
中百舌鳥(堺)でお仕事だったのでランチは「じょうもん」へ
中百舌鳥駅前に昔、セレソヴィー株式会社があり、ファイティング・コンサルタンツ研究会の根城でした。2010年頃から堺東へ移転するまでの6年間ほど中百舌鳥でした。この頃は今のように酒飲み集団に堕落する前でしたので14時から17時頃まで研究会を行ってから「じょうもん」へ移動して宴会していました。研究会3時間、宴会4時間というパターンでしたね。
「じょうもん」は今も健在で日替わり定食は750円でがんばっていました。提灯はなくなっていました。

中百舌鳥(堺)でお仕事だったのでランチは「じょうもん」へ
中百舌鳥駅前に昔、セレソヴィー株式会社があり、ファイティング・コンサルタンツ研究会の根城でした。2010年頃から堺東へ移転するまでの6年間ほど中百舌鳥でした。この頃は今のように酒飲み集団に堕落する前でしたので14時から17時頃まで研究会を行ってから「じょうもん」へ移動して宴会していました。研究会3時間、宴会4時間というパターンでしたね。
「じょうもん」は今も健在で日替わり定食は750円でがんばっていました。提灯はなくなっていました。

今市城から中ツ道に戻り、北上すると五徳池があります。単なる溜池に見えますが、平城京の時代から存在し、当時は越田池と呼ばれていました。この近くで奈良時代に瓦を焼いた窯跡がみつかり、光明皇后に関連した木簡に出てくる越田瓦屋の跡とみられています。
平城京の参考にした長安(唐)の南東端には曲江池があり、平城京を造る際に真似して越田池をつくった説があります。池のほとりに白山神社があり、このあたりにあったのが東九条城で小字名「城」が残っています。神社の周りなどを歩いたのですが、それらしい遺構は残っていませんでした。

ファイティングコンサルタンツという20年以上前はコンサルティング・ファーム(経営コンサルティングのコンサルティング会社)を目指していた中小企業診断士の研究会があるんですが、10年ぐらい前から単なる歴史探訪&酒飲み集団になっています。
「飛鳥へ行きたい」というリクエストから飛鳥駅に集合。猿石→鬼のまな板・雪隠→亀石→橘寺→石舞台古墳→飛鳥京→酒船石を巡る定番コース。
ランチは「まいどおおきに食堂」へ行ったのですが缶ビールが冷えておらず、1本だけで我慢するという珍しく短時間のランチとなりました。大体、ランチで宴会を始めるのでいつもスケジュールがタイトになるんですが、飛鳥奥地にある石舞台古墳まで到達できました。石舞台近くで冷えたビールを飲み、日が暮れる17時を目指して橿原神宮駅を目指します。
途中、観光客がほぼいかない推古天皇豐浦宮跡豊浦寺にも立ち寄って、橿原神宮駅へ。駅前で空いている居酒屋を探しながら、ちょうど団体客が出た店に入り、飛鳥鍋を食べながら宴会!

同友館から「めざせ! 中小企業診断士 合格したら人生が変わった17人の物語/体験記」が届きました。書店での販売は12/1からです。
メインの顧客ターゲットは、これから中小企業診断士を目指す人なんで、狭いですねえ(笑)。
企業内中小診断士9名、独立中小企業診断士8名が、「中小診断士をめざした動機」「中小診断士試験の学習法・合格法」「合格後の中小企業診断士としての生活(3年、5年、10年)」を語っています。
第1章 中小企業診断士という資格
第2章 資格取得に向けた学習戦略とモチベーション
第3章 診断士取得後の人生(企業内診断士編)
第4章 診断士取得後の人生(独立診断士編)
第5章 資格を活用するために大切にしてほしいこと
第6章 中小企業診断士をめざすあなたに
※定価2,200円(税込)ですが著者割引、1,600円(税込+送料込み)でも販売しますので、ご希望があれば、ご連絡ください。

Mixi(ミクシ―)って覚えていますか?
2004年3月にサービス開始。2010年までは完全招待制で安心して使いやすいSNSでしたが、完全招待制を廃止してからは迷走状態となりました。スマホ対応の遅さやFacebookの日本上陸などで今では閑古鳥状態です。とはいいながら、まだ使っています(笑)。
今日、Mixiにアクセスしたら「mixiをはじめた日、覚えてますか?」というメッセージが出て21年目なんだそうで、2004年11月14日にebisu(海老名さん)の招待で参加していました。

中ツ道を歩いていると、どっかで見た光景が東側に見えます。このへんって確か城があったのでは、とGoogleマップで調べると今市城がありました。前はJR帯解駅から歩いて行った城です。
ということで中ツ道から寄り道して台地を登り、今市城へ行ってきました。城跡は住宅街になっていますが、ガマ池が南の堀として残っています。城の北側にあった堀は埋められて遊歩道になっています。今市城を造ったのは、このあたりを支配した今市氏で筒井氏に属していました。
大和は力をもつ守護がおらず、筒井氏と越智氏が争っている時代で、今市城も戦の舞台となりました。

四日市商工会議所で仕事なんで駅近くの浜田城へ寄ってきました。
主郭跡は鵜森神社になっていて郭の周りは鵜の森公園になっています。四日市駅のすぐそばですが神社を囲む三方の土塁がよく残っています。文明2年(1470年)、田原忠秀によって浜田城が築かれたと伝わっています。田原忠秀は上野国佐位郡赤堀を本貫とする赤堀氏の一族で上野国から伊勢へ移り、浜田城を築きました。東海道や市場の整備も行い、四日市という地名はこの頃にできたそうです。
3代・田原元綱の時、織田信長の伊勢攻めで滝川一益に攻められ落城します。城はそのまま残っていたようで小牧・長久手の戦いの時、織田信雄方の滝川雄利が松ヶ島城を開城した後、浜田城に移って籠城したと記録されています。

耳成駅から前栽駅を経由して中ツ道が続いていますが、街道らしい雰囲気はなく、単なる自動車道になっています。歩道も少ないので車への注意が必要です。
1ケ所だけ大和郡山市石川町に「橘街道(中ツ道のこと)」と書かれた看板があって、細い道になり両側に民家が続く街道らしきところがありましたが、すぐに終わってしまいました。大和三道を歩くなら中ツ道より下ツ道の方が街道の雰囲気があって、おすすめです。古代は幅約23メートルもある大路でしたが、今は遺構がほとんど残っていません。

前栽駅から中ツ道を北上すると道沿いに業平姿見の井戸がありました。プレイボーイで有名な在原業平が在原寺(天理市櫟本)から高安(八尾市)の恋人の所に通う途中で、この井戸に自分の姿を映したといわれています。
高安については八尾ではなく斑鳩の高安説もあります。八尾に向かうには生駒山地を超えていかないといけないので斑鳩説の方が納得できそうです。この時に通ったのが「北の横大路」で上ツ道、中ツ道、下ツ道を北側で東西に横切る路で業平道とも呼ばれています。
在原業平といえば「筒井筒 井筒にかけし まろがたけ 生(お)ひにけらしな 妹見ざる間に」(伊勢物語)の筒井筒が有名ですね。この筒井筒をモチーフにしたのが5千円札になった樋口一葉の「たけくらべ」です。
11月4日は「何の日」でしょう?

答えは「中小企業診断士の日」。
中小企業診断制度が発足した昭和23年11月4日にちなんで、中小企業診断協会が2016年(平成28年)に制定しました。まだ10年たっていません。11/4前後に各地の診断協会でイベントが行われています。昨日は大阪府中小企業診断士協会の「診断士シンポジウム大阪2025」に参加してきました。「大阪の全ての企業に活力を」という副題がついていました。
パネルディスカッションでは、生成AIの話題があがっていました。セミナー登壇者の菱田社長によると機械の調子が悪い時に生成AIに聞くと回路の石をこっちに変えた方がよいとアドバイスしてもらえるそうです。生成AIは原稿の校正などによく使っていますが、えらい時代が到来したものですね。交流会に参加した後、2次会にも誘われましたが会場がランチを食べてきた晴華だったので、そのまま帰ってきました。