Google設立20周年

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Googleロゴが20周年を祝うロゴになっていました。

1995年、スタンフォード大学博士課程に在籍していたサーゲイ・ブリンとラリー・ペイジが出会い、在学中に検索エンジンのアルゴリズムを作成します。これがSEO対策でよく名前を聞くページランク(PageRank)です。このPageはホームページのページではなく、ラリー・ペイジの名前から名付けました。

ページランクはロボット型検索エンジンの基本となるもので各ページの重要度を計算するアルゴリズムです。特許はスタンフォード大学が持ちグーグルに使用を認める見返りに、グーグル株を180万株取得していました。2005年、スタンフォード大学がこのグーグル株を売却し、3億3600万ドルの利益となりました。この利益はスタンフォード大学の研究や教育に環流し、次のベンチャー企業育成となっていきます。

グーグル創業者サーゲイ・ブリンとラリー・ペイジは全世界の情報に索引をつけ、皆が巨大な量のデータを手に入れられるようにすることをミッションに検索サービスを始めました。検索エンジンに名前をつける時に考えたのが、すごく大きな数をあらわすグーグルプレックス(googolplex)という言葉。

■ところがミススペルしてグーグルになった
サーゲイ・ブリンとラリー・ペイジは、このグーゴルプレックスという名前を検索エンジンにつけようとしましたが、グーグルプレックス(googleplex)とミススペルしてしまいました。これを短くしたのがグーグルです。

Googolというドメイン名は既に取られていましたので、このミススペルした名前、グーグル(Google)をそのままつけることになります。そして20年前にGoogleが設立され先発のYahoo!を追いかけることになります。

検索エンジン名はグーグルですが、グーグル社員はグーグル本社をグーグルプレックスとよんでいます。

ということで、こんな話題が満載な本が
バグは本当に虫だった!

会津屋(関の小万)

会津屋

東海道五十三次、47番目の宿場が関宿。京都に向かうには次の坂下宿から難所といわれた鈴鹿峠を超えて近江の土山宿に入ります。

関宿には町屋が今も200棟以上が現存し、国の重要伝統的建造物群保存地区になっています。関宿を歩くと、まるで時代劇のセットを歩いているようでインスタ映えは間違いなし。木曽路の馬籠、妻籠ではなく、落ち着いた雰囲気の奈良井宿にちかい感じです。

■会津屋 関の小万
この関宿の地蔵院前にあるのが「会津屋」さん。手作りおこわと、おそばの店です。大正時代のかまどに薪をくべ、地下水を使って蒸す山菜おこわが名物になっています。山菜おこわは「おひつ」で出てきて絶品!

会津屋さんは元は旅籠山田屋で、江戸時代には仇討ちで有名な「関の小万」の生家となります。

身重ながら夫の敵討ちのために関宿までたどりつき、ここで女の子(小万)を出産しますが、小万のお母さんはまもなく亡くなります。そのまま山田屋の主人と女将に育てられたのが小万。亡き両親のことを養父母から聞いた小万は武芸に励み、見事に本懐を遂げます。仇討はあっと云う間に全国に拡がり、浄瑠璃・歌舞伎・小説などの題材となります。鈴鹿馬子唄にも”昔恋しい鈴鹿を越えりゃ 関の小万の声がする”など小万のことが出てきます。

正法寺山荘(砦)

正法寺山荘(砦)

関に羽黒山という大きな岩だらけの山があり、この山の麓の開けた所に正法寺山荘があります。山荘といいながら戦国時代は砦でした。小野川が大きく迂回して3方向を流れ、天然の濠となっており、要害の地に正法寺山荘が造られます。

正法寺山荘を造ったのは亀山城主の関盛貞。奥さんが日野城主・蒲生定秀の娘で六角氏に属していました。関から鈴鹿山脈を超えれば日野はすぐ近くでした。関氏は平家を祖とし家紋も揚羽蝶。関氏は神戸城、国府城、峯城、鹿伏兎と鈴鹿川一帯を支配していた土豪で地名をとって関氏を名乗ります。

■正法寺山荘
もともとは京都大徳寺の末寺として正法寺をこの地に創建し、関氏の寺と別荘を兼ねている土地でしたが、織田信長の伊勢侵攻のため砦として整備され、今も土塁、切岸、井戸跡などが残っています。国指定史跡になっていますが、単なる開けた場所なので城好きでもなければ、そう楽しめるところでもありません。平和な時期は連歌師宗長などがたびたび訪れ、歌会が開催されていました。

関氏は結局、織田信長に降参し、秀吉時代も家を守ります。賤ヶ岳の戦いでは居城である亀山城(古城)を滝川一益に落とされますが、秀吉軍による奪還戦が始まり、大河ドラマ「功名が辻」では武田鉄矢演じる五藤吉兵衛がこの攻防戦で戦死します。秀吉側が無事に奪還し、関一政が城主となり、松阪にいる蒲生氏郷の与力となります。

赤坂頓宮跡

赤坂頓宮跡

亀山でお仕事でしたので加茂駅から久しぶりに関西本線に乗って亀山駅を目指します。ちょっと時間があったので、一つ手前の関駅で下車。前から行きたかった赤坂頓宮跡に寄ってきました。関宿は東海道の宿場町で有名ですが、少し離れたところ赤坂頓宮跡があります。

■赤坂頓宮とは
藤原広嗣の乱が起きると聖武天皇は乱の最中に、突然、関東(伊勢、美濃)への謎の行幸を始めます。壬申の乱で大海人王子(天武天皇)がたどった道をなぞっていることが定説になっていますが理由がよく分かっていません。最終的に平城京に戻らないまま恭仁京へ遷都し大仏建立に動きます。

この鈴鹿関を抜けて関東に入ったところに仮宮を建て、これが赤坂頓宮になっています。丘の上で裏側には郭と土塁跡がありますので砦としても使えそうです。

■鈴鹿頓宮跡?
姫御前という地名があたりに残っていて都から伊勢の斎宮へ向かう斎王が泊まった鈴鹿頓宮跡があったのではとも言われています。

創業塾

亀山商工会議所

3連休の最終日。亀山商工会議所の創業塾へ

メイン講師ではなくゲスト講師なので気楽なものです。「創業時におけるIT活用と支援」というタイトルでしゃべってきました。
無料でホームページ作成できるクラウドサービスJimdoとペライチの反応がよかったですね。

担当分が終わったので帰ろうと思ったら、創業塾・最終日なんで皆の発表を聞いて講評してよというメイン講師からの無茶ぶり(笑)。特に用事もないので最期までつきあって帰ってきました。創業は夢があっていいですねえ。

新規開業

大阪府よろず支援拠点(マイドーム大阪)近くにある居酒屋さんにランチを食べにいくと9月末で閉店するとのこと。
 
ランチを一人で切り回していたので店主だと思っていたら実はアルバイトで、実際の店主は病気か何かで休んでいたのが復活して11月ぐらいからオープンするそうです。
 
「これから、どうすんの?」と聞くと、自分で飲食店を開業したいとのことでしたので、大阪府よろず支援拠点に相談においでと広報しておきました(笑)。

メルマガの誤配信を防ぐ方法と誤配信後の対応について

丹後ウルトラマラソンで100キロ走る人のなんと多いことか!世の中、奇特な人が多いんですね。こちとら連休というのに3日間、家にこもって仕事しております。
 
もちろん、そんなスケジュールにした私が悪いんでございます。
 
そうそう新しい連載が始まりましたので、ぜひご覧ください。
 

大阪中小企業診断士会 総務部会

大阪中小企業診断士会

大阪には大阪府中小企業診断協会とは別にプロコンで組織された大阪中小企業診断士会があり200名以上で組織しています。本日は総務部会。いつもは診断協会の会議室で開催しているのですが、予約で一杯だったようで、マイドーム大阪8階の会議室で実施しています。

本日も14項目も検討事項が並び、目白押しですねえ。

離宮院跡

離宮院跡

伊勢神宮の入口にあるのが宮川の渡し。この宮川の手前にあったのが斎宮(さいくう)の離宮院です。斎宮とは古代から南北朝時代にかけて、伊勢神宮に奉仕した斎王の御所で、現在も発掘が続いています。

■斎王
斎王は天皇の皇女などが任命され、天照大神の御杖代となりました。初代が豊鍬入姫命で、現在の伊勢神宮を創建したのが2代目の倭姫命になります。有名なのが大来皇女で、謀反を起こしたと殺された大津皇子を偲んだ「うつそみの人にあるわれや明日よりは 二上山を弟背(いろせ)とわが見む」が万葉集に残っています。

■離宮院
斎王が斎宮から伊勢神宮へ向かう途中に立ち寄ったのが離宮院で、離宮院ができたのは延暦16年(797年)。坂上田村麻呂が征夷大将軍に任命された年になります。斎宮と同様に離宮院も広かったようで、たくさんの役所が並んでいました。839年に火災で燃えましたが、すぐに再建されたようで、当時の土塁跡が今も残っています。北側が5メートルほどの高低差がある丘になっていて防御力は高そうです。

あなたの知らないお祭りの世界

山本哲也

木曜夜は知的生産の技術研究会・関西セミナー

台風の影響を心配するなか、遠くは横浜から新幹線でかけつけた参加者もいらっしゃいました。

セミナーでは「あなたの知らない祭の世界」というタイトルでお祭り評論家の山本さんにお話しいただきました。All Aboutで「日本の祭り」のガイドをつとめガイド仲間でもあります。なんと日本には10~30万ものお祭りがあるそうで、ビックリ!

山本さんが祭りにはまったのはパソコン通信Nifty-Serve時代に青森オフがあり、青森ねぶた祭を見たことがきっかけ。以来、たくさんの祭りを見に行き、これをホームページに整理してアップしていると「じゃらん」から話があり、それがきっかけでトラベラーズライターとなって、またいろいろな雑誌に執筆するようになりテレビやラジオ出演につながっていきます。NHKには都合、5回出演したそうです。

山本さんによると祭り好きは多いですが、数多くの祭りを実際に見に行く人間はほとんどいないそうで希少価値があるようです。祭りに関しては料理研究家や鉄道評論家のように市場も大きいのですが、ライバルがひしめく業界ではなく祭りに関する番組を作ろうとテレビのADなどが検索すると山本さんのサイトがヒットし、問い合わせにつながることになります。