
エントロピー増大の法則って、ご存じですか。「秩序のあるものは、放っておくと必ずバラバラになり、無秩序の状態になる」という法則です。重要なのは、その逆が起きないことです。
つまり、きれいに本を整頓していても絶対に崩れてしまのが真理というものです。真理には逆らうことができません。ジタバタせずに、あるがままを受け入れましょう。って単なる言い訳です(笑)。
エントロピー増大の法則って、ご存じですか。「秩序のあるものは、放っておくと必ずバラバラになり、無秩序の状態になる」という法則です。重要なのは、その逆が起きないことです。
つまり、きれいに本を整頓していても絶対に崩れてしまのが真理というものです。真理には逆らうことができません。ジタバタせずに、あるがままを受け入れましょう。って単なる言い訳です(笑)。
暦の上では秋といいながら今日も暑いですなあ。
大阪は午前中が雨で、ちっとは涼しくなるかなと期待しましたが、湿気で蒸し暑くなっただけでした。立秋はもともとは中国大陸で生まれた二十四節気の一つですので、海に囲まれた日本とは時期があわない面もあります。
日本と中国では経度差(時差)があるため天地明察では唐から伝わった宣明暦が時代とともにあわなくなり渋川春海があらたに貞享暦を作る話が出てきます。
また同じ本を買ってしまった!
本を買う前に極力、注意をして後書きや途中の文章を少し読み、「覚えていない!買っていないはずだ、大丈夫だ!」と買っています。最近はだぶって買うことがなかったのですが、「大阪のなぞ 歴史がつくってきた街のかたち」という本を読み進めていくと、ナビオ阪急(現在のHEP NAVIO)は船の帆先に見立ててデザインしたもので、ナビオにはポルトガル語の「大きな船」という意味があると書かれています。その通り!
待てよ、どこで知ったかなあと、よく考えていたら同じ本を買ってました。ウーン、今度からはもっと内容を読み込んでから買うかどうか決めなければ!
猛暑が続いています。涼しくなるのはいつのことやら。
中業企業診断士試験・経営情報システムの問題が届きました。予想どおりAIに関する問題が2問出ていましたが、1問はAIへの攻撃問題。そんな方面から出題するんですかいなあ!難問になりやすい統計の問題は出ず、SQLが2問出ていました。ブロックチェーンの問題も出ていましたが、ちょっと難問ですね。あとはオーソドックスな問題でした。
今日は経営法務、経営情報システム、中小企業経営・中小企業政策の3科目です。
経営情報システムはAIの問題がでるでしょうねえ。バックプロパゲーション(誤差逆伝播法)法などは受講生に説明したので大丈夫でしょう。
そうそう「脳・心・人工知能」(甘利俊一著 講談社ブルーバックス)を読んでいたら確率的勾配降下法という名前で甘利先生が1967年にAIの学習法を提唱していたんですね。
当時のコンピュータの能力の低さから注目されませんでしたが、これが後のバックプロパゲーション法と同じでした。こうなると生成AIは日本から誕生していた可能性がありました。4004もそうですが、この手の埋もれた逸話が多いですね。
平城京・羅生門の最寄駅が近鉄郡山駅です。駅のすぐそばに大和郡山城があり、城の中を近鉄線が通っています。
大和郡山城は小さな城があったのを筒井順慶が大幅に改修し、筒井氏が伊賀に転封した後は羽柴秀長が改修して居城にしました。羽柴秀長といえば来年の大河ドラマの主人公です。「2026年放送NHK大河ドラマ『豊臣兄弟』 秀長さんゆかりの町」というノボリがたくさん並んでいました。
羽柴秀長は兄の秀吉を大いに助け天下取りに貢献しました。最後の仕上げである小田原攻めの時に大和郡山城で病死します。市内には大納言塚というお墓があります。
下ツ道シリーズのラストです。
稗田環濠集落の北側にあったはずの下ツ道は残っておらず、佐保川の堤防をすすんでいくと平城京の羅城門跡があります。川の流れが往時とは変わっており、羅城門は現在の来世橋の位置にあり、礎石が河川敷にあります。下ツ道は羅城門から朱雀門までを幅70mの朱雀大路となり3.7km先の朱雀門まで続きます。こちらも道として残っておらず、平城宮跡歴史公園に復元されているだけです。
羅城門は九条大路にあり平城京の南は九条までと考えられていましたが2018年に十条大路跡が見つかり、藤原京の十条と一致していたことが分かりました。ただ十条大路は遷都からわずか20年以内に埋め戻されたようで大きな謎になっています。東大寺などの外京を東側に造りましたので何か計画していたんですかねえ。
下ツ道を北上すると、稗田環濠集落にぶちあたります。稗田と聞いてピーンとくるあなた。古事記ファンですねえ!
古事記は太安万侶が稗田阿礼(ひえだのあれ)が語る物語をまとめたものと伝わっています。稗田阿礼については実在したかも含めてよく分かっていませんが稗田環濠集落にある賣太神社の祭神になっています。天照大御神が天岩戸に隠れた時に、岩戸の前で踊って天照大御神を誘い出した神様が天鈿女命(あめのうずめの)で、この系統が猿女君(さるめのきみ)となり稗田に移り住んでから稗田氏となります。
稗田環濠集落は村を守る水堀がよく残っており、戦国時代の雰囲気がよく残っています。
津は海風が入るので少しは涼しいはずですが、微塵も考えられず、うだるような暑さです。前期、データサイエンス1の講義が本日15回目をむかえ無事に終了。前期テストはなく小テストとレポートだけの評価です。
そう最初の講義で言ったのに、まともにレポートを出していない学生が2人ほど残っています。出席もとってないので、レポートぐらいきっちり出せよ!2人には期限を区切ってレポートを出すよう連絡し、出なければ不可ですね。
学生は今週で講義が終わり、前期試験が終わった8月8日から9月30日まで2ケ月ちかくの夏休みです。いいな~あ!
下ツ道から少し西に行くと番条環濠があります。佐保川に沿って南北に伸びた番条城で、北は菩提仙川が掘替わりになっています。中世は3つの郭で構成され北側から北ノ城、北薮、南薮という地名でした。番条城の東側には堀跡である水路が今も健在です。
大乗院の衆徒だった番条氏の居城で越智氏とともに筒井氏と対立していましたが、長禄3年(1459年)筒井方に攻められ敗れました。番条氏は筒井氏に従うことになります。写真は北藪にある堀跡(念仏堀)です。と言っても今はただの水路になっています。筒井氏との戦いで堀に落ちて多くの戦死者が出たことから念仏堀という名前になっています。