先日、笠置山城へ登ったついでに加茂駅で降りて恭仁京跡へ行ってきました。駅から木津川を超え、高台に大極殿跡があります。三方が山に囲まれて南側は木津川が流れていますので、守りやすい要害の地になります。
恭仁京は藤原広嗣の乱が起きた後、聖武天皇が平城京から遷都した都です。ところが都づくりをしている最中に一山超えた紫香楽宮に移り、次に難波京、最終的には、もとの平城京へとめまぐるしく変わります。なぜ遷都を繰り返したのか古代史不思議の一つになっています。国分寺国分尼寺造立の詔は、この恭仁京で出されました。
造られた大極殿は、その後、山城国分寺が建てられた時に、そのまま金堂として利用されることになります。隣に七重の塔が建てられます。写真は、この塔の礎石になります。