福島正則陣跡(関ヶ原)

福島正則陣跡
関ヶ原シリーズ よく続きますねえ。(笑)
第11回目は福島正則陣跡です。
関ヶ原駅から少し西に向かうと松尾という交差点があり、少し南に行った春日神社の境内に福島正則陣跡があります。この神社の大杉は樹齢800年で、400年前の関ヶ原の時にもあり、関ヶ原合戦屏風の真ん中に描かれています。神社も当時からあったようで祠も描かれています。ここらあたりに陣を置いた福島正則は目の前の宇喜多軍とぶつかりますが、宇喜多勢の前衛が大河ドラマ「真田丸」にもきっと出てくるキリシタン武将・明石全登です。
■石田三成がきらいだった福島正則
福島正則は小さい頃から秀吉に預けられ加藤清正らとともに、秀吉の奥さん「お寧」に育てられ初陣は播磨の三木城攻めだったようです。文禄の役の頃から、石田三成とはそりがあわなかったようで、七将による石田三成襲撃事件にも加わっています。
先日、「地形で読み解く真田三代最強の秘密」(朝日新書)を読んでいたら、この襲撃事件の話が載っており、福島正則は三成に襲撃を事前通告していたそうです。石田三成が挙兵するか家康のもとへ行った時に殺してしまおうと考えていましたが、家康はそんな安直な道を選ばず、三成を隠居させることになります。この時、佐和山城へ送り届けたのが家康の次男・結城秀康で三成は結城秀康に秀吉からもらった名刀・正宗を送り、現在まで伝わり重要文化財になっています。ただ、三成の隠居がきっかけで関ヶ原の合戦になりましたので家康も驚いたでしょう。
■名槍を黒田家にとられた福島正則
大河ドラマ「黒田官兵衛」でも描かれていましたが、福島正則が黒田家家臣・母里友信に酒すすめたところ、断られ酔っていた福島正則は母里友信を罵倒し、「これしきの酒が飲めないのか、飲めたら何でもやるぞ!」と言ってしまいます。酒癖が悪かったようですね、自戒しないと(笑)。怒った母里友信が見事に酒を飲みほし、秀吉からもらった名槍をまんまとせしめます。これが「酒は呑め呑め~」の黒田節となります。
関ヶ原の後、福島正則が領地にしたのが広島藩。三成とは反目していましたが、気持ちは豊臣方だったため大坂の陣では江戸にとどめられます。家康が死んだ後、広島城の石垣等を幕府に無断で修理したことが武家諸法度違反にとらわれ、結局、福島家はとりつぶしとなりますが旗本としては残りました。

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