専門家派遣の帰りに田原本町へ寄ってきました。
ここには弥生時代の環濠集落遺跡、唐古・鍵遺跡があり、楼閣が描かれた土器が見つかったことで有名です。
「出雲と大和」(岩波書店)では田原本町を邪馬台国に比定しています。田原本町という場所は、まさにヤマトの中心地。
都がおかれた飛鳥の地はヤマトの中心部ではなく、少し高地になっていて、中心部からかなり離れた土地です。なんでこんなところへ都を作ったのかなと不思議なんですが、当時、中心部は湿地帯だったという説もあります。
もしくは、唐古・鍵遺跡あたりの部族と、なにかあったかもしれません。神武東征以前にヤマトにいた部族としてはナガスネヒコとニギハヤヒ(物部氏の先祖)ですので、根城にしていたのが田原本町だったのでしょうか。
唐古・鍵遺跡には姫川のヒスイや尾張、吉備の土器も入ってきていて交易の中心地のようでした。この後にできる巻向遺跡も各地から土器が集まっていますので、唐古・鍵遺跡の経済面を継承したかもしれません。
ミュージアムもあり、いろいろな土器が飾られていました。中には土器に犬の歯型がついていて、土器を焼く前に犬がいたずらしたようです。ネズミがひっかいた跡が残っている土器もありました。