますが平坦な道が続き、どう考えてもおかしい。Googleマップで確認すると山城があるはずの場所から東にずれています。おかしいなと戻ってGPSを見ながら歩いてもずれていきます。もう一回戻ると、廃墟のようなところに埋もれた道を発見。歩き始めると坂となり、これが正解でした。
途中でハイキング道と合流し、ドングリ拾いをしていた家族連れが「どちらに向かいますの?」と聞いてきたので、正直に「山城へ」と答えましたが、どう考えても不審者に思われたでしょうねえ(笑)。
送迎山城は明神山の南にある送迎山にあり、郭、堀切、土塁跡が残っていますが、急峻ではなく、ゆるやかな造りになっています。造ったのは大和武士団の片岡氏で本城にしていたようですが、後に王寺の近くに片岡城を造り、そちらに移ります。

外鎌山城

外鎌山城
先日、3本登ってきた山城の1本目が外鎌山城(戸賀間山城)。
近鉄・大和朝倉駅の住宅街を抜けた外鎌山山頂にあります。えっちらおっちら30分ほど登ると城跡に着きます。外鎌山城は南朝の忠臣・西阿(せいあ)が築いた城で、山頂には「西阿の碑」が建っていました。西阿は桜井一帯をおさめた大和武士団の一人です。
すぐ隣の鳥見山は神武天皇の霊畤(即位後に最初に行われる新嘗祭【大嘗祭のこと】)が行われた地で、ここに同じく西阿の造った外山城(鳥見山城)がありました。大和の東の端にあり山のすぐ下を大和から伊勢へ向かう初瀬街道が通っていますので、この2つの山城で街道をおさえていました。
頂上の主郭からは大和三山、二上山などが見え、大和盆地を見渡すことができ、眺めがいいですねえ。万葉集で外鎌山は朝倉富士と呼ばれていました。外鎌山城は主郭の周りには帯郭がありますが、それほど大きな城でなく、こじんまりとしています。

三重県中小企業診断協会 勉強会/忘年会

三重県中小企業診断協会の勉強会。タイトルは「労務管理の最新情報」で講師は荒川経営労務事務所の荒川代表(中小企業診断士、特定社会保険労務士)です。
三重県は車社会なんですが年末だけは忘年会がセットになっています。そのせいか参加率は高かったですね(笑)。
働き方改革と外国人の技能実習生の見直しのお話でした。

三重県の外国人技能実習生受入監理団体は59あり、すべて協同組合ですが、見直しにより許可制になります。債務超過では許可が出ず、改善計画などが最低限、必要となります。監理団体は120点満点で採点され、優良と認められなければ実習期間の延長(3年→5年)や受入人数枠の拡大などが認められません。けっこう厳しい条件で、なかなか大変です。

年末調整

E-Tax
年末調整シーズンが到来しました。
年末調整とは毎月、概算で源泉徴収している所得税額を、年末に1年間の所得や配偶者や扶養状況に合わせて再計算することで、過不足額を調整するものです。所得税法で定められています。
もともと戦時下に漏れなく税金を徴収するために源泉徴収制度が作られ、本来は国がやる仕事を会社に肩代わりさせることになりました。源泉徴収と年末調整により、給与所得者の納税意識が希薄になるという議論は昔からありますが、全然、廃止の動きはないですねえ。
といわけで合同会社エムアイティエスでも源泉徴収をし、社会保険の半額も会社負担になっています。って、結局は自分で会社負担分も払うのですが(笑)。一人会社なのでE-Tax(電子申告)を使い電子署名をつけて送信し、年末調整は終了です。個人事業も引き続きやっているので、次は確定申告だ~あ!

BLAST2002研究会

blast2002
昨日は第51回BLAST2002研究会。
中小企業診断士試験が新制度に変わった時に発足した研究会ですので、かれこれ15年続いています。所属しているのは新制度での合格者ですからニュータイプと呼ばれています(笑)。
入会金も会費もないゆるい研究会で年に3回ほど集まって研究会を開催しています。毎回、発表が3本あるのですが、銀行員から見たブラックな話などBLAST2002では珍しく、至極まっとうな発表でした。終わってからは忘年会を開催し3時間ほど飲んでおりました。

大阪中小企業診断協会との合同忘年会

Largo
昨日は昼から奈良の山城を3本登り、疲れ果てたところで大阪・中ノ島へ
 
中之島フェスティバルタワー12階にあるラルゴというオシャレなお店を貸り切って大阪府中小企業診断協会、大阪中小企業診断士会の理事や委員が集まっての合同忘年会が開催されました。
 
途中、ビンゴゲームがあり、見事に商品をゲット!
 
当たったのは、なんと「コンサルティングの基礎 中小企業診断士のための基礎理論」(著者:橋本豊嗣、風谷昌彦、小野知己、内藤秀治、池田朋之、帖佐和孝、北口祐規子 、佐々木宏)で、著者のほとんどが出席してました(笑)。
 
とってもありがたく、本で勉強したいと言ってきた知り合いに快くゆずりました。

販売士資格の更新

販売士
5年前に販売士に合格し、今回が初めての更新。
販売士は、なんと5年毎に講習会を受ければよいという実にありがたい更新制度になっています。毎年、受講しないといけないITコーディネータや中小企業診断士とは雲泥の差ですね。しかも講習時間は3時間でGISマーケティングとネットショッピングのセミナー2本立てで、なかなか参考になる内容でした。
ただ受講会場は仙台、東京(2回)、名古屋、大阪(2回)、福岡しかありません。今日が大阪の1回目でしたが受講しているのは50名ほどでした。けっこう少ないんですね。とりあえず5年先まで安泰です(笑)。

相撲の発祥

力士埴輪
相撲界が騒がしいですが、日本で相撲が始まったのは垂仁天皇の時代。大和八木駅から西ノ京駅へ向かう時、線路のすぐ右手に見える古墳が垂仁天皇陵です。
垂仁天皇の時代、当麻に当麻蹴速(たいまのけはや)という剛の者がいて俺に勝てる者はいないと言っているので、出雲の国に野見宿禰(のみのすくね)を呼び出し展覧試合が行われました。これが相撲の祖となります。相撲を取った場所は山の辺の道沿いにある穴師坐兵主神社です。
試合に勝ったのは野見宿禰で当麻蹴速の腰を踏み折って殺します。コロッセオの試合のようですね。その後、野見宿禰は垂仁天皇に仕えることになります。また、それまで行われていた殉死をやめ埴輪に替えることを提案し、野見宿禰は土師臣(はじのおみ)の祖となります。今の藤井寺市や道明寺が本拠地となり土師の里と呼ばれるようになります。
古墳時代には力士が定着したようで今城塚古墳では力士埴輪が見つかっています。織田信長も相撲が好きで勝者を家臣にしています。高杉晋作が組織した騎兵隊には力士隊があり伊藤博文が率いて功山寺の挙兵に参加しています。そういえば新選組が大坂で起こした乱闘事件の相手も力士でした。