本日はセンター試験2日目。受験生の皆さん、がんばってください!
前日の日本史Bの問題が新聞に掲載されていましたが土地制度の問題で出ていたのが「東大寺領糞置荘開田図」の写真。どっかで見たなと思ったら昨年の正倉院展で出ていた「東大寺開田地図 越前国足羽郡糞置村田図」でした。麻布に描いた天平神護2年(766)作成の地図です。
また地理Bを見ていると”城下町としての歴史をもつ日本のある都市”として城跡などの市街地の地図が出てますが、独特の城跡の形から彦根城とすぐ分かります。となるとB地点は夢京橋キャッスルロードとすぐ分かります。城好きの受験生には有利な問題ですね(笑)。
カテゴリー: 日記
2017年 三大ニュース
近くの石切劔箭神社にお参りに行くと大祓の茅の輪が境内にありました。年末ですねえ。
2017年の三大ニュースです。
■合同会社エムアイティエスを設立
3月3日に合同会社エムアイティエスを設立。自分で自分に役員報酬を出すのですが売上をあげないと資本金を食いつぶすことになり、もっとしっかり働きなさいよ、俺!
■「バグは本当に虫だった!」出版
2月にペンコムから「バグは本当に虫だった!」を出版。本屋に自分の本が平積みになっているのを見るのは感激でした。
■山中城踏破
秀吉の小田原城攻めで立ちはだかったのが箱根の名城・山中城。槍の勘兵衛こと渡辺了が攻め入って一番乗りの功名をあげた記録が残っています。前から行きたかったのですが東京へ行くついでに寄ってきました。障子堀が見事でした!
販売士資格の更新
源氏の源流 蛭ケ島
東京に一泊した後、早朝から伊豆へ移動。
まずは蛭ケ島を目指します。皆さん、よくご存知の源頼朝が流された地です。近くには北条氏館があり北条氏が支配する土地でした。後には堀越御所が作られ堀越公方の根拠地となります。
平治の乱で敗れた源義朝が尾張へ落ちのびますが、部下の裏切りにあい暗殺されます。そこで問題となったのが源義朝の子供で源氏の嫡男・頼朝の処遇です。当時、13歳で死刑が当然でしたが、ところが平清盛の継母である池禅尼が助命を願ったことから伊豆の蛭ケ島に流されることになります。平清盛、最大の失敗でした。
蛭ケ島で20年を過ごし、北条政子と結婚。北条氏を味方につけ旗揚げ、平氏を滅ぼします。幕府を開き、源氏の天下となりますが、源義家以外は跡を継いだ足利氏(源氏)もろくな死に方をしない一族となります。源氏から政権を戻すために織田信長は平氏を名乗ります。
さて蛭ケ島ですが、現在は地続きになっていて富士山を眺める源頼朝&北条政子の銅像が建っています。
大宅壮一文庫
探検バクモン(NHK)で雑誌専門図書館「大宅壮一文庫」訪問記を放映していました。
”大宅壮一文庫そのものを知らない人も多い”というデヴィ夫人の発言にビックリ!国会図書館にない本を探すなら大宅壮一文庫というのが定番だったんですが時代は変わったんですね。
国会図書館には納本制度があり、国内で発行されたすべての出版物を、国立国会図書館に納入することが義務づけられています。実際に検索すると私の著者も3冊、納本されていました。
昔、月刊誌、週刊誌などは国会図書館に納められず消えていくだけ、それを集めて索引もつけて保管したのが大宅壮一文庫です。立花隆がせっせと大宅壮一文庫に通い、田中角栄の金権政治を暴いた「田中角栄研究」を上梓したことでも有名です。
国会図書館に納本されていた「インターネット情報収集術」(秀和システム 1997)を久しぶりに書棚から出すと、大宅壮一文庫は出てきませんが、情報図書館RUKITについて書いていました。RUKITは図書館と言いながら本はなく、専門知識がない一般人がサーチャに教えてもらいながら各種データベースを検索できる便利な図書館でした。今はもうなくなったようですね。久しぶりに本を読み返すとなかなか面白いことが書いてあります。
ホームページの顔写真
日経新聞・投資情報欄に「一目均衡」というコラム記事があるのですが、火曜日(9/5)に面白い内容が掲載されていました。
ひふみ投信を運用するレオス・キャピタルワークスが行った調査で、上場企業がホームページに社長や役員の顔写真を掲載しているかどうかと株価の関連の分析をした結果です。
■社長や役員の顔写真がないと株価が低い
全体平均よりも14%低い株価評価で情報公開に消極的な姿勢が顔写真にもあらわれていそうという分析。また不祥事企業の多くではホームページに社長の顔写真がなかったそうです。
反対に役員の顔写真が掲載されている会社は全体平均を70%強、上回っていました。社長の経営方針など非財務情報が株価に影響を与えますので情報公開姿勢は重要です。
ということは中小企業も同じでホームページの経営者の顔写真が情報公開姿勢や会社の雰囲気のバロメータになりそうですね。合同会社エムアイティエスではバナー画像として全ページに顔写真が出てきます。(笑)
浦島太郎は建国に関わっていた?
「かぐや姫」とくれば次は浦島太郎です。浦島太郎というおとぎ話はメチャクチャ古くからあります。
まず正史である「日本書紀」に出てきます。丹波国の浦嶋子(浦島太郎)が釣りに出かけ大亀をつかまえました。この大亀が実は女性で、浦嶋子の奥さんとなり、二人で海中に入って蓬莱山へ行き、仙人たちに会ってきたという話です。日本書紀には別巻があったと最後に書かれていますが残念ながら伝わっていません。別巻を作るぐらい、浦島太郎を重要視していたようです。
日本書紀の成立は養老4年(720年)ですが、それ以前から流布していたのは確実です。蘇我氏が滅んだ時に天皇記、国記が焼けてしまいましたが、おそらく浦島太郎の話が書かれていたのでしょう。
■浦島太郎って誰?
浦島太郎とよく似た人物が神武東征で出てきます。神武天皇が大和へ向かう時に、珍彦(うずひこ)という人物が水先案内人をしますが、これが亀に乗って釣竿を持った人物。
万葉集では浦島太郎の舞台が住吉になっています。住吉神社に祀られている住吉大神は塩土老翁で、モデルが武内宿禰といわれ300歳以上の長命です。この塩土老翁は神武に東征をうながした神さまです。
武内宿禰は昔の紙幣の肖像にも使われていましたが塩土老翁と同じように応神天皇の東征を助け、葛城氏・蘇我氏など豪族の祖となりました。この武内宿禰が浦島太郎ではという説があります。乙巳の変でクーデターを起こした藤原氏にとって、クーデターを正当化できないような、まずいことが書かれていた天皇記、国記を、これ幸いと焼いてしまったという説もあります。
住吉神社といえば太鼓橋が有名ですが、昔はすぐ近くが海岸で、太鼓橋下の池は当時の入り江(ラグーン)の名残と言われています。
かぐや姫の石上麻呂と山城
かぐや姫の続きです。(笑)
■石上麻呂が監督した山城は?
かぐや姫に出てくる5人の公達の一人が石上麻呂。石上なので、もちろん物部氏です。
石上麻呂は壬申の乱では大友皇子側で、皇子の自殺まで従いました。有能な人物だったようで、のちに赦されて右大臣、左大臣に任じられ、遣新羅大使や筑紫総領も歴任しています。榎本武揚のような存在ですね。日本書紀に石上麻呂が筑紫に派遣され、新しくできた城を監督させたという記録が残っていて、この新しい城について諸説あります。1999年に大宰府周辺で阿志岐城が発見されましたので、まだ見つかっていない山城かもしれません。
■百済遺民が日本各地へ
当時、日本を取り巻く状況が最悪でした。天智天皇が滅ぼされた百済の遺民と組んで唐・新羅連合と戦いますが、白村江の戦いで大敗し、日本は存亡の危機を迎えます。実際、唐は日本への侵攻計画をたてていました。この時に水城、大野城、金田城などが整備され、最後の砦となる大和の守りに作られたのが高安城(1979年に高安城を探る会によって発見)です。天武朝になっても周辺国との緊張が続きましたが、唐と新羅が戦うようになり危機を脱します。
日本へは、新羅に滅ぼされた百済遺民が大挙して移り住みます。昨今の朝鮮情勢で日本へたくさんの難民が来るのではと言われていますが、歴史的に見ると百済滅亡、南宋滅亡など何回もありました。
百済遺民は数も多く、九州などでは6割以上が百済系という事態となり、朝廷では計画的に全国へ遺民を移します。東京都の狛江市や京都精華町の下狛のような土地名が当時の名残です。枚方市には百済寺が大阪には百済貨物ターミナル駅もあります。西武池袋線には高麗駅という名前が残っています。
かぐや姫は藤原氏告発の書!?
以前、道鏡に由来する由義宮の話題で『藤原氏との権力争いなどから、”かぐや姫”の物語が生まれた』と書いていたら、『なんで、かぐや姫が関係あるの?』という質問がありました。
かぐや姫といえば竹取物語です。あまり知られていませんが一説には藤原氏告発の書と言われています。竹から生まれ美人に育った、かぐや姫に5人の公達が求婚します。5人の公達は、石作皇子、車持皇子、阿倍御主人、大伴御行、石上麻呂で、阿倍御主人、大伴御行、石上麻呂は実在の人物で、壬申の乱や天武・持統朝に活躍した人物です。石作皇子は多治比島ではないかという説もありますが、歴史に埋もれてしまった実在の人物かもしれません。
■車持皇子は藤原不比等のこと?
車持皇子は藤原不比等と言われており、車持は母方の名前です。かぐや姫から「蓬莱の玉の枝」を持ってくるように言われますが、海に出ず、職人に命じて偽装します。ところが職人に賃金を払わなかったことから偽装がばれます。竹取物語では車持皇子が最も卑劣な人物として描かれています。表だって藤原氏を批判するわけにはいかないので、他の4人は実名なのに車持皇子だけ仮名にしたのではと言われています。
月から、かぐや姫を迎えにきますが、その時の台詞が「さあ、かぐや姫。穢れた所(地上)から戻りましょう」で、”(藤原の)穢れた所”という意味と言われています。浦島太郎など日本の昔話は、いろいろと奥深いですねえ。