都を造る時に重要だったのが四神相応で、都を守る四神(玄武、青龍、朱雀、白虎)がある土地に都を造る必要がありました。平安京にも四神相応があり、四神のうち北の玄武は朱雀大路の真北にある船岡山と言われています。
北京にある紫禁城の真北には景山公園(人口の山)があり、紫禁城を一望できます。平安京があった頃、船岡山に登ると同じように一望できたでしょうね。現在でも京都タワーなど京の街がしっかりと見えます。
船岡山は応仁の乱では、山城になっていました。西軍側の備前国守護・山名教之や丹後国守護・一色義直らが船岡山に築城し、東軍と戦います。それ以来、船岡山一帯を西軍の陣、”西陣”と呼ぶようになります。京都市内で山といえば船岡山ぐらいしかないので城が造られたのでしょう。
船岡山には、堀などの城跡が現在でも残っています。だいぶ埋もれてしまったので単なる窪地になっていますが、跡をたどることができます。曲輪跡は公園や織田信長を祀る建勲神社になっています。
月: 2016年5月
教え子のお姉さんがいた
先週に引き続きWOC認定看護師講座の情報処理講座で京都橘大学へ。
今年度から学生機はデスクトップではなくノートパソコンに全台変わっています。京都橘大学で情報処理講座を1994年から担当しておりますが、一番最初はフロッピー時代のノートパソコンでした。ワープロソフトが確か一太郎で表計算がロータスという時代です。(笑)
さて講座が終わってから受講生の看護師さんが来られて
「○○って名前、覚えていますか?」
「それって専門学校時代に教えていた学生の名前じゃあ。」
「実は妹なんです。」
「エーッ」
卒業してからだいぶ経過しましたので妹さんも40歳前になっているそうです。いやあ、懐かしいなあ。こちらも歳をとるはずです。
船場総研 総会
今は昔、Nifty-Serveというパソコン通信があり、そのなかには資格フォーラムがありました。いろいろな会議室があり、その一つがが中小企業診断士の勉強部屋。私もよく参加し、勉強しておりました。
オンライン以外に大阪ではオフラインの勉強会があり、それが船場勉強会。今も続いています。このOB組織が船場総研で、まもなく20周年を迎えます。もともとは合格したのに船場勉強会へ参加してヤイヤイ議論して、受験生の邪魔になるからとできた組織のようです(笑)。
ゆるい会なので誰かが言いださないと何も始まりません。総会をやっていないことが判明し、本日、梅田ナレッジキャピタルにあるナレッジサロンで開催。いつもの船場総研には似合わない、おしゃれな会場です。近況報告と今年度の計画作りでワイン農場へ行こうという魅力的な案が決定しました。終わってからは茶屋町に移動して飲み会。
大阪中小企業診断士会 総会
診断士交流会「いちもくさん」が発足
京都の”いけず”を生んだ御土居
秀吉が京都の街を囲んで造った総構が御土居で、今でも一部が残っています。鷹峯の御土居はよく保存されており、以前にブラタモリでも取り上げられていました。
ヨーロッパなどの城壁都市のようなものですが石ではなく土塁で造られています。高さは5mほどで、これが22km以上も続いていました。御土居は防衛の意味もありましたが、鴨川などの氾濫から守る堤防にもなっていました。
知的生産の技術研究会・関西で講演してもらった井上章一氏の「京都ぎらい」(朝日新書)が関西圏で異様に売れているそうですが、この本のなかに京都人がもつ”いけず”な洛中意識が出てきます。
■洛中、洛外
嵯峨といえば観光地で有名ですが、ここは洛中の人にとっては京都とはみなされていません。同じように京都橘大学がある山科も京都ではありません。大学があるのは京都市山科区ですが、なんせ東山を超えた向こう側にありますから京都とは認めてもらえません。
なんでこんなことになったかという一因が秀吉が造った御土居です。御土居の内部を洛中、外部を洛外と呼ぶようになったことから京都人の”いけず”な意識が形成されていったようです。
■洛とは
この「洛」はもともと洛陽からきており、平安京を造った時に右京(西側)を長安、左京(東側)を洛陽と呼びました。やがて湿地帯が多かった右京が廃れ、京都をさす言葉として洛陽が残りました。信長の上洛の洛もこの洛陽からきています。
時鐘堂が残る和歌山城
和歌山紀行シリーズです。(笑) 太田城の次は和歌山城へ。
和歌山城天守は国宝指定されていましたが、空襲で焼失してしまいます。石垣や土塁以外で当時のまま城内に残っているのは岡口門と追廻門だけとなりました。和歌山城では復旧を進めていて、2006年には西の丸庭園の御橋廊下が当時の図面を元に再現され、実際に通ることができます。他の城では見られない建造物で、かなり傾斜していて床がすべらない構造で歩くと痛いです。
久しぶりの和歌山城でしたが、敷地内にある和歌山市役所南別館2階に和歌山城歴史資料館ができていました。天守閣と同じチケットで入場できます。12分間にわたり江戸時代の和歌山城をCGで再現したビデオが放映されていて、見応えがありますね。また和歌山城が出来る前の雑賀衆の歴史資料も展示されていました。もちろん太田城の展示もありました。
城内の門以外に城から道をはさんだ岡山の上に時鐘堂が現存しています。作ったのは、あの徳川吉宗。鐘で時刻を知らせていました。この岡山には戦国時代に岡山城という山城がありましたが残念ながら遺構は残っていません。
サミット一日前の伊勢
IT相談で伊勢へ。よく考えたら明日からサミットなんですね。
お昼は久しぶりに”伊勢うどん”を食べようと山口屋へ。伊勢市駅近くにある伊勢うどんで有名なお店です。ここで頼むのは”かやく伊勢うどん”と”ご飯小”。いわゆる炭水化物定食です。(笑)いつもは観光客のお客さんも多いのですが、今日はスーツにネクタイ姿のビジネスマン風のお客さんばかり。
しかし注文がたどたどしく、サンアリーナがどうのとかいう会話が聞こえてきますので、伊勢志摩サミットで取材にきたマスコミ関係者か公安関係のようです。伊勢の上空にはずっとヘリコプターが飛んでいました。
IT相談が終わって電車まで時間があったので外宮へ寄ってきました。境内はとってもすいていて、警備の警察官の方が多いぐらい。毎回、こんなんだといいですねえ。
さて電車に乗ろうと駅へ向かうと、途中で道路封鎖にあいました。なんでも安倍首相が宇治山田駅に到着して伊勢神宮へ向かうための規制なんだそうです。議長国なんで今日から伊勢志摩に来ているんですね。明日から伊勢志摩サミットです。
日本三大水攻めの太田城
日曜日、ACT2020(パソコン通信時代からの中小企業診断士の集まり)は10時スタートでしたので、朝から太田城へ出かけてきました。
和歌山と言えば紀州藩の和歌山城が有名ですが、もともとは紀州を平定した豊臣秀吉が弟の秀長に築城させたのが始まりです。平定する前にあったのが太田城でJR和歌山駅のすぐ東側にあり、来迎寺や玄通寺あたりが本郭でした。残念ながら城跡は残っていません。
小牧・長久手の合戦では大阪や和歌山も戦場となり、秀吉は太田衆、雑賀衆、根来衆の連合軍と戦っていました。太田城でも合戦が行われましたが、城はなかなか落ちません。そこで秀吉が行ったのが水攻め。備中高松城、忍城(「のぼうの城」で有名に)に並び三大水攻めの一つと言われています。
この時、秀吉が造った堤の一部が奇跡的に残っています。場所は”きのくに信用金庫 出水支店”近くで6メートルほどの高さの土塁が残っていました。昭和のはじめの頃には20ケ所ほど残っていましたが、今はここだけになってしまいました。
残っていてもタマ電車には勝てないので観光資源にはならないでしょうね。
京都橘大学へ
1年ぶりに京都橘大学へ。久しぶりに山科駅で並んでスクールバスに乗りましたが朝から学生で満員のバスに乗ると疲れますなあ。(笑)
今年もWOC認定看護師講座の情報処理を担当しています。
認定看護師というのは特定の看護分野において、卓越した看護師をいい、まずは半年以上の認定看護師教育課程を修了しなければなりません。ただ入学するのは最低5年以上の実務経験がいりますので若い看護師さんは少なくベテランが集まっています。
今年も全国から看護師さんが集まっていますが珍しく関東や九州はいなく、愛知~香川の範囲内。また男性看護師は1人もしくはゼロの時が多かったのですが今年は4人もいます。1人ですとハーレム状態でいいのですが荷物持つをしないといけなくなります。