LEC梅田で経営情報システムの講義

LEC梅田
LEC梅田

LEC梅田で経営情報システムの講義。

教室に行ってみたら受講生は一人だけ。贅沢なことにマンツーマンレッスンでした(笑)。新コロナウイルスの影響でLECでも、なるべく生講義ではなくDVDやウェブでの講座受講に誘導していて、入口などに注意書きが貼ってありました。講師にも連絡してよ!

八坂の塔

八坂の塔
八坂の塔

八坂の塔。正式には法観寺の五重塔です。

戦国時代、上洛すると八坂の塔に定紋入りの旗を掲げて誰が京都を支配するか現す習わしがありました。これが「都に旗をたてる」です。

豊臣秀次もやっています。
93歳の時に関ケ原合戦の大垣城攻めにも加わった生涯現役の武士・大島光義という人物がおり、弓の名手でした。豊臣秀次に仕えた時、秀次は都の主が代わったことを示すため八坂の塔に旗を掲げ、それだけでなく八坂の塔の窓に、矢を放つよう家臣に命じました。皆が失敗を恐れて尻込みする中、当時、84歳だった大島光義が名乗り出て、一町以上離れた五重の窓に10矢全てを射込んで喝采を浴びます。

弓という一芸を磨き、どんな時代でも生き残ることができることを示した大島光義は97歳で亡くなります。

水素自動車

水素自動車
水素自動車

昨日は和歌山でお仕事。

駅まで県の公用車で迎えにきてもらいましたが、これが何と水素自動車。初めて乗りました。1回当たりの航続距離は700キロと言われていますが、目安は500キロぐらいだそうです。

和歌山県に水素ステーションは和歌山市しかないそうで串本までの往復は大丈夫ですが、新宮となると微妙だそうです。水素がなくなっても補充するところがありません。

それよりも車体に「wakayama」と書かれており、これだと悪いことはできませんなあ。

冥府への入口があった小野篁旧宅

小野篁旧宅
小野篁旧宅

六波羅探題の近くにあるのが六道珍皇寺で、小野篁の旧宅があった所です。そう閻魔大王の裁判の補佐をしていた人物です。

昼間は朝廷で官吏をしていますが、夜になると庭の井戸から冥府に入り、閻魔大王に仕え、帰りは嵯峨の井戸から出てきました。本堂背後の庭に、小野篁が冥土へ通うのに使ったという井戸が残っています。

小野篁は小野妹子の子孫で実在した公卿ですが、いろいろな書物に不思議な話が伝わっています。もともとは母親が亡くなった時、親孝行だった小野篁は、母に会うために冥土に通い始めます。苦しむ母をなんとか救おうとして閻魔大王に直談判したのが始まりでした。やがて命を落とした人間を裁こうとする閻魔大王に、その人間を弁護し、とりなすようになります。

小野篁の上司である藤原良相が他界した時にも、裁こうとした閻魔大王に、小野篁がなんとか助けてやってもらえるようにと掛け合ったことで、藤原良相は蘇生できた話が伝わっています。

六波羅探題

六波羅探題
六波羅探題

鎌倉幕府の出先機関である六波羅探題は旧平清盛邸の跡地に建てられ現在は東山開晴館になっています。写真は当時からあった六波羅蜜寺で東山開晴館はこの北側にあります。

足利尊氏の所領が丹波国篠村(京都府亀岡市)にあり、船上山に立て籠もる後醍醐天皇を攻撃するために山陰道を進みますが、既に討幕を考えていました。篠村八幡宮に北条氏打倒の願文を奉納し、Uターンして六波羅探題への総攻撃を開始します。明智光秀も”本能寺の変”の前に足利尊氏の故事に従って篠村八幡宮で戦勝祈願しましたので「麒麟がくる」でもシーンに出てくるでしょう。

室町幕府は幕府機能が京都にあったので出先機関はなし、江戸幕府では京都所司代が置かれました。

京都の大仏

方広寺 大仏殿跡
方広寺 大仏殿跡

見た目は単なる丘ですが、奈良の大仏よりも大きな大仏があったところです。

造ったのは秀吉で三好三人衆と松永久秀の戦いで奈良の大仏が焼けて破損したこともあり、奈良より大きい6丈3尺(約19m)の大仏と大仏殿を造りました。五条大橋を六条坊門に移して、大仏への参詣道とし、これが今も残る正面通りです。

ところが翌年に起きた慶長伏見地震で大仏が倒壊してしまい、秀吉は「自らの身をも守れないのか」と大仏に怒り心頭。大仏を再建することなく秀吉が亡くなってから秀頼が大仏を完成させます。大坂の陣の後も大仏は残っていましたが、寛文2(1662)年の地震で大破してしまいます。

合同会社エムアイティエス4期目へ

合同会社エムアイティエスは2017年3月3日に設立しましたので、無事に4期目へ突入しました。

法務局に書類を提出した日が設立日になるとは知らずに、雛祭りの日に持っていきました。社名は水谷IT支援事務所を英語にしたMizutani IT Supportの略から命名しています。

実は世界最初の個人向けコンピュータ「Altair8800」を発売したのがMITSという会社。若きビル・ゲイツやポール・アレンがAltair8800向けにBASICを開発し、これがマイクロソフトの創業となります。マイクロソフトはMITSと同じアルバカーキに設立され躍進が始まります。ですのでMITSはコンピュータ業界では歴史ある名前であります。

興味のある方はぜひ拙著「バグは本当に虫だった」をお読みください。

バグは本当に虫だった
バグは本当に虫だった

大坂の陣の原因となった梵鐘

方広寺
方広寺

大坂の陣のきっかけになった一つが方広寺の梵鐘に刻まれた文字。

秀吉が建立した方広寺は慶長伏見地震で倒壊してしまい、秀頼が再建しました。新たに梵鐘が鋳造されましたが、問題となったのは鐘に刻まれた「国家安康 君臣豊楽」という文字。写真の白く囲まれた文字です。この文について家康は「家康の名を引き裂き、豊臣家を讃えるもの」だといちゃもんをつけます。これが有名な方広寺鐘銘事件です。最近ではいちゃもんではなく、武士の名前を分けるのは無神経という説も出ています。

文を書いたのは禅僧文英清韓で南禅寺の長老でした。糾弾されて蟄居することになります。大阪冬の陣が終わった後、清韓と鐘を製作した鋳物師辻家を高虎の領地である津に迎えて保護したという後日談があります。2人のお墓は津の上宮寺にあります。

大人の学校

LEC梅田
LEC梅田

経営情報システムの講義でLEC梅田へ

ところが受講生が少なく、いつもの1/3程度です。何かあったんかいなと思ったら、新コロナウイルス対策による学校への自粛要請でLECも休みになっていると思った人が多いようで、事務局にも問い合わせがたくさん入っているそうです。出席した受講生に聞いてみたら、家族に「休みになっている」と言われたけど「大人の学校だからやっているって」と言って出席したそうです。大人の学校って...(笑)

ファイティング・コンサルタンツ研究会

ファイティング・コンサルタンツ
ファイティング・コンサルタンツ

天満橋にある、ものづくりコワーキングスペースCo-Boxでファイティング・コンサルタンツ研究会を開催。

大切な議題である花見日程が決定したので、議論はそこそこに天満橋へ繰り出して飲み会。2軒目は天神橋商店街にピザがおいしい店があるということで行ってみるとカウンター席しかなく断念 。

別メンバーからおいしいお好み焼き屋がある提案があり、雨の中、商店街をさらに歩くと店は閉まっていて臨時休業の張り紙が。しょうがないと、ピザ屋さんに戻ってカウンター席でピザをあてにワインを飲んでおりました。

議論の時間よりも飲んでいる時間の方が長いという、いつもの結果になります。