桑原城

桑原城

大阪からJR福知山線に乗り、宝塚を過ぎると山ばかりとなりますが急にひらけて町があらわれます。三田で大阪から45分ほどで着くため大阪のベッドタウンになっています。三田は昔から丹波街道など交通の要衝でしたので多くの城が築かれました。

三田盆地入口に築かれたのが桑原城です。築かれたのは南北朝時代で播磨・赤松氏の一族、赤松家則が築いたと伝わっています。また室町時代末期には赤松氏の被官だった桑原左衛門清正が城主だった記録が残っています。天正年間になると織田信長の家臣だった荒木村重が赤松氏を駆逐し、荒木村重の宿老・荒木重堅が三田を支配するようになります。やがて荒木村重が信長に謀反を起こすと三田も戦場になりました。この時、桑原氏は秀吉に従っていたようです。

桑原城へ行くには山頂近くの太陽光発電所を目指します。ここまでは道がありますが、あとは崖を登るしかありません。桑原城は3つの郭からなっていて、空堀で区画されていますが削平は甘い状況です。櫓台跡や土塁など郭内はけっこう広く、それなりの軍勢が駐屯できそうです。

丸窓電車

丸窓電車

岐阜駅の北口広場に名鉄のチンチン電車が展示されています。楕円形の窓から丸窓電車と呼ばれていたそうで、1926(大正15)年に製造され、2005年まで岐阜の街を走っていました。昔は岐阜駅前から名鉄の路面電車が走っており、柳ケ瀬ブルースで有名や柳ケ瀬商店街まで乗った覚えがあります。

路面電車がなくなり現在はバスが運行していますが、地理が分かっていないと、目的地にそのバスが行くのか分からず、その点、路面電車は線路以外のところには行きませんので観光客には分かりやすいシステムでした。

交通の便がよくなるとストロー現象で衰退するのが世の習いで、岐阜駅から名古屋駅まで20分ほどで行けるため岐阜駅前から百貨店などがなくなり、最後まで残っていた高島屋岐阜店が7月末で閉店するそうです。これで全国で4つ目のデパートのない県になります。他は徳島県と山形県で先日、一畑百貨店が閉店した島根県が加わりました。

美濃赤坂駅

美濃赤坂駅

赤坂宿のすぐ近くにあるのが美濃赤坂駅。大垣駅から東海道本線の支線が出ており、途中駅は荒尾駅しかありません。旅客は美濃赤坂駅までで。ここが終着駅になりますが美濃赤坂駅から西濃鉄道・市橋線という貨物線が伸びており、次の乙女坂駅が終着駅です。

新幹線で大垣周辺を通ると北の方角に禿山が見えますが、これが金生山です。ここは2億5000万年前の海底が隆起した山で石灰岩がとれます。採掘は江戸時代から行われており、この石灰石を輸送するために西濃鉄道が作られ、今も1日に3便、貨物列車を運行しています。

せっかくなんで美濃赤坂駅まで大垣から列車に乗ろうと考えたのですが昼間は3時間に1本ペースなので断念。大垣でレンターサイクルを借りて向かうことになりました。終着駅の風情がとってもいいですね。

お茶屋屋敷・赤坂宿

岡山にある家康本陣の近くを中山道が通り、赤坂宿がありました。関ヶ原の戦いが終わった慶長10年(1605)に赤坂宿の高台に築かれたのが、お茶屋屋敷です。この年は家康と秀忠が上洛し、家康から秀忠へ征夷大将軍が引き継がれた年です。将軍職を世襲し豊臣方に政権を渡さないという意思表示したと、よく映画やドラマで描かれますが、秀吉は関白(公家の頂点)になっているので秀頼が関白職を継げば問題ないと考えていた説もあります。

■屋敷ではなく城
さて、お茶屋屋敷は家康が造った上洛用の宿泊施設です。屋敷という名前がついていますが完璧に城です。四方を土塁と堀で囲み、隅には櫓がありました。今は土塁と堀しか遺構がありませんが、中には岐阜城の麓にあった信長の居館などを移築して使っていました。お茶屋屋敷は家康は秀忠が使っていましたが、将軍が上洛する機会が減り、維持費が大変なことから建物などを取り壊されました。

街道筋にいくつかこういったお茶屋屋敷が造られ、近江・野洲に永原御殿跡がありますが、ここも完璧な城でした。

関ケ原の戦い 岡山家康本陣

岡山家康本陣

家康が全国の大名に東軍につくよう江戸から勧誘の手紙をせっせと送っているところに、福島正則ら先発隊が岐阜城をわずか1日で落城させたという報が届きます。そんなに早く落ちるとは思っていなかった家康は、家康が着くまで待てと先発隊に飛脚を出し、中山道を進んでいる秀忠軍にも美濃に急ぐように連絡します。あわてて江戸から出陣し東海道を進んで到着したのが大垣赤坂にある岡山です。岡山の頂上に家康の馬印があらわれたことで西軍に動揺が拡がります。

大垣でレンターサイクルを借りて岡山本陣を目指しましす。まあまあの距離があります。低い山ですが寺の敷地で登れなくなっていました、残念。そんな情報はしっかり出しておいてよ。本陣をおいた岡山は低山ですが、当時は高い建物がなかったので石田三成側からの物見からはよく見えたでしょう。さすがに岡山は大垣城から離れすぎていて家康の旗印を見るのは無理ですねえ。西軍では家康出現の動揺をおさめるために島左近が一計をたてて杭瀬川の戦いを行い、東軍との初戦に勝ち士気を高めました。

織田信長 居館跡

織田信長居館跡

ぎふ金華山ロープウェーのすぐ近くにあるのが織田信長居館跡。斎藤道三の頃から舘があり、当時の石垣も残っています。信長が迎賓館として大改修しています。現在も発掘調査が続いており、館跡からは金箔を施した瓦の破片が発掘され、ルイス・フロイスの「日本史」に、庭園を見た後に濃姫の金で彩られた部屋を訪れたと記述していることから、濃姫の館と類推されています。

フロイスによると庭園が4つも5つもあり、建物は4階建てで見晴らし台からは町が一望できました。フロイスは岐阜城にも招待されており、エッチラオッチラと登山したんですね。昔の人は本当に健脚です。

公家の山科言継が家康に後奈良天皇の法事への寄付をお願いに三河へ行く途中、岐阜に立ち寄った時は家康には飛脚を送るから岐阜に留まればよいと歓待を受けて1ケ月ほど滞在し、家康からの資金調達にも成功しています。信長は岐阜城と麓の館の間を、よく行き来しており、ほんまに健脚ですなあ。

鷺山城

鷺山城

岐阜でセミナーをしたついでに斎藤道三の鷺山城へ行ってきました。

山城には珍しく歴史が分かっています。鎌倉時代、佐竹秀義(佐竹家3代目)が築城し、室町時代は美濃国守護である土岐氏が使っています。麓には土塁と堀で守られた福光御構が造られ、守護所がありました。守護所はこの後、革手城、大桑城へと移転します。大河ドラマ「麒麟がくる」では大桑城が守護所になっていました。

土岐氏を追い出した斎藤道三が家督を斎藤義龍に譲ると鷺山城に隠居します。濃姫は鷺山城で生まれ、織田信長に嫁ぎ、鷺山殿と呼ばれています。鷺山城は公園になっていて遊歩道がついていて登りやすくなっています。堀切や郭跡などが残っていました。長良川の対面に稲葉山城(岐阜城)が見えます。

本籍地、覚えていますか

役所

人が亡くなると諸手続きがあるんですが、これがけっこう大変です。皆さん、自分の本籍地って把握していますか?

出生時から除籍までの戸籍が必要になるので津市役所・窓口に行って、住所を書いて申請すると、しばらくしてから
「これ本籍地じゃないんですよ」と窓口で言われます。
「エーッ、これが住所ですよ」
「これは住居表示でして、本籍地じゃないんです。本籍地で申請してもらわないと証明を出せないので、なんか長い名前の住所ってありませんでしたか?」
と助け船を出してくれます。

「まさか弓屋敷とかいう地名じゃないでしょうね」
実家は藤堂藩時代、弓を扱う家臣の屋敷が立ち並んでいた地域でした。

「ピンポン!その住所、分かりませんか」
「そんなの40年ぐらい前に住所が変わって覚えていません」
とは言ってみたものの、仕方ないので窓口でひたすら記憶をたどって思い出し「弓屋敷〇〇〇」です。

「弓屋敷〇〇〇の後ろに枝番があるんですが」
「3ですか」
「おしい、でも近いです」
「4ですか」
「ピンポン!では証明書をお出ししますね」
なんとも柔軟な職員の方で助かりました。

引越しなどで転籍し本籍地を動かしたりしているとけっこう大変です。しかも「住居表示に関する法律」で町名だけなく番地まで変わっていると、もう一つ大変です。一度、自分の本籍地の変遷も調べておかないと。

岐阜バス

岐阜駅前に赤く小さなバスがとまっていました。なんと無人バスで2023年11月から2028年まで5年間、運行するそうです。平日は10~16時まで運行していて毎時0分、30分に岐阜駅を出発しています。岐阜城の麓にある歴史博物館前にも停車するので観光客にも便利ですね。ただ土日は本数が減るそうです。

定員は10名で原則、予約制です。あとで案内を見たら空席がある場合は、予約なしでも乗車できるそうで、今度行く機会があれば乗ってみようっと。岐阜は駅前のバスが充実していて、ひっきりなしに来るので、わざわざ時間を予約して乗る人は限られるでしょう。また市内を走っているところを見ましたがチンタラ走っていました。急ぐ人には不向きですねえ。

さて岐阜バスですがICカードが使えると思って、読み取り機にかざしたら「ブー!」。岐阜バスが発行しているICカードしか使えないそうです。JRといい岐阜へ行くのはけっこう大変です。

2024年3月2日より、岐阜バスでも全国の交通系ICカードが利用可能になるそうです。

サラダパン

なぜか岐阜駅のコンビニ前でサラダパンを売っていました。サラダパンは滋賀県民のソールフードで、映画「翔んで埼玉 琵琶湖より愛を込めて」にも登場するパンです。

■意外とちかい岐阜
岐阜と滋賀って意外と近く、岐阜駅から西に西岐阜、穂積と行くと松尾芭蕉の「奥の細道」の終着地、大垣駅があります。ここから垂井、関ケ原、柏原、近江長岡、醒ヶ井駅と鈍行列車で進むと米原駅乗り換えとなり姫路行の新快速が出ています。

便利なのですが、大垣駅からイコカで乗車し、米原駅で対面のホームにとまっている新快速に乗り換えて、大阪の駅で改札を通ったら「ブー」という音が!JR東海、JR西日本と乗り継いでICカードは使えないそうです。私鉄なんか相互乗り入れしているのでJRも民営化したんだから何とかしてよ!

■サラダパン
さて、サラダパンと言ってもサラダは入っておらず、千切りたくあんをマヨネーズであえて、コッペパンにはさんだパンです。盛岡のソウルフード、福田パンと違ってバリエーションはありません。久しぶりにサラダパンを買って、さっそく食べましたが、この素朴な味がいいですね。