明石城

明石城
JR明石駅の目の前に見えるのが明石城。2つの櫓が見えるお城です。
築城したのは小笠原忠真で、最初は高山右近の船上城に入りましたが、新たに築城するよう徳川秀忠に言われ明石城を造ります。船上城から使える部材を運び、現存している巽櫓は船上城の移築櫓といわれています。
4つの櫓と天守閣がある豪勢な本丸でしたが、現在残っているのは2つの櫓です。ただ天守閣は結局、建てられませんでした。築城と並行して城下町の町割りが実施されます。小笠原忠真の客分だった宮本武蔵が指導したといわれています。

節分の巻きずし

巻きずしチラシ
津で節分といえば昔も今も平治煎餅の福引せんべいですが、巷(ちまた)ではいつの頃か恵方を向いて巻きずしをかじるという摩訶不思議な風習になっています。
恵方巻なんだそうで始まりは諸説ありますが広まったのは昭和15年に大阪鮓商組合後援会が「節分の丸かぶり寿司」チラシを発行してからです。戦争で中断しましたが、戦後に復活させました。写真は当時のチラシです。
平賀源内が土用の丑の鰻をひろめたり、チョコレート業界がバレンタインチョコを宣伝したりと、商業主義に踊らされていますねえ。さあ、北北西を向いて巻きずしを食べなきゃあ(笑)

最終校正が終了

バグは本当に虫だった
印刷所からバグ本の刷り上がり原稿が到着。
これを綴じれば本となります。この製本前の印刷原稿で最終校正です。6回も校正したので、もう誤植など無いと思いながらチェックすると、あるんですねえ。(笑)
本では嵐山にある電電宮を紹介しています。電気、電子の神様なんでIT業界もよくお参りする神社です。境内には「不具合撲滅!バグ退散」、「システム安全運行」など、あきらかにIT業界の人間が書いた絵馬などがぶらさがっています。
『考えられるバグはつぶしたが、まだバグが残っているかもしれない。でも納期がせまっているなか、これ以上バグ探しをしている時間はない。人事は尽くしたので、あとは神様にすがるしかない。』ということでしょう。
というわけで最終校正という原稿のバグ取り作業が終り、あとは印刷所へ。もう神様にすがるしかないですね。
バグ本発刊まで 残り19日。
→ 『バグは本当に虫だった

船上城(明石)

船上城
キリシタン大名・高山右近といえば高槻城が有名ですが、高槻の後に築城したのが明石の船上城(ふなげじょう)で明石川の河口に造られた水城です。
吉が関白になった時に全国的に国替えが行われ、高山右近は高槻から明石に国替えとなりました。明石は目の前が淡路島で現在は明石海峡大橋がかかるぐらい狭いところなので瀬戸内航路を監視するにはもってこいの場所です。当時は堺に行き来する貿易船の中継港としても使用されていました。
船上城ですが堀跡が小さな水路として残っているだけで、住宅地に埋没してしまいました。主郭のあったところだけは、こんもりとして丘になっています。近くの児童公園に船上城の説明版がありました。一国一城令が出て明石城が造られる時に船上城の部材がリサイクルで使われました。明石城の巽櫓は船上城の天守か櫓といわれています。
高山右近ですが、この船上城時代にバテレン追放令が出ます。
その後、右近は天正15年(1587年)に発令されたによって船上城を追放されてしまった。高山右近は信仰を守ることと引き換えに領地などを捨てることを選んで、世間を驚かせます。

ツカ見本

ツカ見本
本の厚さのことをツカといいますが、今日、出版社でツカ見本を見せてもらいました。
どれぐらいの本の厚さになるかを確認するために作るそうで、中身は何もない白紙です。また、見開いた時、どこらへんの文字がくるか確認するのにも使うそうです。
今回は原稿が375ページになっちゃいましたので、薄い紙を使っても、けっこうなツカになりました。何も書かれていなくても本の形になっていると、やはり重みがありますね。校正は最終段階にはいり2月21日の発売に向けてラストスパートになりました。
バグは本当に虫だった-なぜか勇気が湧いてくるパソコン・ネット「100年の夢」ヒストリー91話
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桑名商工会議所・会員交流会

ゆめはまちゃん
昨夜は桑名商工会議所の会員交流会。
第1部で10社のPRがあり、PRが終わってからのコメントを頼まれていたので出席しました。コメンテーターは4名でしたが、うち1名は自身もPRするという面白い構成になっていました。さすがに自分でPRして、コメントするわけにはいきませんので、そのコメントはこちらにまわってきました。
なかなか華やかなイベントで、ウチも東大阪商工会議所会員なんですが、こんな交流会をやってくれないかなあ。第2部は会場後ろに20社ほどの展示ブースが設けられていて、展示ブースの見学会。
第3部は交流会ですが、乾杯前に、津軽三味線の生演奏。杉山大裕という23歳の奏者で、なかなかのイケメン。競技会でも優勝しており、優勝した曲の演奏もありました。桑名のユルキャラ「ゆめはまちゃん」によるPPAPもありました。
さすがに桑名から帰る間に、酔いはすっかり醒めてしまいます。

小谷城

小谷城
小谷城といっても近江にある有名な浅井長政の小谷城ではなく堺にある小谷城です。
泉北高速鉄道の泉が丘駅にあるので周辺は住宅街です。ここに鎌倉時代から続く山城跡があり、平政有が城を築いたといわれています。
今や住宅街のど真ん中なんですが、阪和第一泉北病院を作る時に、病院が山城跡を残すことを決定。英断ですねえ!というわけで病院の横から階段を登ると小谷城の主郭跡にたどりつきます。住宅街なんでスーツ姿で登れる山城です。
■平氏一門・小谷氏
鎌倉時代の終わりになると、楠正成の軍に加わって南朝方で戦っていました。小谷城は千早・赤坂から狼煙火の中継点として使われていたようです。
やがて織田信長の根来攻めの時に、あたり一帯が根来側だったため攻められ落城してしまいます。子孫は小谷氏として郷士となり、大坂の陣では家康側で戦っていました。

岡城(畑城)

岡城
大津皇子の墓が二上山の雄岳にありますが、ちょうど雄岳に登る登山口近くの尾根にあるのが岡城(畑城)です。登山口から山城に入る道がなく、仕方なく切岸、早くいえば崖を登って先端の曲輪に入りました。帰りに給水タンクの裏側から登れたことを発見します。
尾根沿いに曲輪がずっと続いており、曲輪と曲輪の間には堀切もあります。写真は堀切の一つですが、遠くからみたら単なる土の塊ですね。別の尾根にも曲輪が続いているので、かなり大きな山城ですが、曲輪のなかは藪でした。
■国人・岡氏
山城では珍しく造った人が判明しており、国人・岡氏の山城です。大和の地には守護がおらず興福寺が支配し、国人が属していましたが一乗院傘下の筒井氏・越智氏、大乗院傘下の十市氏・古市氏に分かれて争われていました。岡氏は応仁の乱では越智方に属していたようです。
戦国時代に入ると松永久秀に属することになります。曲輪の端から見てみたら、すぐ先に信貴山城がみえますので、松永久秀に属さないわけにはいかないでしょう。松永久秀が信長に滅ぼされる前に信長に寝返りますが、許されず焼き討ちされたようです。

電子メールの日

誰も教えてくれなかった中小企業のメール活用術
本日は1(いい)23(ふみ)の日ということで電子メールの日になっています。
便利な電子メールですが、スパムメールや標的型メール攻撃が増えておりますので、ご注意を!電子メールの使い方でお悩みでしたら「誰も教えてくれなかった中小企業のメール活用術 」をぜひ、どうぞ!(笑)
Kindle Unlimitesを申込まれている方は対象商品です。印刷版もあります。

バグ本(バグは本当に虫だった)が出ます 

バグは本当に虫だった なぜか勇気が湧いてくるパソコン・ネット「100 年の夢」ヒストリー91 話
バグ本が出ます!
正式名称は『バグは本当に虫だった なぜか勇気が湧いてくるパソコン・ネット「100 年の夢」ヒストリー91 話』です。
発行:ペンコム 発売:インプレス 1,944円
発売日:2月21日
長いのでバグ本と読んでいます。山城巡りのシーズンだというのに年末からずっと家にこもって校正作業をしておりました。(笑)
パソコンやネットの歴史なんですが、あまり知られていない逸話を中心に取り上げていて、文系の方向けに分かりやすく書いています。
電子版も同日発売します。
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