石切夢観音

yume201201.jpg近鉄電車から見ると石切駅に着く前に山に変なオブジェがあって前から気になっていたんですが、石切神社上之社のすぐ横にありました。その名も石切夢観音。

ネットで調べると毎月1日、日曜、祝日の昼間(10時から4時まで)しか開いていないそうで参拝するのがなかなか困難な観音さんなだそうです。参拝した方のいろいろなブログを見ると「なんじゃ~こりゃあ!」という感想ばかり(笑)

「日本で三番目 石切大佛」、「土地時価約壹億圓 東大阪市へ個人寄付 旧和歌山藩士勲五等正六位 四世 阪本昌胤」やらワケのわからない不思議なものが一杯の石切なんですので驚くにはあたりません。パワースポットでもありミステリースポットでもあります。

石切神社

ishikiri201201.jpg近くの石切神社に注連縄を置きに行ってきました。今日の夜、どんと焼きで燃やされます。

石切神社はでんぼ(腫物)の神さんで有名で、平日もお参りが多いのですが土日はかなり増えます。境内の入口と奥にお百度石が立っていて、そこをグ
ルグル回るのが石切神社のお百度参り。ざっと40人ほどが回っていて流れるプール状態です。日本にはたくさんの神社がありますが集団でお百度参りが行われ
ているのは石切神社ぐらいでしょうね。

石切神社の正式名称は石切劔箭神社で祭神は饒速日尊(にぎはやひのみこと)。神武天皇以前に天磐船で河内に降り立った天神で、この饒速日尊が物部氏の祖先になります。神武天皇を大和に迎え入れ大和朝廷を設立させます。

石切は大和朝廷の設立時代以前からあるパワースポットですので、神社近くの商店街には占いの館がずらっとあり他にはない異界になっています。道幅の狭い商店街を少し歩いてみましたが人が多かったですね。商店街のゆるキャラであるイシキリンはいませんでした。

どんと焼き

suwa201201.jpg四日市商工会議所へ行く途中、諏訪商店街の中にある諏訪神社に初詣。昔の東海道に面した神社で古社です。

境内にはどんと焼きの準備のため、注連縄やお守りが積み上がっていました。子供の頃、家から棹に網をつけ、餅を持って神社へ行っていました。どんと焼きで焼いたお餅を食べると無病息災で過ごせるという風習があり、よく焼いていましたね。

どんと焼きですが地方によって呼び方が違い、一般的には左義長と言うんですね。信長が安土の左義長で爆竹を鳴らしながら派手な行進をしたことが朝廷にも伝わり、京都で行われたのが馬揃えです。

さてウチの注連縄も明日、石切神社に持っていかなければ!

明治製菓の巨大看板

meiji201201.jpg昨日、摂津富田へ行ったついでに明治製菓の巨大看板を見てきました。

JR京都線に乗っている人にとってはおなじみの看板です。サイトを見ると高さ27.6メートル・幅165.9

メートルとあります。これがチョコレートの形をしているのでインパクトありますね。

高槻駅の1日あたりの乗降客数が14万人、摂津富田が5万4千人ですので、おそらくJR京都線で通過している人は1日100万人以上。毎日、ミル
クチョコレートを見て通勤、通学しますので、絶対に意識に刷り込まれてチョコレートを食べたくなることを想定したのかなあ。バレンタインに関西圏のミルク
チョコレートの売上が上がると効果大なんですが。(笑)

でも明治製菓の大阪工場がどこにあるか知名度はかなり高まりました。この看板、明治ミルクチョコレートの約38万枚分でビッグミルチと呼ばれています。もともと社内で明治ミルクチョコレートをミルチの愛称で呼んでいたそうです。

今城塚古墳

imaki201201.jpg午前は向日市でお仕事。午後は摂津富田で途中下車して今城塚古墳へ。いろいろと学説がありますが本当の継体天皇陵ではないかと言われている古墳です。

天皇陵に指定されていないので発掘が進んでいて、いろいろな発見につながりました。現在は公園として整備されています。周囲には円筒埴輪がずらっと並び、なかなか壮観ですね。前方後円墳そのものにも登れますが、大きすぎて全体をつかむのは難しく、まさしく山ですね。

周囲をめぐる堀の外に周濠がめぐっているのですが、一角が広くなっていて、家・大刀・盾・人物・動物などで190点近くの埴輪が並んでいました。その部分も復元されています。埴輪は全部で6千点ほどあったそうです。

戦国時代、古墳は二重に堀がめぐっていたこともあり織田信長が三好一族を攻めるための砦を築いていました。そこで今城という名前になったようです。

古墳のあるあたりは氷室町という名前で古い土地なんですなあ。

商売繁盛で笹もってこい

nukata201201.jpg本日は本エビス。

家から歩いてすぐの所にある額田戎神社へ行ってきました。いつもは閑散とした神社なんですが、この3日間だけは参拝客で賑やかです。地元の戎神社ですので、今宮さんほど混雑することもなく地元の商工業者がお参りしているだけです。

戎神社にはイザナギ、イザナミの子である蛭子命(ひるこのみこと)を祭る神社と大国主命(大黒さん)の子である事代主神(ことし
ろぬしかみ)を祭る神社があり、西宮は蛭子命を、今宮戎神社は事代主神を祭っているそうです。額田戎神社の由来を見ると、事代主命を祭っているそうで、夢
のお告げで西宮のえべっさんを勧請したということなんですが、なんで事代主命なんかなあ。江戸時代にも夷大明神と記録があるので、地元にずっとあった戎神
社のようです。

えべっさんは元々は漂流神で、海水で中耳炎になり耳が遠くなったそうです。ですので本殿でお参りした後、本殿の裏にまわって木戸をたたき再度、お願いをします。(今宮では木戸でなくドラになっています)

縁起物を買って帰ってきました。また1年間、がんばろう!

清盛楠

kiyomori201201.jpg清盛楠。何回も外宮へ行っていますが、こんなものがあるとは知りませんでした。場所は表参道の火除橋を渡った手水舎の反対側。

平清盛が勅使として伊勢神宮へ来た時、冠に当たった枝を切らせたという逸話があるそうです。ですが何の案内もないので、調べていかないと分かりませんね。

大河ドラマは「平清盛」なので、どこかで紹介されるかもしれませんね。平清盛のお父さんは平忠盛ですが生まれたのは津市で、津の産品に忠盛塚が
残っています。この地域には殿村という名前がありますので伊勢平氏の本拠だったのでしょうね。伊勢平氏の強みは伊勢の海運だったので神戸の湊や瀬戸内海航
路の開発につながったのでしょうね。

まんぷく食堂の唐揚げ丼

manpuku201201.jpg午後は伊勢商工会議所でIT窓口相談。昼休みに近くの外宮へ初詣に行ってきました。外宮参拝後のお昼は宇治山田駅のすぐ近くにある「まんぷく食堂」の唐揚げ丼。

伊勢市民の三大ソウルフードというものがあり、子供の時から食べて大きくなり、懐かしさのあまり大人になっても通うというお店が3つあります。その一つがまんぷく食堂の唐揚げ丼。他にキッチンクックのドライカレーとモリのスパゲッティがあります。

実はキッチンクックのドライカレーを食べに行こうと店に行ったら行列ができていました。伊勢市民には有名なお店ですが、観光客にはてんで関係がな
いお店なんですがねえ。というわけですぐ近くにある「まんぷく食堂」に切替。こっちはすいていました。唐揚げ丼はカツ丼のカツが唐揚げになったもので
600円。ボリュームたっぷりで学生向けメニューですね。おいしゅういただきました。

確定申告(青色申告)の準備

個人事業主の会計年度は1月~12月ですので、年が明けたこともあり銀行へ行って通帳に記帳してきました。会計ソフトを立ち上げてたまっていた銀行取引を入力。

この数字が一発であわない。(笑)仕方ないので一つ一つ数字をチェック。

数字の入れ間違いやら仕訳間違いを直してようやくあわせました。次に売掛金と売上をまとめます。1月になると支払調書が届き始めるので、そのチャック用です。今年も便利な電子申告を活用しますので、そっちの準備もしておかなければ。

奈良の正月

nara20120103.jpg1月2日&3日と奥さんの実家の奈良へ。最近は興福寺近くの飛鳥荘に泊まり、親戚が集まるスタイルになっています。

まずは春日大社へ初詣。奈良駅からずっと人の列が続き、神社の境内にはずらっと屋台が並んでいます。去年は入口階段で入場制限していたのですが、今年は入場制限なく、そのまま入れました。やっぱり境内は人でごった返していました。

飛鳥荘にそうそうに戻り、16時から大浴場に入れるので、さすがにこの時間から入っているお客はいませんでした。(笑)広々としたお風呂でのびの
びと。夜は露天風呂へ。飛鳥荘の目の前が興福寺の五重塔なので、露天風呂からライトアップされている五重塔が目の前に見れます。なかなか幻想的。食事は正
月仕様になっていて、なかなか華やかなんですが量が多かったですね。

朝は夜明け前の興福寺に行ってきました。南円堂は7時前からお参りする人が多いんですね。お坊さんの般若心経の声が響いていました。高校ラグビー
チームが奈良のいろいろな宿舎で合宿していますが、南円堂に30名ほどがお参りしていました。今日にでも花園で試合があるのでしょう。