関ヶ原の合戦は美濃の関ヶ原だけでなく東北から九州まで各地で戦闘が行われましたが、小牧・長久手の合戦も尾張だけでなく伊勢などが戦場になりました。
■蟹江城合戦
名古屋から桑名へ向かう途中にあるのが蟹江。蟹江駅の近くの地名はそのものずばり「城」になっています。戦国時代、ここに蟹江城がありました。現在は住宅地に本丸にあった井戸が残っているだけです。この蟹江城で蟹江城合戦が行われました。
家康・信雄陣営と秀吉陣営がこう着状態になった時、秀吉は既に隠居していた滝川一益と一益の息子に加勢を頼みます。滝川一益は清洲城と桑名城の連携を妨害するために途中にある蟹江城の攻略をはじめ九鬼水軍と連携して蟹江城を落城させます。蟹江川をはじめ川が多く、ゼロメートル地帯で湿地帯になっていますから攻めるのは難しかったでしょう。
ここまではよかったのですが、秀吉側の主戦力の投入などが遅れ、織田信雄と徳川家康が蟹江城を攻め、これを開城させます。蟹江城合戦こそが徳川家康の生涯における最も重要な勝利であるという評価もあるような戦いでした。
月: 2016年2月
電子申告が終了
水谷IT支援事務所という個人事業をしていますもので、確定申告をしなければなりません。
天気予報では雨ということで、朝から一杯やりながらパソコンと格闘しておりました。(笑)税務署へ行くのは面倒なので、毎回、電子申告(E-Tax)を使っています。電子申告には電子証明証が必要ですがマイナンバーカードはいつ手に入るか分からないので、前もって住基カードの電子証明書を更新しておきました。
まずは2015年度(第14期)の1年間を締めて決算を行います。もっとも会計ソフトがやってくれるので楽ですねえ。仕訳間違いや変な所を修正し、決算データは終了。社会保険料控除や小規模企業共済控除などを行って申告資料が完成。
「申告資料ができた!」とICカードリーダーと住基カードをセットして、いざ送信すると「送信できませんでした」というエラー。おかしいなと思ったら、デフォルトが「個人認証(番号カード)」になっているんですね。「個人認証(住基カード)」を選び直して送信したらOKでした!
さあ、終わった!本格的に飲もうっと!
茨木郊外に残る安威砦跡
先日、高槻からの帰り道に茨木で下車。駅前からバスに乗って郊外の安威という場所へ。近くには追手門学院大学があります。
安威川が流れていて、川沿いに茨木と京都の亀岡を結ぶ街道が走っています。この街道を見下ろす天神山の山頂に築かれたのが安威砦。3つの曲輪と帯曲輪などが残っており、見事なのが曲輪との間の大堀切。高さは8メートルほどあります。一番端の曲輪へ行くと街道をすぐ下に見下ろすことができます。街道側には石垣跡もありましたので、街道を威圧していたのでしょう。
城を造ったのはこのあたりを支配していた安威氏で、近くに安威城があり、安威砦は詰めの城だったようです。安威城は住宅化で遺構がなくなってしまいましたが、こちらの砦はよく残りました。安威氏は茨木城主・中川清秀に属していたようです。
城の近くには排水場があり、舗装された道が通っており、ここから山城まではすぐ。ですのでスーツ姿でも登れる山城です。
高山右近の高槻城
高槻で午前中、お仕事でしたので終わってから高槻城跡に行ってきました。といっても城跡は残っていません。ただ街を歩き外堀跡には今でも見事な高低差が残っています。ほとんどブラタモリですねえ。(笑)
高槻城で有名なのが高山右近。キリシタン大名として有名で、先日、バチカンによって福者として認定されたと報道がありました。
■高山右近
高山右近はもともと北摂の余野近くにある高山の出身。まだ行けていませんが高山城という山城があります。
織田信長が足利義昭を伴って京都入りしたことから高山右近など摂津の国人衆は信長に従うことになります。また高山右近は強奪にちかいやり方で高槻城城主となります。戦国時代ですので血塗られたこともいろいろやっており、キリシタン大名になるのも救いを求めたためのでしょう。
摂津をおさめる荒木村重の与力となりますが、この荒木村重が信長に謀反を起こします。右近は悩みますが信長に味方。これが荒木村重敗北の一因となります。本能寺の変の後の山崎の合戦では先鋒として活躍。秀吉のもとで活躍しますが、やがてバテレン追放令がでます。
高山右近は棄教をすすめられますが、領地も財産もすべて捨てて信仰を守る方を選びます。前田利家に招かれて金沢に滞在していましたが、徳川家康の時代となりマニラに国外追放となり、現地で亡くなりました。
いちもく会
大阪府中小企業診断協会は会員数が約1000名ですので、会ったことがない方がたくさんいます。
そこで研究会とは別に7つの交流会が立ち上がっています。
「いちもく会」-第1木曜日
「ダブルファイヤー会」-第二火曜日
「二水会」-第二水曜日
「不動産業界交流会」
「電機業界交流会」
「税理士交流会」
「独立希望者の会」
毎年度、1年間限定で募集しています。。今年度は第一木曜日の夜に開催される「いちもく会」に参加しています。会員数は20名で、独立診断士と企業内診断士の割合はおおよそ6:4です。
毎回、18:30~20:00が定例会で、2名が発表&質疑応答。終わってからは懇親会。昨晩はマイドーム大阪近くにある沖縄料理店でした。ウーン、泡盛を飲みすぎた!
Nifty-Serveから30年
株式会社エヌ・アイ・エフと言っても「?」という方が多いと思いますが、30年前の今日(2月4日)、日商岩井(エヌ・アイ)と富士通(エフ)の折半出資会社としてスタートした会社です。
CompuServe(アメリカ)の国内販売としてNIFTY-Serveをスタート。いわゆるパソコン通信時代に突入することになります。パソコン通信を始めようと本屋で黄色のぶっといNifty-Serveスタータキットを買った時に株式会社エヌ・アイ・エフの文字が書いてありました。CD-ROMが確かついていて、接続ソフトなどをインストールし、モデムをつないでATコマンドをたたいていた時代です。
■電話料金が高かったので巡回ツールでアクセス
当時は2400bpsのモデムを使いパソコン通信のアクセスポイントに電話。電話は従量制料金でしたので時間を気にしながらの接続です。23時~翌朝8時まで固定料金となるテレホーダイが登場した時(1995年)は皆、とびつきました。(フレッツ・ISDNが始まったのは2000年から)
Nifty-Serveへはコマンドを入力してアクセスする必要がありましたが、便利な巡回ツールが登場しました。
マック用:「ComNifty」+「魔法のナイフ」+「NIFTY-Jぞーさん」+「茄子R」
Windows用:「NifTerm」
巡回ツールを使って自動巡回させ、電話を切ってじっくり内容を読んで、コメントしたり発言していました。
■パソコン通信からインターネットへ
インターネットが普及する前、ネットワークと言えばパソコン通信でした。
・アスキーネット 1985年~1997年
・PC-VAN(NEC) 1986年~2001年
・NIFTY-Serve 1987年~2006年
Nifty-Serveのパソコン通信が最後まで残っていましたが、2006年3月31日で終了しました、
株式会社エヌ・アイ・エフは紆余曲背があって現在のニフティになっています。そうか、あれから30年もたったんですねえ。写真は道頓堀の「くいだおれ」でオフをした時にいつも出してもらっていたNifty-Serve提灯です。
まんぷく食堂のカラアゲ丼
午後は伊勢商工会議所でIT窓口相談。
いつも宇治山田駅周辺でランチを食べています。伊勢B級グルメの1つキッチンクックは水曜定休日だし、伊勢うどんの「ちとせ」も定休日が水曜に替わってしまいました。伊勢商工会議所の目の前にある多国籍料理KADOも1月でランチをやめてしまいました。
■まんぷく食堂
というわけで久しぶりに伊勢B級グルメの1つである「まんぷく食堂」へ。宇治山田駅のすぐ横にあり、半分ぐらいが空き店舗になっている宇治山田ショッピングセンターに入っています。中に入ると学生や観光客で一杯でしたが、ちょうど席が空きました。
「まんぷく食堂」はベストセラー小説「半分の月がのぼる空」の舞台の一つにもなっているので、伊勢神宮参拝のついでにアニメの聖地巡礼で訪れるお客さんも多いです。
名物はカラアゲ丼ですが頼んだのは新福定食(750円)です。伊勢うどん+プチカラアゲ丼のセットなんですが、サイズがプチではなく、ふつうの丼が出てきます。(笑)久しぶりのカラアゲ丼でした。
浜 木綿子さんのサイン
久しぶりに伊賀鉄道に乗って伊賀上野へ。車坂商店街にある”桃青庵ふじさき”さんに寄ると店頭に”浜 木綿子”さんのサインが!
■浜 木綿子さんのサイン
「宝塚出身の女優さんじゃないですか、これどうしたんですか?」
って聞いたら
なんでも伊賀組紐をテーマにした映画撮影が伊賀であったようで、お茶菓子に桃青庵さんの”くみひも最中”が出されたようです。とてもおいしかったのか、後で本人から電話で直接注文があった時に図々しくサインをお願いしたら送ってくれたそうです。
「なんだ~あ、直接、店に来たんじゃないんですか~あ。」
というわけで記念に色紙を店に貼っているそうです。
そうそう桃青というのは松尾芭蕉の俳号で、松尾芭蕉を江戸生まれと勘違いしている人も多いのですが、伊賀上野生まれで江戸へ旅立ったのは松尾芭蕉30歳の頃です。
■陣屋のカレー
せっかく車坂まで来ましたので、お昼は坂を降りた所にある陣屋へ。あいかわらずジャスが流れるシュールな雰囲気の中で日替わり定食を注文。今日は珍しくカツカレーでした。これにコーヒーがついて650円です。おまけにルーの継ぎ足しもしてくれます。
で、津の実家へ行くと、晩御飯はカレーでした(笑)
→ くみひも最中(桃青庵ふじさき)