野崎と言えば桂春團治の十八番「野崎詣り」、上方落語の舞台です。野崎観音のある慈眼寺への参詣を野崎詣りと言いました。
JR学研都市線の野崎駅から少し歩くと野崎詣りの慈眼寺があります。。寺の入口はえっちらおっちら石段を登った高台にあります。寺の裏側からハイキングコースがあり、寺の裏山へ登ることができます。少し登ったところにあるのが野崎城跡。野崎詣りをする人は多いのですが、こんな雨の日に城跡に登っている酔狂な人間はさすがにいませんね(笑)
城跡は何も残っていないんですが郭跡などはそのまま見晴らし台になっています。堀切があるのですが、かなり深くなっていました。
太平記に南朝側の楠木正行に対峙するための北朝側が陣をひいたと記録があります。戦国時代にもいろいろな文献に登場しますので合戦の舞台によくなったようです。確かに城跡からは四条畷や野崎が一望でき、戦略上の要害だったようです。
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柏原城(名張)
午前中、津での仕事が終わり、夜まで時間があったので大阪へ向かう途中の赤目口駅で途中下車して柏原城を見てきました。
近鉄・赤目口駅から南側(赤目四十八滝方面)に少し行くと柏原という土地に出ます。ここに勝手神社があるのですが、柏原城の城主(滝野氏)が勧請したものです。勝手神社の北側に小さな道があり、100メートルほど上がると東側に水田が見え、水田の向こう側の丘の上に柏原城があります。水田の向こう側に城の案内板が建っていました。
ここは天正伊賀の乱が終結を迎えた場所です。伊賀に攻め込んだ織田信長軍に対して、伊賀の土豪が最後の決戦地に選んだ場所。先日、行った織田方の滝川城から攻めた城です。織田軍3万に対し伊賀の土豪は1600人ほど。玉砕覚悟の戦いでしたが、最後に織田軍と伊賀勢の和議が成立し柏原城は開城されました。
ネットで調べると城は藪だらけと書いてありましたが、最近、きれいに整備されたようで主郭まで簡単に登れ、土塁の中の木もきれいに切り取られ周囲の土塁や、当時から残る井戸もしっかり見ることができました。土塁に登ると堀切がありますが、高さは10メートル近く。この城を攻めるのは大変だったでしょうね。
柏原城へ向かう水田の道には昨日の雪が積もっていましたが、見ると足跡がついていました。こんな田舎の山城を見に来る酔狂な人間が他にもいるんですね(笑)