最終校正が終了

バグは本当に虫だった
印刷所からバグ本の刷り上がり原稿が到着。
これを綴じれば本となります。この製本前の印刷原稿で最終校正です。6回も校正したので、もう誤植など無いと思いながらチェックすると、あるんですねえ。(笑)
本では嵐山にある電電宮を紹介しています。電気、電子の神様なんでIT業界もよくお参りする神社です。境内には「不具合撲滅!バグ退散」、「システム安全運行」など、あきらかにIT業界の人間が書いた絵馬などがぶらさがっています。
『考えられるバグはつぶしたが、まだバグが残っているかもしれない。でも納期がせまっているなか、これ以上バグ探しをしている時間はない。人事は尽くしたので、あとは神様にすがるしかない。』ということでしょう。
というわけで最終校正という原稿のバグ取り作業が終り、あとは印刷所へ。もう神様にすがるしかないですね。
バグ本発刊まで 残り19日。
→ 『バグは本当に虫だった

船上城(明石)

船上城
キリシタン大名・高山右近といえば高槻城が有名ですが、高槻の後に築城したのが明石の船上城(ふなげじょう)で明石川の河口に造られた水城です。
吉が関白になった時に全国的に国替えが行われ、高山右近は高槻から明石に国替えとなりました。明石は目の前が淡路島で現在は明石海峡大橋がかかるぐらい狭いところなので瀬戸内航路を監視するにはもってこいの場所です。当時は堺に行き来する貿易船の中継港としても使用されていました。
船上城ですが堀跡が小さな水路として残っているだけで、住宅地に埋没してしまいました。主郭のあったところだけは、こんもりとして丘になっています。近くの児童公園に船上城の説明版がありました。一国一城令が出て明石城が造られる時に船上城の部材がリサイクルで使われました。明石城の巽櫓は船上城の天守か櫓といわれています。
高山右近ですが、この船上城時代にバテレン追放令が出ます。
その後、右近は天正15年(1587年)に発令されたによって船上城を追放されてしまった。高山右近は信仰を守ることと引き換えに領地などを捨てることを選んで、世間を驚かせます。

ツカ見本

ツカ見本
本の厚さのことをツカといいますが、今日、出版社でツカ見本を見せてもらいました。
どれぐらいの本の厚さになるかを確認するために作るそうで、中身は何もない白紙です。また、見開いた時、どこらへんの文字がくるか確認するのにも使うそうです。
今回は原稿が375ページになっちゃいましたので、薄い紙を使っても、けっこうなツカになりました。何も書かれていなくても本の形になっていると、やはり重みがありますね。校正は最終段階にはいり2月21日の発売に向けてラストスパートになりました。
バグは本当に虫だった-なぜか勇気が湧いてくるパソコン・ネット「100年の夢」ヒストリー91話
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桑名商工会議所・会員交流会

ゆめはまちゃん
昨夜は桑名商工会議所の会員交流会。
第1部で10社のPRがあり、PRが終わってからのコメントを頼まれていたので出席しました。コメンテーターは4名でしたが、うち1名は自身もPRするという面白い構成になっていました。さすがに自分でPRして、コメントするわけにはいきませんので、そのコメントはこちらにまわってきました。
なかなか華やかなイベントで、ウチも東大阪商工会議所会員なんですが、こんな交流会をやってくれないかなあ。第2部は会場後ろに20社ほどの展示ブースが設けられていて、展示ブースの見学会。
第3部は交流会ですが、乾杯前に、津軽三味線の生演奏。杉山大裕という23歳の奏者で、なかなかのイケメン。競技会でも優勝しており、優勝した曲の演奏もありました。桑名のユルキャラ「ゆめはまちゃん」によるPPAPもありました。
さすがに桑名から帰る間に、酔いはすっかり醒めてしまいます。

小谷城

小谷城
小谷城といっても近江にある有名な浅井長政の小谷城ではなく堺にある小谷城です。
泉北高速鉄道の泉が丘駅にあるので周辺は住宅街です。ここに鎌倉時代から続く山城跡があり、平政有が城を築いたといわれています。
今や住宅街のど真ん中なんですが、阪和第一泉北病院を作る時に、病院が山城跡を残すことを決定。英断ですねえ!というわけで病院の横から階段を登ると小谷城の主郭跡にたどりつきます。住宅街なんでスーツ姿で登れる山城です。
■平氏一門・小谷氏
鎌倉時代の終わりになると、楠正成の軍に加わって南朝方で戦っていました。小谷城は千早・赤坂から狼煙火の中継点として使われていたようです。
やがて織田信長の根来攻めの時に、あたり一帯が根来側だったため攻められ落城してしまいます。子孫は小谷氏として郷士となり、大坂の陣では家康側で戦っていました。

岡城(畑城)

岡城
大津皇子の墓が二上山の雄岳にありますが、ちょうど雄岳に登る登山口近くの尾根にあるのが岡城(畑城)です。登山口から山城に入る道がなく、仕方なく切岸、早くいえば崖を登って先端の曲輪に入りました。帰りに給水タンクの裏側から登れたことを発見します。
尾根沿いに曲輪がずっと続いており、曲輪と曲輪の間には堀切もあります。写真は堀切の一つですが、遠くからみたら単なる土の塊ですね。別の尾根にも曲輪が続いているので、かなり大きな山城ですが、曲輪のなかは藪でした。
■国人・岡氏
山城では珍しく造った人が判明しており、国人・岡氏の山城です。大和の地には守護がおらず興福寺が支配し、国人が属していましたが一乗院傘下の筒井氏・越智氏、大乗院傘下の十市氏・古市氏に分かれて争われていました。岡氏は応仁の乱では越智方に属していたようです。
戦国時代に入ると松永久秀に属することになります。曲輪の端から見てみたら、すぐ先に信貴山城がみえますので、松永久秀に属さないわけにはいかないでしょう。松永久秀が信長に滅ぼされる前に信長に寝返りますが、許されず焼き討ちされたようです。

電子メールの日

誰も教えてくれなかった中小企業のメール活用術
本日は1(いい)23(ふみ)の日ということで電子メールの日になっています。
便利な電子メールですが、スパムメールや標的型メール攻撃が増えておりますので、ご注意を!電子メールの使い方でお悩みでしたら「誰も教えてくれなかった中小企業のメール活用術 」をぜひ、どうぞ!(笑)
Kindle Unlimitesを申込まれている方は対象商品です。印刷版もあります。

バグ本(バグは本当に虫だった)が出ます 

バグは本当に虫だった なぜか勇気が湧いてくるパソコン・ネット「100 年の夢」ヒストリー91 話
バグ本が出ます!
正式名称は『バグは本当に虫だった なぜか勇気が湧いてくるパソコン・ネット「100 年の夢」ヒストリー91 話』です。
発行:ペンコム 発売:インプレス 1,944円
発売日:2月21日
長いのでバグ本と読んでいます。山城巡りのシーズンだというのに年末からずっと家にこもって校正作業をしておりました。(笑)
パソコンやネットの歴史なんですが、あまり知られていない逸話を中心に取り上げていて、文系の方向けに分かりやすく書いています。
電子版も同日発売します。
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一番長命な大阪城天守閣

大阪城
大阪府よろず支援拠点の帰りは森ノ宮駅まで歩いています。なんてたってライトアップされた大阪城が見えるのが一番!写真は徳川時代から残った一番櫓です。
豊臣時代の大坂城は土の下に埋没していますが天守閣は1583年頃から造られはじめ、大坂夏の陣で燃えてしまいましたので、建っていたのは32年ほどです。
秀忠によって造られた徳川時代の大坂城は現代の大阪城ですが、1629年に完成し、天守閣は落雷によって1665年に焼失してしまいます。ですので天守閣が建っていたのは36年ほど。
現在の天守閣は昭和6年(1931年)に建てられて、現在まで続いていますので86年になります。つまり豊臣大坂城、徳川大坂城よりも一番長命な天守閣となります。

土田御前のお墓(四天王寺)

土田御前
”津に信長のお母さんの墓があるの”という声があったので、三重県産業支援センターすぐ横の四天王寺に行ってきました。津藩・藤堂家の菩提寺です。ここに土田御前(信長のお母さん)の墓があります。土田御前の子供は信長、信行、秀孝、信包、市、犬といわれています。
織田信行は信秀からつけられた家老・林秀貞、柴田勝家と共に信長に反逆し、土田御前のとりなしで許しをえましたが、再度の反逆で信長に討たれました。本能寺の変のあとは孫になる織田信雄のもとにいましたが、この時は清州城にいたのでしょう。やがて、織田信雄と徳川家康が組んで小牧・長久手の戦いが起き、織田信雄は秀吉と和睦。小田原攻めの後に家康が関東に移され、空いた三河・遠江に尾張から移るようにいわれたのを拒否。これで改易されてしまいました。
居場所がなくなった土田御前はこの時に信長の弟である信包(三十郎)のところへやってきたのでしょう。信包は織田信長の伊勢攻めで中勢地域の名家・長野工藤家に養子にはいることで乗っ取った人物で、当時は津城にいました。土田御前は津で亡くなり、四天王寺に墓ができることになります。