「応仁の乱」(中公新書)が話題になっています。
足利義政が弟の義視を後継者にしたところ、日野富子が子供(義尚)を生んだことで後継者争いに発展。それぞれ細川勝元と山名宗全がくっついて、応仁の乱が勃発したというのが一般的なイメージなんですが、そんな単純なものでは途中でクーデターが起ったりして波乱万丈な戦いでした。
■客坊城
京都だけでなく大和や河内国も戦乱に巻き込まれ若江城、天王寺城、八尾城と共に客坊城が舞台になりました。客坊って、ウチの近くの客坊町?
客坊城では畠山政長方(東軍)が守っていましたが、西軍の畠山義就に攻められて陥落したと大乗院寺社雑事記に記載されています。というわけで自転車に乗って出かけてきました。生駒山の山麓を登った東大阪市立郷土博物館 の北側に昔、客坊寺があり、そこが客坊城でした。遺構はなにも残っていませんが、眺めがよく大阪平野が一望できます。
西側を見ると若江城や天王寺城がよく見えます。こんなところも応仁の乱の戦場になったんですなあ。