堺にある妙国寺です。
本能寺の変の時、堺を見学していた徳川家康が宿舎にしていたのが妙国寺です。この寺から命からがら三河を目指す神君伊賀越えが始まります。大坂の陣では、戦場を離れ休憩に使っていました。そのため小堀遠州が家康の地元である駿河を再現した枯山水の庭を作っています。
妙国寺を創建したのは三好実休で、信長より先に天下をとった三好長慶の弟です。父の三好元長が堺の町衆との間に深い人脈を持っていたため、武野紹鴎に茶道を学び千利休などとも交流していました。三好実休は畠山高政との久米田の戦い(岸和田)で戦死します。享年36歳でした。この戦いから三好氏は劣勢にたたされることになります。