大河ドラマ「真田丸」の次週予告を見ていたら、真田信繁が伊達政宗に向かって「関東勢百万と候え、男はひとりもなく候」と叫ぶシーンが出ていましたので、木村重成も後藤又兵衛も討死するんですね。
難波から大阪近鉄線に乗って八尾、柏原を過ぎると大和川を渡って、すぐ河内国分駅に着きます。河内国分駅のすぐ西にある小山が小松山で道明寺の戦いが行われたところです。今は住宅街になっています。奈良から大軍が移動するには王子から大和川沿いに隘路を進むしかありません。大阪側の出口が河内国分になります。徳川軍が出てきたところを迎え撃とうと後藤又兵衛が出陣し、この小松山で幕府軍を叩きましたが、新手が次々にあらわれる徳川軍にはかなわず討死します。
小松山は河内国分を見下ろす位置にありますが、すぐ西側にあるのが石川でその先には誉田御廟山古墳など巨大古墳が連なっています。山崎の合戦で明智光秀が陣をひいたのが恵解山古墳のように、当時、古墳は城代わりとして使われていました。石川を堀にし、古墳群に防衛ラインをひくのが本来の戦略でしたが、どうも後藤又兵衛が一人だけ突出してしまったのではないかというのが最近の学説です。大河ドラマで後藤又兵衛が「死に場所を探しに来た」というセリフがありましたが、あれは伏線なんでしょうね。