
桜井に戒重(かいじゅう)という地域があります。敏達天皇の訳語田幸玉宮(おさださちたまんみや)があったと伝わっています。敏達天皇は欽明天皇の皇子で、物部尾輿、蘇我稲目が活躍した時代です。
欽明天皇が百済の聖明王から仏像と経典を受け取り、蘇我稲目が祭ることになりました。その後、廃仏派の物部尾輿と崇仏派の蘇我稲目の対立しますが、ちょうど疫病が流行したため仏を祭ったからだと物部尾輿が敏達天皇に働きかけ、仏教禁止令を出させて豊浦寺(向原寺)を燃やします。
■善光寺
仏像は難波の堀江に捨てられたのですが飛鳥から、わざわざ難波に仏像を運んで大川にまで捨てにいったんですかねえ。豊浦寺の前に池があるので、こちらに捨てたという説もあります。この仏像を拾い上げたのが本田善光で、信濃の家に持って帰って、おれが善光寺になりました。
敏達天皇はこれが心労になったのか病で亡くなり、仏教問題は次世代に引き継がれます。厩戸皇子(聖徳太子)のお父さんである用明天皇が即位し、蘇我馬子らが物部守屋を滅ぼします。実際はそんな単純な話ではなく半島情勢なども大いに影響していたのでしょう。








