
三宅八幡神社の背後の山に築かれた山城です。比較的、簡単に登れる山城ですがゴルフ練習場が麓にあり山城にまでネットが張られていて、かなり改変されています。南側にある削平地をすすんでいくと倒木が多い一帯があり、かきわけていくと郭に入れます。登っていくと主郭があります。郭はよく分かりますが堀切などはだいぶ埋もれてしまっていますね。
いよいよ夏本番となり山城シーズンは完璧に終わってしまいました。
三宅八幡神社の背後の山に築かれた山城です。比較的、簡単に登れる山城ですがゴルフ練習場が麓にあり山城にまでネットが張られていて、かなり改変されています。南側にある削平地をすすんでいくと倒木が多い一帯があり、かきわけていくと郭に入れます。登っていくと主郭があります。郭はよく分かりますが堀切などはだいぶ埋もれてしまっていますね。
いよいよ夏本番となり山城シーズンは完璧に終わってしまいました。
ファイティング・コンサルタンツという、20年ほど前、コンサルティングファームを目指していたはずが、道を踏み外し、今や歴史探訪&酒飲み集団になっているグループです。
昨日はなんと5年ぶりに研究会を開催。本町にある貸会議室ラミ本町という、とっても分かりにくい会議室を借りて実施。終わってからは船場ビル地下の居酒屋で宴会です。いつもは延々とお酒を飲むのですが、昨夜は珍しく2時間で散開しました。
B級グルメついでに滋賀のサラダパン。サラダは入っておらずマヨネーズであえた、たくあんのペーストが入っています。これがいけるんですね。
木之本にある「つるやパン」の商品で、木之本といえば北国街道沿いで賤ヶ岳の戦いで秀長(来年の大河ドラマ)が守った田上山城があるところですね。サラダパンは60年も滋賀県民に愛されたロングセラーとなります。なんせ180円という安さもいいですね。
昼過ぎに武生に着いたのでランチは武生のB級グルメであるボルガライスです。オムライスの上にトンカツがのったのに特性ソースがかかっています。なんでボルガ―というのか諸説あるそうで、見た目が火山(ボルケーノ)に似ている、ロシアの卵料理ボルガにちなんだ名前など様々。30年以上前から存在するそうです。
いろいろとバリエーションがあるのですが、越前ソバ屋さんの店にあるのを発見し、食べましたがオムライスにトンカツがのった味でした(笑)。個人的には長崎のトルコライスの方がいいなあ。
オフ会が終わり三六温泉・神明苑のすぐそばに神明駅があったので帰りは福井鉄道で武生を目指します。福井鉄道は神明にあった陸軍歩兵第36連隊の兵員輸送を目的につくられた鉄道です。神明駅の近くに連隊の門柱だけが残っていました。
昔、福井駅から永平寺や三国港までチンチン電車に乗った記憶があるんですが、あれは京福電鉄(えちぜん鉄道)だったんですね。永平寺まで行く永平寺線はなくなっていました。福井鉄道とえちぜん鉄道・三国芦原線は相互乗り入れをしているので今も福井駅から三国港まで直通で行けます。
2両編成の福井鉄度ですが車両は新しく、なかなか快適です。たけふ新駅が終点になっていました。
オフ会で泊まったのが鯖江にある三六温泉・神明苑。宿の近くに「歴史の道」があり、これが昔の北陸道なんですね。高台をずっと街道が続いています。この街道沿いにあるのが兜山古墳、直径70mもある円墳です。5世紀頃にできましたが古墳の一番上に八幡神社が建てられたため、住宅地なのに破壊をまぬがれました。他に2つの古墳が近くにあったのですが、こちらは残っていません。
兜山古墳は国史跡になっているので、きれいに整備され堀もきれいに残っています。頂上まで登ると眺めがいいですね。越前は継体天皇が出た地域で、兜山古墳は前方後円墳ではないので、このあたりの有力な首長墓とみられます。
武生(たけふ)にあるのが総社大神宮です。
■総社とは
総社は全国にありますがコスパ重視でできた神社です。国司が任国に赴任すると一ノ宮から二ノ宮、三ノ宮と土地の神様に順番に回って挨拶していましたが、やがてこれが形骸化。全部回るのは面倒くさいと始まったのが総社です。これは国内の神社を国府近くの1ケ所に集めたものです。総社神社や六所神社という名前で全国に残っています。
■紫式部ゆかりの神社
境内には越前国府の碑がありましたが、まだ正確な場所が判明していません。総社大神宮から100mほど離れた本興寺あたりではないかと発掘調査が行われています。越前国府といえば大河ドラマ「光る君へ」で藤原為時(岸谷五朗)が赴任し、紫式部がくっついていたところです。境内には紫式部ゆかりの神社というノボリが建っていました。
丸亀城から30分強、歩いたところに称念寺があり、新田義貞の墓で有名です。新田義貞は足利尊氏に敗れ、後醍醐天皇の息子である恒良親王、尊良親王を奉じて北陸に逃れ北陸王朝(九州王朝はうまくいきました)の樹立を目指しましたが、藤島(福井市)の戦いで討死にし称念寺に葬られました。
■新田氏は徳川の祖
寺の一角に大きなお墓がありました。徳川家は上野国新田郡徳川(得川)郷出身で新田氏が先祖ということにしていますので江戸時代は徳川家の庇護をうけています。ほんまかどうかは分かりません。
■明智光秀が10年間いた
この称念寺の門前に住んでいたのが美濃を追われた明智光秀で寺子屋を開いて10年間ほど住んでいたようです。大河ドラマ「麒麟がくる」でも描かれていましたね。称念寺近くに朝倉氏の家臣だった黒坂備中守の館があり、まず黒坂氏に仕えていたようです。ここから足利義昭の側近までステップアップしていたんですね。
さすがに一乗谷までは遠いので朝倉街道沿いにも拠点(明智神社があるところ)があり、お玉(細川ガラシャ)が生まれたのには称念寺と明智神社の2つの説があります。
織田信長が越前一向一揆を収束させたあと、柴田勝家の甥である柴田勝豊が築城しました。柴田勝豊はこの後、近江長浜城主になりますが、秀吉と勝家が戦うことになった時、勝家との不和から離反して秀吉側につきました。
丸岡城は平山城で現存12天守の一つですが福井地震で倒壊したため、1955年に部材を再利用して再建されたものです。再建ですが昔の天守の姿をそのまま残していますから、2階、3階にあがるにはハシゴのような階段を使う必要があります。崖のような階段で上から縄がぶら下がっているので、これを頼りに登ります。
■一筆啓上
丸岡城の城主はいろいろ変わりますが、有名なのが本多成重です。というより本多成重の父親である鬼作左(本多作左衛門重次)が有名で、家康に従った戦いで陣中から奥さんに「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ」という日本一短い手紙を送ります。このお仙が本多成重の幼名です。
鬼作左ですが勇猛は世間にとどろいていました。岡崎奉行になった時に法令を住民が守らないと部下から相談がありました。法令が書かれた高札を見ると漢字ばかりの文章になっています。さっそく全部かなで書き、最後に「この法律を守らぬと鬼作左が怒るぞ」と書いたら効果てきめんでした。
福井に来たなら8番ラーメンです。関西に店舗がないので敦賀まで行かないと食べられません。
8番ラーメンは石川発祥のラーメンチェーン店で北陸3県(石川県・富山県・福井県)に拡がっています。8番と書いた蒲鉾「ハチカマ」がのっています。特徴は野菜ラーメンで天理ラーメンに似ていていますが、スープはスガキヤに若干似ていて、あっさりしています。国道8号線沿いに店を出したことから8番ラーメンになりました。