
今日の夜は多気町民文化会館でセミナー。
主催は松阪商工会広域連合で、松阪北部商工会、松阪西部商工会、多気町商工会 明和町商工会 、大台町商工会、大紀町商工会から構成されています。商工会会員だけでなく職員の皆さんも参加され50名を超えていました。
セミナーは「ビッグデータを活用した販路開拓」で政府統計の総合窓口(e-Stat)や地位経済分析システム(RESAS:リーサス)などの紹介のあとは小規模企業でも活用できるビッグデータの話をしてきました。
会場のある多気町は高校生レストランで有名な相可高校の近くにあり、シャープ多気工場も近くで、最寄駅はJR相可駅になります。時間を調べると本数が少ないのでちょうどよい列車がなく、松阪駅から路線バスで行くことに。セミナーは21時までなんですが終わる時間にはJRの列車はなくなり、路線バスもありません。陸の孤島ですね。知り合いに松阪駅まで送ってもらいました。
伊坂城

新名神道路の工事前に発掘調査が行われた山城です。 発売中の「季刊考古学 第139号 特集 戦国城郭の考古学」にも伊坂城が載っていました。
城がある大矢知周辺は大矢知そうめんが有名で、近江とは八風街道で結ばれた交通の要所です。発掘調査では堀底道、郭、高さ6メートル以上の巨大な櫓門跡などが見つかっています。伊坂城は信長の北伊勢攻めで攻め落とされ伊坂氏は滅亡したと言われていますが、織田信雄の家来衆に伊坂氏がいますので、どうも信長に降伏したようです。
新名神の開通で城跡の半分ほどは破壊されましたが、郭や土塁跡は残っているという情報を見つけたので専門家派遣のついでに寄ってきました。
登山道の途中から竹藪に入り帯郭や土塁を見ることができます。一番高い主郭を目指しますが到達できそうな道はなく途中で断念。竹藪だらけでスーツ姿で行くのはオススメしません。
郭と郭の間を歩いていくと新名神のフェンスにぶつかりました。この先にあった郭などは工事で破壊されたようです。500年も残った遺跡なのに破壊はもったいないなあ。
中野城
市場城

保々西城の支城だったのが市場城で朝倉氏の城です。朝倉氏といえば信長と戦った越前の朝倉義景が有名ですが伊勢朝倉氏はこの越前朝倉氏の分家だという説もあります。よく分かっていません。
市場城は、朝明川に面した南側が崖となった河岸段丘に築かれている城です。市場地区の公会堂裏手に竹藪が広がっていて、この竹藪の中に市場城があります。なかなか城の入口が分からなかったのですが、ようやく竹藪の中に虎口を見つけました。土橋がかかっていて空堀と高さ8メートルほどはある土塁がめぐっています。主郭は保々西城と同じような縄張になっています。 写真は主郭から見た虎口の様子です。見事な折れですねえ。
保々西城と同様に信長の伊勢攻めで落城した模様です。丘城なのでスーツ姿で大丈夫ですが主郭の中は竹藪だらけですので中に入るにはご注意ください。
保々西城

専門家派遣の依頼で最初は断ったのですが支援先が三岐鉄道に乗って行くところでしたので思わず快諾。
というわけで専門家派遣の合間をぬって三岐鉄道に乗り保々西城へ行ってきました。北勢中央公園の一角に城があるのですが現地に着いても案内版も何もなし。公園関係者に聞くと野球場のボードの裏側から城に入る道があることを聞き、いざ潜入。城の碑もありました。
郭の土塁や虎口だけでなく城の前に拡がる屋敷跡の土塁も見事に残っていました。保々西城は丘城ですのでスーツ姿でも大丈夫です。これで雨さえ降ってなければよかったのですが...。
保々西城を造ったのは茂福城主である朝倉備前守。織田信長が伊勢侵攻してきた時に滝川一益の攻撃を受け落城、朝倉氏は滅亡します。
伊勢新聞にバグ本を掲載いただきました。
宇治山田駅の転車台
城跡かなあ?
G Curry ジーカリー
給与振込を忘れていた
合同会社エムアイティエスを3月に設立したので、4月から自分で自分に給与を払っています。
毎月25日を振込日にしているんですをバタバタしていて忘れておりました。さっき振込予約をしましたので週明けの月曜振込になります。ふつうの従業員だったら怒るだろうなあ。今月からは市民税(事業主負担なし)の引き落としが始まります。
日本年金機構から”7月は算定基礎届の提出月”ですという案内が届きました。算定基礎届に関する案内や届出用紙は後日、届くそうですが、いろいろややこしいですね。事務説明会が大阪府下で行われるそうなので参加してこようかなあ。




