ボジョレーヌーボー解禁

ボジョレーヌーボーの解禁です。ということで解禁日に届いたボジョレーヌーボーをいただきました。

ボジョレーヌーボー
ボジョレーヌーボー

ボジョレーヌーボーといえば40年ぐらい前、SRA関西支社でシステムエンジニアをしていた頃、解禁日に先輩から下宿にボジョレーヌーボーの樽が届きます。「おお!ラッキー」と思ったらメールが来て、1週間後にワインパーティを開催するから送った樽を持ってこいと書いてあります。

なんで自分のところに送らないのかと樽についていた説明書を読むと、樽には濡れ雑巾などをかけて乾燥しないようにしないと注意書きがあります。面倒な作業を押し付けられたのですした(笑)。ちょうど前のプロジェクトが終わって残業もあまりなかった頃なので、会社から下宿に戻って、せっせと雑巾などをかけておりました。樽といっても運べる大きさですが、まあまあな重量ですので、約束の日はバックパッキング用のリュックに括りつけて運びます。

樽のメンテナンスが完璧なんで、とってもおいしかったですね。

新宮神社 表門

甲賀にあるのが新宮神社。神社の門は1485年のものだそうです。ちょうど室町時代で、都の徳政一揆、山城国一揆、加賀の一向一揆などが起きた騒然とした時代です。この後、北条早雲や斎藤道三が活躍する戦国時代になります。

新宮神社 表門
新宮神社 表門

門は茅葺の八脚門で国の重要文化財になっています。甲賀地域には甲賀郡中惣と呼ばれる大きな連合組織がありました。また各地域では惣寄合がもたれ、合議制によって様々な決め事や問題解決にあたります。この新宮神社も話し合いがもたれた舞台の一つで当時の記録にも名前が出てきます。嵐の大野智が主演を務めた映画「忍びの国」でも神社での談合シーンが出てきましたが、あちらは伊賀なんで敢國神社ですが、あんな雰囲気だったのでしょう。

倉治城

Googleマップはどんどん優秀になっていて山城の本などに出てこないマイナーな城まででてきます。甲賀へ行った時にGoogleマップで見つけたのが倉治城というお城。

倉治城
倉治城

実際に行ってみたら高台になっていて確かに城を造るには敵地です。跡地は農地や住宅が建っていましたが、低い土塁が残っていました。東側は高台ですが西側がなだらかに丘が続いているので、こちらには堀切かなにかを設けてのでしょう。倉治と呼ばれる集落で、ここは甲賀53家の一つである倉治氏が支配していました。

第9代将軍・足利義尚が近江守護・六角高頼を攻めた鈎の陣では倉治氏は六角氏側で武功をあげたようです。鈎の陣は甲賀忍者がはじめて登場したと言われる戦いでした。

古河大阪ビルディング

今日は久しぶりに都会でお仕事(笑)。

古河大阪ビルディング
古河大阪ビルディング

堺筋本町界隈はオフィス街ですが高層建築というとタワマンばっかり。さすがに中ノ島界隈はオフィスの高層建築がけっこうあり都会の雰囲気です。大阪もようやく涼しくなってきたこともあり、紅葉がすすんでいます。

中之島フェスティバルタワー・ウエストに上がってきました。橋の向こうにサントリービルが見えるのですが古河大阪ビルディングは更地になっていました。SRAでシステム開発していた頃、分室があり徹夜などもよくやっていたのですが、なくなってしまいましたね。

ファイティング・コンサルタンツ研究会 灘へ

中小企業診断士の研究会のはずが最近は歴史巡りと酒飲み集団になりさがっているファイテンング・コンサルタンツ研究会です。

さかばやし
さかばやし

昨日は最初からお酒ということで灘へ。灘五郷のうち魚崎郷、御影郷を巡ってきました。菊正宗酒造記念館~白鶴酒造資料館~神戸酒心館~さかばやし、という定番コースです。白鶴では観光バスも止まっていてインバウンドが少し復活していました。

ファイテンング・コンサルタンツ研究会は20年の歴史がありますが、名付け親も珍しく参加していました。最後は御影駅へ出て、駅前にある焼き鳥屋の前で17時のオープンをひたすら待って、宴会開始。ワイワイやっておりました。

望月支城

望月城を降りて次は望月支城を目指します。支城となっていますが、同じ望月氏の独立した城で、何かあった時は望月城と連携していたのでしょう。望月支城へは谷を越えて高台に登っていきます。

望月支城・入口
望月支城・入口

事前にネットで調べると土塁を直登したなどの記載があり、こりゃ城までの道はないなと覚悟しましたが、道路から藪に入ると土塁の外側にスロープ上の道がありラッキー。なんなく城に入れました。望月支城は虎口が一つの典型的な方形プランです。織田信長が足利義昭を奉じて上洛した時に敗れた六角氏は甲賀に逃げましたが、六角氏は望月氏と連絡をとっていたため、一時期、望月城か望月支城に留まっていたようです。

望月城

甲賀の杉谷にある望月城へ

望月城
望月城

新宮城、寺前城,村雨城などは甲賀郡中惣遺跡群として国指定史跡となっているため看板が設置され分かりやすいのですが、望月城はふつうの山城と同じで何の目印もありません。大体、城があるあたりにあたりをつけ、集落を抜けると細い山道がありました。この山道を登ると神社の祠があり、山道は神社への道でした。この神社がちょうど郭の一つになります。

さらに奥に向かうと土橋があり、虎口を入って望月城の主郭にはいれます。甲賀の典型的な方形の郭で、ぐるりと土塁が巡っています。高さは7mぐらいですね。北東隅の土塁は少し広いので櫓台があったようです。

正倉院展へ

正倉院展へ

奈良国立博物館
奈良国立博物館

コロナ禍で予約購買制になり、面倒だと足が遠のいていましたが、久しぶりにチケットを買って行ってきました。以前は閉館90分前から入れるオータムレイトチケットがありましたが、平日の最終は16:00入場になっています。これをポチッと押して購入。夕方に奈良へ出かけオータムレイトチケットと同じ16:30頃に奈良国立博物館に到着。平日は18時まで開館で入場締切は17時になっています。

16:30に行くと入口には誰も並んでいません。16時から入場できるチケットなので皆さん16時に入場した模様です。ということで混雑なしにゆっくり見てきました。毎回、楽しみにしていた写経生の欠勤願いなんかはなく、その代わり予算書などがありました。興味深かったのが天蓋の残決です。飛鳥時代の布を流用したようで、編み方が全然違う構成になっていました。

寺前城

大谷池
大谷池

村雨城から谷に降りて進み、土塁を登ると寺前城があります。村雨城と寺前城は2つの城が連結したタイプで新宮城・新宮支城と同じです。別の説では一つの城で村雨城が主、寺前城が従で運用していたのではないかとも言われています。

寺前城の前面には大谷池が拡がっていますが、近世に用水池として整備されたもので城が造られた頃は谷だったのでしょう。大谷池側の方は遺構が改変されているので、よく分かりませんが反対側などは虎口に行くまでに喰い違いになっていたり、かなり複雑で技巧的で、楽しめます。

村雨城

村雨城
村雨城

国の史跡になっている甲賀郡中惣遺跡群の村雨城です。丘陵の北端に築かれ、城の入口には忍者がひっついた大きな看板もあり、中も整備されています。ただ文献等には登場せず、城主や歴史など不明です。5つほどの郭で構成され大きな郭が2つあり、主郭のまわりは土塁で囲まれていました。土塁に登ると深い堀切を見ることもできます。虎口は平虎口になっています。織田信長の上洛時に敗れた六角氏が甲賀杉谷へ逃げましたので、その時にも改修されたのでしょう。

昔のファミコンゲームに「謎の村雨城」があり、ゲームは村雨城を乗っ取った敵を倒すため、幕府が送り込んだ青年剣士を操作するゲームでした。一部マニアには、ここが舞台ではないかと言われています(笑)。知らんけど。