石の宝殿

石の宝殿

伊保からずっと北に歩いていくと宝殿山があり、古代から現代まで竜山石の切り出しが行われています。坂を登るととっても眺めがよい生石神社があり、ご神体になっているのが石の宝殿です。でっかい石の塊で、なんと幅や高さが7mちかくあります。ほんまにでっかい直方体の石です。ぐるっと一周できます。

おそらく古墳の石棺にするために切り出された巨石で、どういうわけか運ばれずにそのまま残り、生石神社のご神体になっています。石棺以外にも諸説あり、いまだに謎です。この大石は播磨国風土記に登場していますので飛鳥時代頃には存在していたようです。近くを川が流れているので船運で伊保まで運んで、伊保港から出す予定だったのでしょう。

高槻にある継体天皇陵(今城塚古墳)では3つの石棺が見つかり、一つは石の宝殿がある竜山石が使われています。遠くは阿蘇から馬門石が使われています。飛鳥にある益田の岩船も石の宝殿と同じぐらいの巨石ですので、まあ石棺でしょう。石の宝殿は名所となり江戸時代には参勤交代の途中で大名が参拝していました。

かつめし

かつめし

妻鹿駅から山陽電鉄に乗って伊保駅へ

駅の近くに一平というお店がありました。加古川のB級グルメとして知られているのが「かつめし」です。ご飯の上にビーフカツをのせ、デミグラスソースをかけ、茹でキャベツを添えた料理なんですが、「かつめし」の名付け親が、この一平なんだそうです。おいしくいただきました。

妻鹿(めが)城

妻鹿(めが)城

秀吉の命令で播磨に侵攻してきた秀吉の将来性にかけたのが小寺氏家老だった黒田官兵衛です。

黒田家は姫路城を本拠地にしていましたが、本丸を秀吉に提供し、黒田官兵衛は二の丸に移ります。他の黒田一族は妻鹿(めが)城に移ります。官兵衛の父親である黒田職隆(大河ドラマでは柴田恭兵が演じていました)は官兵衛に家督を譲り、近くの妻鹿城を隠居用の城にしていました。ちなみに今の姫路城は家康の娘婿である池田輝政が大改修したものです。

妻鹿城は甲山山頂に造られました。麓に荒神社があり、ここから登山道が整備されています。郭や虎口などに案内版がついていて、分かりやすくなっています。主郭からは姫路城を見ることができます。

西方院山城

西方院山城

「おやぢの会」 集合場所が春日神社・国宝殿でしたので、少し早めに出かけて西方院山城に登ってきました。丘城です。

奈良ホテルが鬼薗山城跡というのは、皆さんよくご存じだと思いますが、その対面にあるのが西方院山城です。奈良ホテルの駐車場から斜面を登らないといけないんですが、観光客に不審者と思われないよう、人の気配がなくなった頃を見計らって登らないといけません(笑)。大きな2つの郭からなり、二重堀切が見事で土橋もきれいに残っています。

■西方院山城
築城年代が確定出来る珍しい城です。大和では筒井と越智の二大勢力が戦っており、越智側だった古市氏が筒井氏に備えるために文安元年(1444年)に築城をはじめます。その前に鬼薗山城を造ることになり、まず鬼薗山城の築城が進められます。西方院山城はしばらく、ほったらしだったんですが、文明11年(1479年)に越智氏、古市氏は筒井氏に備えるため城を完成します。ところが、完成3日後に筒井方の軍勢が押し寄せ、鬼薗山城ともども落城してしまいました。

おやぢの会

浮御堂

なんやかんやで20年ほど続いている「おやぢの会」。

平均年齢がめちゃくちゃ高い会ですが、メンバーの一人が奈良まほろばソムリエの資格を取得。それなら奈良を案内してもらおうと春日大社や高畑町を巡ってきました。参道に約2000基の石燈籠があり、春日社と記載されているものがほとんどですが、15ほど春日大明神と記載されたものがあるそうです。見つけると、お金持ちになれるという伝説があるそうで、ソムリエに教えてもらいながら3つを発見。

志賀直哉旧宅の隣に、金・土・日の午後しか営業していない、おしゃれな「たかばたけ茶論」でお茶を。緑に囲まれたオープンテラスカフェで、場違いな集団で珈琲を飲んでました。

吉野探訪

吉野

ファイティング・コンサルタンツ研究会という中小企業診断士が集まった研究会があるんですが、設立当初の目的はどこへやら、月日が経つというのは残酷で、途中からグダグダに(笑)今や単なる酒飲み集団になっています。

昨日は吉野探訪へ。吉野駅を降りるとすぐにビールを買って飲むメンバーばかりなので最後までずっと飲んでいました(笑)。ビールを飲んだ後、七曲りの坂を登り、昼食。もちろん宴会しながらです。ようやく吉野の入口に至って、蔵王堂、吉水神社などの定番スポットを巡りました。がんばって中千本まで登り、上千本まで向かおうとしたところ、長い急坂を見た瞬間に会長が「帰ろう」と言いだして吉野ツアーは終了。

橿原神宮駅まで戻って、宴会して散開しました。

■吉野城
吉野の蔵王堂などは尾根筋にあり、両側は切れ落ちています。吉野は全山が山城になっていて南北朝時代には護良親王(後醍醐天皇の息子)が幕府軍と吉野で戦いました。ですので堀切跡や砦跡がいくつか残っています。

天理ラーメン

天理ラーメン

せっかく天理まで行ったのでお昼は天理ラーメンへ。天理のご当地ラーメンです。

天理駅から天理教協会本部まで続く商店街の途中に天理スタミナラーメンのお店があります。天理ラーメンには天スタと彩華があり、どちらも屋台が発祥です。奈良県民は彩華派と天スタ派で好みが分かれます。天スタは関西一円に店がありますが、圧倒的に奈良県が多く、大阪、兵庫、滋賀は1軒だけ、なぜか三重には4軒あります。

彩華ラーメンも同じで奈良県に集中しています。天理ラーメンは白菜を主体とした野菜の具が特徴のラーメンですが、チャーシュー麵を頼むと野菜は見えませんね。

天理参考館

天理参考館

せっかく天理へ行ったので天理参考館に寄ってきました。正式名称は天理大学・附属天理参考館で、建物は天理教の独特のデザインになっています。入館料500円で誰でも入れます。

エントランスにはでっかいオルメカ石頭像があり、1階・2階が世界各国から集められた民俗・生活資料が展示されています。国立民族学博物館よりもちょっと小ぶりな感じです。

目的は3階で考古学フロアになっています。天理にある日本最大の前方後方墳である西山古墳や布留遺跡の展示が充実しています。一角に中国の古代のでっかい石碑などが並んだところがあり圧巻です。

豊田城

豊田城

天理から飛鳥まで運河が作られました。作ったのは斉明天皇が狂心渠(たぶれごころのみぞ)と酷評されました。天理にある豊田山から石を船で飛鳥まで運んだことが分かっています。

中世になり、この豊田山に造られたのが豊田城です。城主は興福寺衆徒の豊田氏です。筒井氏に属していた永禄11年(1568年)に松永久秀の攻められて豊田城は落城し、その後は松永氏の城となりました。大河ドラマ「麒麟がくる」でも筒井順慶と松永久秀が大和の覇権をめぐってバチバチやってましたね。

石上神宮から奈良方面に山辺の道を歩いていくと途中で豊田城へ行く道標があります。ここから山道に入っていきますが、そんな酔狂なハイキング客は誰もいません。また豊田城は藪が多いので夏はおすすめできません。城に入ると7つほどの郭と土塁、空堀が残っていますが、この空堀が二重になっていて規模も大きく見事です。縄張り図を見ると城から少し離れたところに長大な空堀が2つあるようですが、藪が多く断念しました。

朝から雨

雨

大阪は朝から雨。

ゴールデンウイーク最終日、観光地はどこも混んでいますが、山城なんか酔狂な人間しか行きません。出かけたいのですが天気には勝てません。雨がやんでも土塁や堀切などは泥状になるので少し晴天が続いて乾かないといけない、なかなか微妙なところがあります。

仕方ないので、次にどこへ行くか計画中。あと地球温暖化の影響でシーズンがいつまで続くかですね。