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小さい頃、読んだ絵本に「千本松原」があります。薩摩藩が苦労しながら木曽三川の治水工事にあたった物語。木曽三川が集まった地域は水害の多い所で、そこで川を分ける工事が行われます。幕府に命じられたのが薩摩藩。堤防が作られ、堤防には松が植えられました。これが千本松原です。
多額の費用がかかった難工事で、薩摩藩士の多くが怪我や病死。また藩に迷惑をかけたと家老などが切腹しています。工事に関わり命を落とした薩摩義士は桑名の海蔵寺などに埋葬されています。
新幹線で木曽三川(木曽川、長良川、揖斐川)を通過する時は、川と川の間隔は空いていますが、下流の近鉄名古屋線やJR紀勢本線あたりでは、かなり狭まります。特に長良川と揖斐川はほとんどひっついていて、川の間は道路が走っているだけ。この堤防の一部が薩摩藩士が作った千本松原です。
何気なく見ると、川の中を車が走っているなかなか他では見られない風景を見れます。この道路もすぐ下流でなくなり、長良川と揖斐川が合流し、さらに木曽川が合流して伊勢湾に流れています。