商売繁盛で笹もってこい

額田戎神社
関西は十日戎の真っ最中です。今日は最終日の残り戎。
家から歩いてすぐのところにある額田戎神社へ。朝8時頃からやっていると思って行ったら誰もいません。屋台で開店準備をしている人に聞いたら8:30頃にはいつも来ているということで待ってお参りしてきました。
残り戎の一番でお参りしてきたので、今年もあんじょう頼みまっせえ、戎さん!

野間中城(能勢)

野間中城
野間城の山裾を川が流れていますが、川の反対側にある山にあるのが野間中城。
山城へ行くには通常、案内板も何もないので、どこから山へ入れるか事前調査が必要です。野間中城を調べましたが、いずれのサイトや書籍にも”道はなく、がんばって直登しましょう”と記載されています。というわけで直登してきました(笑)。山頂へ出ると郭が2つほどあり、土塁も残っていました。
野間氏の記録に新城を築いたが途中で中止になったという記述があり、これが野間中城のようです。城というと代々、お殿様が住んでいるイメージがありますが、戦国時代には臨時的な城もたくさんありました。特に附城は1回きりの攻撃でしか使われません。ある程度出来上がっていたのに、なんで中止になったんですかねえ。
奈良ホテルのすぐ横に西方院山城跡がありますが、ここも最初の計画と違って、途中で中止となり、すぐ隣、現在の奈良ホテルの場所に鬼薗山城が作られました。

野間館(能勢)

野間館
野間城の麓に野間館跡があります。敷地は削平されており広く、周りに土塁も残っています。ただ案内板もなにもありません。大阪では珍しく平時に使う麓の館と山頂にある詰城の両方が見学できます。ここに多田院御家人だった野間氏の館がありました。
阪急宝塚線の川西能勢口駅から能勢電鉄が出ており、途中に多田駅があります。駅近くに多田源氏発祥の地である多田神社(多田院)があります。清和源氏武士団発祥の地であるため源氏の流れをくむ足利、徳川ともに多田神社を源氏霊廟としていました。もっとも徳川は源氏詐称のようです。
清和源氏の源満仲が多田荘を所領としたことから多田満仲を名乗り、ここから多田源氏となります。やがて源頼朝が登場し、清和源氏の嫡流を名乗りましたので多田荘を奪われることとなり、多田源氏は没落したようです。多田荘は多田源氏の庶流や累代の家人たちによって構成される多田院御家人によって在地支配され、野間城を築いた野間氏も多田院御家人でした。

山城ガールがいた野間城

野間城
摂津・野間城へ。
主郭や堀切を見て山道を降りてくる途中で出会ったのが若い女性。
「上までだいぶありますか?」
「もう少し、上がったところから城になっています」と返答。会話はそれだけでした。
野間城はハイキングコースではないし、飯盛山城や芥川山城のようにメジャーな山城ではありません。山道への案内はなく、城の入口を自力で調べないと入れないようなマイナーな山城です。たまに同じような山城マニアのオジサンには山道で会ったりしますが、それもマレですね。ましてや女性の山城ガールは初めてです。いよいよ山城の時代です(笑)。
野間城は摂津の国人だった野間氏の詰城です。能勢郡には朝廷に銅をおさめる採銅所があり、野間氏は鎌倉時代ぐらいから銅に関わっていました。野間城の主郭には白髭稲荷社が昔あったようで、山道もきれいに整備されていました。主郭は広く、裏側の尾根をすごく深い堀切で切断していました。

土丸城

土丸城
雨山城のついでに土丸城へ行ってきました。谷を隔てた土丸山の上にあります。
雨山城から井戸跡へ降りて尾根沿いに歩いて行くと城跡にたどりつけます。木札の案内を見逃さずに行けば、たどりつけます。さすがに土丸城跡まで来るハイキング客はいませんでした。
土丸城には郭がいくつもあり、けっこう大きな城ですが雨山城と一体で用いられていたようで出城のような扱いだったようです。二上山城の雌岳、雄岳と同じですね。
主郭跡には神社があり、雨山城と同じように関西空港が一望できます。四方が見渡せ、眺めがいいですねえ。

eLTAX

ELTax
合同会社を昨年に設立したのですが、けっこういろいろな書類を出さないといけません。1月末までに出さないといけないのが償却資産の申告書。
サービス業なので基本的に固定資産はありませんが、東大阪市の固定資産税課に電話すると固定資産がないのなら”ない”で書類だけは出してくださいということです。というわけで朝からeLTAX(エルタックス)に挑戦していました。eLTAXとはネットで地方税の申告、申請、納税などができるシステムです。
まず利用するには利用者番号を取得しなければなりません。確定申告をするe-Taxでも利用者番号は使えず、新しく取得する必要があります。こういうのは縦割りにせず一本化してほしいですね。
ネットだけでできるのかなと思ったらPCdeskという150Mバイトもあるソフトをダウンロードして申請しなければなりません。エラーの意味がよく分からないなど2時間ほど悪戦苦闘して、ようやく申告が終わりました。郵送した方がよほど早かったですね。
 
 

京都橘大学 WOC認定看護師

WOC認定看護師
京都橘大学には看護学部があり、認定看護師教育課程があります。認定看護師とは特定の看護分野において、熟練した看護技術および知識を用いて、水準の高い看護実践のできる看護師を指します。京都橘大学の場合は皮膚・排泄ケア(WOC)があります。
全国から現役の看護師さん、しかも5年以上の実務経験がある看護師さんが集まって半年間の集中教育を受け、日本看護協会が実施する試験に合格すると認定看護師となれます。病院の期待を背負って参加していますので、勉強するほうも大変です。教育課程には情報管理という科目があり、一番最初から担当させてもらっています。昨年は11期生でしたが、無事に全過程が終わったようで手紙が届きました。毎年、自筆の手紙をもらっており恐縮しております。
皆さん、試験に向かってがんばってください。
 

雨山城

雨山城
2018年の初山城は雨山城。熊取の大阪体育大学、浪商高校の近くにある山城です。
関西国際空港の近くに日根野駅がありますが、昔、日根野村に九条家の日野荘という荘園がありました。今は日根荘遺跡として国史跡となり、雨山城も追加指定されています。南北朝から戦国時代にかけて日野荘や和歌山の粉河を結ぶ粉河街道をおさえる城だったようです。
南北朝時代、北朝方の高師直が日根野氏に城の警護を命じています。これを楠木正行の弟である楠木正勝が攻め落とします。ところが南朝側で孤立した楠木正勝が北朝方に寝返ったことから城が北朝方に。ところが、また南朝方になったりと、この城を舞台に戦国時代まで争奪戦が行われました。
雨山城は国史跡でハイキングコースとして整備されており迷うことはありません。十町からカウントダウンする町石が一町ごとに置かれ目印になります。大手道は幾重にも曲がり、高取城の七曲りのようになっています。城の入口は土橋になっていて、主郭には神社が建っていました。いろいろな郭があり、楽しめます。主郭からは関空、四国、明石大橋などが一望できハイキングコースとして人気があるわけです。

和泉苅田城

穴師薬師寺
和泉苅田城、Googleマップで偶然に見つけたお城で、JR和泉府中駅が最寄り駅です。府中という名前がついているので昔の和泉国府があったはずですが、国衙(役所)は見つかっていません。
和泉苅田城跡には住宅街になっていて何も遺構が残っておらず城跡は穴師小学校からJAいずみ穴師支店周辺だったようです。こんなマイナーなお城までGoogleマップに掲載されているんですね。かと思えば外鎌山城のように、割とメジャーな城が登録されたおらず、どんな基準で登録しているんだろう。
近くに穴師山薬師寺があり、秀吉の紀州征伐時には根来寺に味方し僧兵もいたため、大伽藍が焼けてしまったそうです。この時に和泉苅田城はどうなっていたんだろう。
小牧・長久手の合戦がこんな和泉の地でも行われたんですね。