大阪の試験会場は大阪教育大学

大阪教育大学
台風が接近する雨の中、本日は中小企業診断士・2次試験。試験監督の一部は朝7時に集合とかで、雨の中、大変ですねえ。ちなみに試験監督は中小企業診断士が担当しています。受験校などで教えている場合は担当できません。(泣)
大阪での会場は大阪教育大学です。大学名に大阪という名前がついていますが場所は奈良との県境にある山の上。駅を降りたら登り坂が続きます。山を東側に降りたら奈良県です。最寄駅は大阪教育大学前駅で、難波から行く場合は基本的に普通しか止まりません。準急も止まりますが実質的には各駅停車です。地方から大阪に受験に来ている受験生にはちょっと過酷ですねえ。
大阪教育大学の北側を近鉄大阪線が走り、南側は近鉄南大阪線(阿倍野ー橿原神宮)が走っています。こちらには聖徳太子の墓や小野妹子の墓がある太子町、竹内街道(古代の国道1号線)があります。大阪から奈良へ行くのに生駒山脈と金剛山地が立ちはだかりますので抜けるには、このあたりを走るしかありません。ですので近鉄大阪線と南大阪線がすぐそばを走っています。

大阪中小企業診断士会 秋の交流会

TKP
昨夜は大阪中小企業診断士会の交流会。60名ほどが参加し、なかなか盛況でした。
今回はアイスブレークなどでよく行われる、嘘つき自己紹介とグーグルの入社試験などで採用されているフェルミ推定のワークを行いました。席の配置はITコーディネータのケース研修を彷彿させます。
場所はTKP堺筋本町で、懇親会の料理もおいしかったですね。ご飯ものなど炭水化物が多かったですが(笑)

消費税の転嫁拒否等に関する調査

公正取引委員会
公正取引員会と中小企業連盟の書類が届きました。中身は「消費税の転嫁拒否等に関する調査」に関する調査票。消費税分が支払われていないとか消費税は支払うが、その分の本体価格などを下げられたなどをチェックする項目があります。チェックした後に具体的内容を記載するところがあり
記載例を見ると
「〇〇株式会社から免税事業者には消費税を支払う必要はないと言われ、取引開始から現在に至るまで消費税分は支払ってもらえていない。」
「△△株式会社の担当者に注文書発行を求めたが、応じてもらえなかった。現在も注文は口頭かメールである。」
と社名などを具体的に書くようになっています。
参考となる資料も添付できますとありますので、消費税に関わらず、買いたたきや書面交付の義務を守らない発注元に頭に来ている企業は、いろいろと書いて送りそうです。下請法を理解していない発注者もいるので従業員教育をしっかりしておかないとリスクをかかえるだけですね。

日出ずる処の天子 小野妹子墓

小野妹子墓
日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す。つつがなしや
第二回遣隋使で聖徳太子が小野妹子に持参させた国書の冒頭部分。天子という言葉に隋の煬帝が怒ったと伝わっています。ただ当時の国際情勢から倭国と敵対するわけにもいかず、煬帝の家臣である裴世清が小野妹子の帰還に伴って返書を持ち派遣されます。住吉津に着き、大道を通って飛鳥京へ戻りました。
翌年には返書と裴世清の帰国のため、高向玄理、南淵請安、旻らと共に再び隋に派遣されます。ウーン、日本史で習った人物ばかりですねえ。(笑)
なぜか太子町に小野妹子の墓があります。蘇我氏の一族と連なっていたんですかねえ。小野妹子は華道の家元である池坊の始祖にあたり、墓は池坊が管理しています。それはいいのですが、墓は長い階段の上にあり太子町が一望できます。山城には最適な場所なんですが、城の遺構はないですね。

サーバーレスアーキテクチャによるWebアプリ開発について

ITC三重
ITC三重 定例会
2007年10月18日 三重県合同ビル会議室
■「サーバーレスアーキテクチャによるWebアプリ開発について」 森ITC
位置情報共有アプリをアマゾンのAWSを使って構築中で来月ぐらいにサービスイン予定。最近のサーバレスアーキテクチャについてデモをまじえてお話いただきました。昔は一から作る必要がありましたがWebサービスを組み合わせていろいろなシステムを安価で素早く作成できる時代になっています。
AWS S
クラウド上にhtmlファイルなどを置くことでウェブサーバーを使わなくてもブラウザーでホームページサービスを提供することが可能
AWS Cognito
認証システムを提供してくれるIDaas(IはIdentity)。ただしユーザが明示しなければログを残す形にならない。2段階認証など簡単に設定でき、最近、増えているFacebookやGoogleでログインなどを提供してもらえる
AWS Lambda
Faas(FはFunction:計算機能)JavaやC#でプログラミングができる
■無線LAN(Wi-fi)の暗号化システム「WPA2」における脆弱性について

ほんまかいな?蘇我馬子の墓

蘇我馬子の墓
聖徳太子のお墓がある叡福寺から少し行った住宅街に石塔が建っています。これが地元では蘇我馬子墓と伝わっています。最近のGoogleマップはすごいですね。きちんと表示されます。
定説では石舞台古墳が蘇我馬子の墓ではないかと言われています。この石舞台古墳のすぐ近くにある都塚古墳が近年、階段ピラミッドの墓だったと分かり、これが蘇我稲目の墓ではと言われています。蘇我稲目は馬子の父親で仏教伝来の時に大連の物部尾輿と争った人物です。仏教公伝、日本史で覚えましたねえ。蘇我氏の墓は本来、飛鳥にありますので、なんで太子町に蘇我馬子の墓が伝わっているのでしょうか。
太子町にある磯長谷は、大和川の支流である石川流域にあります。蘇我氏の祖は石川宿禰(いしかわのすくね)と言われ、この一帯が蘇我氏の最初の本拠地との一つと考えられています。大化の改新では蘇我倉山田石川麻呂が登場し、蘇我氏はもとの石川を名乗るようになります。そんな土地だからこそ、聖徳太子と二人三脚で歩んだ蘇我馬子の墓のいわれができたのでしょう。

推古天皇陵じゃない推古天皇陵

推古天皇陵
用明天皇陵、聖徳太子のお墓ときたので次は推古天皇陵。同じ太子町にあります。推古天皇といえば日本で初めての女帝で第33代の天皇。用明天皇の妹にあたり、甥の聖徳太子が摂政を努めました。
推古天皇は聖徳太子や蘇我馬子と共に仏法興隆にも努め、斑鳩に法隆寺が建立されます。また難波京から飛鳥まで大道(幅19m)を整備し、冠位十二階、十七条憲法が制定され、小野妹子が隋に派遣されます。激動する海外情勢に対応するため日本という国家が大いに整備された時代でした。
推古天皇は75歳で小墾田宮で亡くなりますが、若くして亡くなった息子の竹田王子と一緒に葬ってほしいということから合葬されました。これが橿原市にある植山古墳のようですが、改葬され、現在の推古天皇陵になりました。
どうも二つの石室があったので宮内庁が推古陵と比定したようですが、「?」のようです。地元ではすぐ近くにある二子塚古墳こそが本当の合葬陵であるとする言い伝えがあります。本当のところは誰の陵か分かりりませんが、高台にあり近辺が一望できる眺めがよいところです。

ファイル転送・共有サービスとは?安全性と注意点

重たいファイルをメールに添付して送る場合、受取先の企業が容量制限していると受取拒否となりエラーで戻ってきます。そもそも1MBを超えるようなメールを送るのはマナー違反。
そんな時に便利なのがファイル共有サービス。手軽に大容量ファイルを送れます。企業で活用する場合の注意点をみていきましょう。以前に書いたガイド記事をリライトしました。
→ ファイル転送・共有サービスとは?安全性と注意点

聖徳太子のお墓

聖徳太子
太子町に叡福寺というお寺があり、ここに聖徳太子のお墓があります。直径50メートル、高さ10メートルの円墳で、太子と母君の穴穂部間人皇后、妃の膳郎女の3人の棺が納められています。前後し相次いで亡くなっていますので、伝染病で亡くなったという説があります。
お墓には立派な山門や線香立てがあり、3層の建物もあって、他の天皇陵などとはだいぶ趣が違っています。
江戸時代まで、参拝のために石室内に入れたので、空海などが石室内の図を残しています。先日、NHK・歴史秘話ヒストリアで「聖徳太子の棺(ひつぎ) 伝説のその先へ」という番組をしており、釈迦三尊像の光背に彫られた196文字の銘文が聖徳太子と同時代のものである可能性を伝えていました。銘文によると像の高さを聖徳太子の背の高さにあわせたとあり、175cmぐらいあったようです。古代ではかなりの長身ですね。

枚岡駅の踏切越えがハイライト 枚岡祭り

枚岡祭り
河内一之宮である枚岡神社の秋祭り。毎年、10月14日、15日に行われます。今年はたまたま土日となりましたが、天気はいまいちでした。
東高野街道にある鳥居に集合し、ひたすら生駒山の裾野を上がり枚岡神社境内を目指します。ハイライトは近鉄・枚岡駅の踏切越え。職員が電車の通過タイミングの間隙をぬって23もの太鼓台を通します。枚岡駅周辺は祭り見物で人があふれており、異様な雰囲気に電車の運転士がどうしても徐行運転するため、ダイヤが狂いがち。なんとか連絡を取り合って、太鼓台を通せる時間を作って通しています。毎年のこととはいえ、ご苦労様です。
踏切を超えると一番傾斜がきつい坂が待っています。この坂を登りきると、いよいよ境内で宮入がはじまります。