小牧山城

小牧山城
織田信長が美濃攻めのため家臣ともども引っ越ししたのが小牧山城。
四日市の岡田家(イオン)には「大黒柱に車をつけよ」という家訓があります。店の屋台骨を支える大黒柱に車をつけておいて、いつでも動かせるようにしておけという家訓ですが、戦国時代に実行したのが織田信長。清洲→小牧山→稲葉山→安土と居城を常に狙う市場近くに変えていきました。もっともお父さんの織田信秀も尾張国内だけでしたが、次々と居城を移していました。
小牧山城は遺構の残りがよく堀切や郭跡が随所に残っています。麓には屋敷跡が見つかり土塁や堀が復元されています。その中で他に比べて格段に広い屋敷跡があり、これが織田信長の居館跡と言われています。麓の居館と山上の城、稲葉山城(岐阜城)とまったく同じ構図です。織田信長は岐阜攻めに際してシュミレーションしていたのかしれません。
写真は主郭跡に建つ城風の博物館。その下に見える石垣は織田信長時代のものです。

4支援機関合同連絡会議

AMIC
4支援機関というのは愛知県、岐阜県、三重県、名古屋市の中小企業支援センターのことです。各支援機関とも窓口相談や専門家派遣を行っています。
もともとは「あいち産業振興機構」の神部統括マネージャが道州制をみすえて東海地域のプロジェクトマネージャ、サブマネージャが集まって情報交換しませんかと呼びかけたのがきかっけ。平成18年にスタートしましたが、今や道州制の話はすっかり聞かなくなりました。地方分権はどうなったんですかねえ。
道州制の話がなくなっても4支援機関合同連絡会議はずっと続いて、今回で第26回目。幹事は持ち回りで行っていますが、今回は三重県が担当。当初は津にある三重県産業支援センターで行っていましたが、岐阜から遠いなどの意見があり、最近は塩浜にあるAMIC(高度部材イノベーションセンター)という三重県産業支援センターの施設で開催しています。これなら名古屋から30分ほどでこれます。
私は名古屋市新事業支援センター、三重県産業支援センターの両方でマネージャーをしていますので、両方の機関で参加しておりました。(笑)設立当初から参加しているメンバーはとうとう私一人になったようです。

館長 庵野秀明 特撮博物館

特撮博物館
水曜日、デザインセンターでのセミナー前に近くにある名古屋市科学館へ寄ってきました。目的は、「館長 庵野秀明 特撮博物館 ミニチュアで見る昭和平成の技」の特別展。大阪で開催する予定は決まっていないそうです。
平日なので、すいていました。科学館なので通常は家族連れが中心なんですが、特別展に来ているお客さんはオッサンが中心。人のことは言えませんが(笑)
「巨神兵東京に現わる」とメィキングの2本を上映していましたが、メイキングが面白かったですね。おっさん連中の技術者が集まり、楽しそうにワイワイとCGを使わずに、いかに特撮で見せるかをやっていましたが、ほんまに楽しそうです。
科学特捜隊のジェットビートルなどが展示されていましたが、懐かしかったのがマイティジャック。「海底大戦争 緯度0大作戦」のポスターなども懐かしいですね。
会場の最後には怪獣に壊された東京タワーなどがありましたが、中京テレビも主催者の一人なので「チュウキョ~くん」が家に隠れていた、りビルの上に番組表があったりして楽しめます。

リーディング産業展2日目

リーディング産業展
四日市ドームで開催されたリーディング産業展から大阪へ戻ってきました。
今日は土曜日開催でしたので家族連れなどが多かったですね。BtoC型企業にとっては何よりでした。
昨日はいろんなブースを回っていたんですが、今日は下記のセミナーに参加
■BizCafeよっかいち主催「世界に打って出る財務戦略・日本の技術」
 株式会社ジャパンディスプレイ CFO 西 康宏 氏
 4社の上場を担当した経験談が面白かったですね
■「商品&ブランドづくりのデザイン」
 ペアデザインスタジオ  プロダクトデザイナー  磯野 梨影さん
 山口久乗(高岡市)の優凛開発のお話しなど 
 仏具の技術をがいかして素敵な商品に仕上がっています。
 → 優凛
 

リーディング産業展2014

下町ボブスレー
朝から近鉄・橿原線の信号故障に巻き込まれたりして散々でしたが、四日市ドームのリーディング産業展へ出かけてきました。金、土と四日市ドームで開催され、近鉄四日市駅、JR四日市駅からシャトルバスが出ています。
リーディング産業展の第1回目は平成15年度ですから、今回で第12回目。確か北川知事が「琵琶湖環境メッセ」に触発されて三重県でも産業展をしようと始まった見本市です。全業種対応なので、製造業からサービス業まで様々な企業が出ています。
今回はマッチング支援というのがあり、出展社に事前にどんな企業などとのマッチングを希望しているのかアンケートをとり、なるべく引き合わせようというもので数社を担当しておりました。あとは、いろいろなブース見学。先週、メッセ名古屋があったので来場者は少ないかなと思ったら、そこそこあったようです。
今回は特別イベントとして「下町発!夢を追う町工場の社長たち」のトークがあり、下町ボブスレーが会場に展示されていました。

弥生時代の城跡 見晴台遺跡

見晴台遺跡
名古屋の笠寺観音のすぐ近くにあるのが見晴台遺跡。
笠寺台地の東端にあり、周囲に比べ標高が15メートルほどある丘の上で、名前の通り見晴らしがよいところです。周りは住宅街になっていますが古代は海でした。縄文時代から人が住み始めましたが、弥生時代には集落が誕生します。東西約120メートル、南北約200メートルの周りを幅・深さとも約4メートルの堀(環濠)で丸く囲んでいました。魏志倭人伝に書かれた倭国大乱の頃でしょう。
堀跡が一部復元されていましたが、底がV字形の尖った形で、戦国時代の薬研堀にそっくり。堀の深さが4メートルもあって、しかも土塁までありました。かなり防御力が高い環濠集落です。発掘によれば集落は200年ほど続いたあと環濠が埋められており、名古屋市周辺の複数の環濠集落でも同様の動きがあるので、統一政権みたいなものが誕生したのかもしれません。
古代の名古屋といえば尾張氏が勢力を持ち、一族の一つが大海氏で大海氏が養育したのが大海人皇子。壬申の乱で勝利できたのは尾張氏のおかげでした。弥生時代に誕生した統一政権が尾張氏や尾張物部氏になったのかもしれません。
ただ不思議なのは桶狭間の合戦の舞台となった鳴海城に近く、見晴台も城をつくるには好立地だったはずですが、なぜか戦国時代の城は作られませんでした。太平洋戦争時代は立地に目をつけて高射砲陣地が作られ、今も土台が残っています。見晴台遺跡には見晴台考古資料館もあり、おすすめです!

エプソン ビジネスフォーラム2014(名古屋)でセミナー講師

エプソン ビジネスフォーラム
名古屋・栄にあるデザインセンターでセミナー。デザインセンターはナディアパークという建物に入っており、建物内にはロフトなどがあって、なかなかオシャレなビルです。栄にある松坂屋のすぐ近くにあります。
米倉涼子さんがエプソンのプリンター(スマートチャージ)の宣伝をしていますが、最近、テレビCMの最後にエプソンのイベント案内(エプソン・ビジネスフォーラム2014)が流れますが、そのセミナーです。
セミナーは名古屋、大阪、東京で行われ、今日は第一回目の名古屋会場でのセミナー。名古屋と大阪でのセミナーの1枠を担当しています。セミナーのお題は「ITは所有から利用する時代へ TCOを減らす5つの方策」で1時間、TCOについてしゃべっきました。TCOというのはITに関わる初期コストと運用コストを足したものをいいます。
セミナーは午後一番でしたので、午前中は弥生時代の遺跡を見て、すぐ近くの名古屋市科学館でやっていた特撮展もついでに見てきました。セミナーが終わってからは小牧に出て、小牧山城に登ってきました。さあ、大阪に帰ろうっと!

11月11日は「いしきりんの日」

いしきりん
【石切参道商店街】
「デンボ(腫れ物)の神様」として有名な石切神社が東大阪にあります。「がん」の治癒を祈願する人が多く、いつ行っても神社入口から本殿前を行き来きするお百度参りが行われています。
この石切神社と近鉄・石切駅との間を結んでいるのが石切参道商店街。商店街で一番多いのが「占い」のお店。たくさんの占い師が店を出していて、なかには古書街のようにずらっと占い師が並んでいる一角もあります。この商店街のマスコットキャラクターが「いしきりん」。
【いしきりん】
「いしきり+きりん」から命名されています。一応、未婚の女の子なんだそうです。
ずんぐりむっくり体型で、とてもキリンにはみえまえん。しかもキリンなのに首(クビ)がありません。そこから就活、リストラ除けのお守りや、アスリートの足切り(ボーダライン)用お守りとして、「いしきりん」グッズが売れています。
身長:1m4cm
体重:スイカ4個分
特技:時速50キロで走れる(ホント?)
尊敬する人:まんまちゃん
誕生日:11月11日(いしきりんの日) ← 今日です!
タレントとして松竹芸能に所属しています。(笑)

ニッカ池

毛利
報道ステーションで天気予報となると六本木ヒルズの毛利庭園がバックに映ります。だいたい天気予報が終わるとテレビを消して、本を読んで寝てしまいます。(笑)六本木ヒルズのある場所には江戸時、長府毛利家(支藩)の屋敷がありました。
江戸時代初期、幕府や他の諸藩を折衝にあたる江戸留守居役をおくことになり白羽の矢があたったのが福間彦右衛門という人物。筆まめだった人で膨大な日記『公儀所日乗』を残してくれました。おかげで当時の社会情勢や幕府と藩との関係がよくわかる一級資料になっています。講談社学術文庫から「江戸お留守居役の日記」として出ています。
麻布の土地はもともと水が豊富なところで江戸時代から金魚養殖がよく行われていました。戦後1952年にニッカウヰスキーの東京工場ができた時、毛利庭園にあった池はニッカ池と呼ばれていました。
とてもきれいな水で、ジュンサイも生えていたそうです。ウイスキー造りには最適だったのでしょう。現在は毛利池となっていますが、かってのニッカ池はこの毛利池の地下に埋土して保存されています。こんな話は「マッサン」には出てこないでしょうね。

紅生姜の天ぷら

紅生姜の天ぷら
織田作之助の代表作「夫婦善哉」に
「路地の入り口で牛蒡、蓮根、芋、三ツ葉、蒟蒻、紅生姜、鯣、鰯など一銭天婦羅を揚げて商っている種吉は借金取の姿が見えると、下向いてにわかに饂飩粉をこねる真似した。」
という一節が出てきます。
子供相手に天ぷらを揚げて売るお店の描写ですが、ちゃんと紅生姜の天ぷらを売っています。
今日のお昼は天ぷら蕎麦にしようとスーパーへ行くと、天ぷらコーナーに紅生姜の天ぷら(68円)を売っていたので、迷わず購入。時たま売り切れになっていたりします。紅生姜の天ぷら、やっぱり、おいしいですなあ。
以前に日経新聞で紅生姜の天ぷらを取り上げていましたが、この紅生姜の天ぷらって大阪、奈良、和歌山で食べる人が多く、同じ関西圏でも兵庫、京都、滋賀ではそれほどでもないという調査結果が出ていました。関東にいたってはスーパーへ行っても売っていません。
その割には、さっきクックパッドを見たら、「紅しょうが 天ぷら」 のレシピが122品あがっていました。でも全国的ではないんですね。ビールのアテには最高なのにねえ。