新宿中村屋のカリーはインド独立の味がする

カリー
カリー

NHKの朝ドラ「なつぞら」を見ていますが番組に登場する川村屋って新宿中村屋をモデルにしていたんですね。そういえば昔、阪急3番街にもお店があり、時たまカリーを食べていました。。 

■インド独立に尽力したボース 
中村屋の主人が相馬愛蔵です。この中村屋に本格的なカレーの味を伝えたのがR.B.ボース。イギリスの植民地だったインドで独立運動をしていました。インド総督に爆弾を投げるなどして、懸賞金がかかるようになりました。そこでイギリスの魔手から逃れるために大正4年に日本に亡命します。 

イギリス政府もその事実をすぐに察知し、日本政府に身柄引き渡しを求めました。日本政府は昔から外圧に弱いので、すぐに応じる気配でしたが、マスコミと文化人がこれに反対! 

これに中村屋が関わっていまして、中村屋には外国人の出入りも多いから目立たないだろうとボースを中村屋の裏にかくまいます。これが縁でボースは相馬愛蔵の長女と結婚することになり、日本に本場のインドカリーを紹介します。これが中村屋のカリーになったわけです。 

銀座に「ナイルレストラン」がありますが、創業者のナイルも京大留学時代からインド独立運動をしておりボースと連携していろいろと行動しています。 

■相馬愛蔵と黒光 
新宿中村屋の主人です。奥さんが相馬黒光(こっこう)。この奥さんも学生時代から色々なことに巻き込まれていました。明治女学校に入学した頃に、従姉妹が文士志望の国木田独歩に恋したため、結婚、破局につきあわされることになります。のちに有島武郎がこの従姉妹をモデルに「或る女」という小説を出しています。 

中村屋も店を軌道にのせるまでが大変で、酒の売りだしをしようとしたら、「中村屋が悪魔の使者ともいうべき酒を売るとはなにごとだ!」と内村鑑三がどなりこんでいました。ようやく軌道にのると中村屋は文化サロンとなります。 

白馬に碌山美術館がありますが、相馬愛蔵はクリスチャンでもあり、この荻原守衛(ロクザン)など日本の若い文化人は相馬夫妻に皆、世話になっていました。

ゼロワンカレー

ゼロワンカレー
ゼロワンカレー

谷町四丁目から本町橋にかけて多いのがカレー屋さん。このカレー激戦区にあるのがゼロワンカレーです。

大阪よろず支援拠点のコーディネータにはカレー好きが多く、今日のランチも連れられて行ってきました。

場所は内本町交差点の南東にある食べ物屋さんが集まったダイアパレスビル本町の地下1階。メニューは南インドA定食(日替り肉系カレー)1,000円、南インドB定食(日替り魚介系カレー)1,000円、あいがけ1,200円です。カレー以外によくわからないインド料理が4品ほどついていて、壁には説明が書いてあるんですが、よう分かりません(笑)。

平日はなんとか座れますが、土日は行列になるお店です。

恵方巻

恵方巻
恵方巻

今日は節分です。

節分って季節を分けることなので春夏秋冬の4回あるんですが、なぜか立春だけが有名になっています。季節の分かれ目には鬼(邪気)が発生しやすいので、陰陽師の時代からあったのが追儺(ついな)行事、これが豆撒きになっていきます。こっちは伝統行事なんでわかるんですが、よく分からないのが恵方巻。

その年の恵方(2019を年は東北東)向いて無言で巻き寿司を食べると縁起が良いという風習ですが、全国的になったのは最近のことです。もともとは関西にあった風習のようですが、これに目をつけて昭和の始まりから販促が行われ、これが幸運巻寿司となります。

写真は上本町の鮨店・美登利が配っていたプロモーション用チラシ。「その年の恵方に向かって巻寿司の丸かぶりをすると大変幸運に恵まれる」と書いてあることは今と変わりません。これがコンビニなどの影響で全国に広まり、恵方巻として定着します。

というわけで立春と恵方巻とは関係ないんですが、やっぱり食べてしまうんだろうな~あ。さあ、恵方巻を買ってこようっと。

”さまよえるカレー屋”ジッキン

ジッキン

”さまよえる”と言えばリヒャルト・ワグナーのオペラ”さまよえるオランダ人”やヘディンの”さまよえる湖”を思い出しますが、”さまよえるカレー屋”さんの話です。

マイドーム大阪近くの谷四~内本町築といえばスパイスカレー激戦区です。ジッキンというキーマカレーのお店があるんですが、ずいぶん前、メキシコ料理を出すお店で昼間だけ営業していました。どうも間借りしていたようで、いわゆるヤドカリカレー(間借りカレー)です。店をまわしていたのは女性2人コンビでした。

いつのまにか看板がなくなり見なくなったな~あと思っていたら近くの居酒屋さんの三角看板にオロナイン風ホーロー看板風の女性(ジッキンのトレードマーク)を発見。ジッキンが復活していました。居酒屋さんを間借りし男性1名が定食とキーマカレーを出していました。そうそうキーマカレーを食べるとお土産に小さなアヒルの人形がもらえます。この男性がジッキン店主でしたが、9月末に居酒屋での間借りを終了し”さまよえるカレー屋”さんは終焉を迎えます。

12月中旬から「鍋とカレーとお酒のジッキン」として独自店舗をダイアパレスビル1F(内本町2丁目交差点南東角)に出店。メニューを見ると”ひとり鍋ランチ”という鳥鍋や豚鍋もありましたが、まずは定番の玄米キーマカレーです。豆腐やら、いろいろな具材がのっていて楽しめます。カウンターにあった高菜がなかなか美味でした。というわけで”さまよう”のをやめてしまったカレー屋さんです。

オヤヂの会

フグ久

冬はつとめて。雪の降りたるは言ふべきにもあらず、霜のいと白きも、またさらでもいと寒きに、火など急ぎおこして、フグなど食べたるも、いとおかし。ヒレ酒を飲むとて、継ぎ酒を三つ四つ、二つ三つなど急ぐさへ、あはれなり。 

というわけで鶴橋へ出かけてとっても分かりにくい所にある、ふぐ久です。フグをリーズナブルで食べられるお店として有名で、なんせ大阪といえばフグの消費量が日本一ですが、そのなかでも激安でしょうね。 

さてフグ久ではオヤヂの会という面妖な集団の集まりの忘年会を開催。私は正式メンバーではなく、オブザーバとして毎回、参加しています。年々、高齢化している会でして女性メンバーもいるのに、毎回話題は病気の話やエロ系で、メンバーはすっかりオジサン、オバサンです。

ニタカリバンチャ

ニタカリバンチャ

大阪では谷町四丁目を中心にスパイスカレー店が集中しています。マイドームおおさか近くにちょっと前に誕生したのがインドカレーの二タカリバンチャというお店。中大江公園のちょっと北にあります。

スパイスカレーのお店は、どこもランチ時に行列する店が多いので、12:00~12:30をはずして行くのが鉄則です。今日はマイドームビジネスフェスタ(今日と明日、マイドームおおさかで開催しています)があり、昼からブース当番だったので早い目に二タカリバンチャへ行ってきました。

チキンカレー(1000円)、ポークカレー(1000円)があり、少し奮発して、あいがけ(1200円)を注文。プレートにはチキンカレー、ポークカレー以外に今日は豆カレーがついていて、あといろいろな総菜がのっていて、これを混ぜて食べます。なかなかいけますねえ!

葉っぱがシェフ

日経新聞
昨日(10/22 月曜)日経新聞夕刊のトレンドというコーナーに掲載されていたのが「野草が売りの健康料理」。全国の野草を売りにしたレストランが紹介されていました。
 
その中に尾鷲市にある「葉っぱがシェフ」が店の全景写真と共に紹介されていました。穴があいた縄文鍋を使い野草の風味などをつけた地元の魚や肉料理で有名なお店です。縄文鍋の底に熱した石を並べ野草で包んだ肉や魚を蒸し焼きした料理でヘルシーですよ。
 
レストランからの眺めもよく落ち着いたひと時を過ごすことができます。ただレストランへたどりつくまでが大変という隠れ家レストランになっています。
 

おやぢの会

法善寺横丁

「こいさんが、わてをはじめて法善寺へつれて来てくれはったのは」と「月の法善寺横丁」で有名な法善寺へ。水かけ不動のあたりでは、なんか川柳大会を開催していました。

法善寺横丁すぐ横の「博多廓 法善寺店」というお店へ。3階に個室が2つあり、その一室で「おやぢの会」を開催。毎年、参加者の平均年齢が順調にあがる会です。参加者は6名ですが、いつものように1名が遅刻。待つやさしさはなく時間厳守で会はスタート。要は早く飲みたいだけです(笑)。

入院している病院から脱走して1名がようやく到着。個室でないとしゃべれい話題でずっと盛り上がっていました。

ドムドムバーガ

ドムドムバーガ

昨日は桑名商工会議所が策定した経営発達支援計画の外部委員をやっており、委員会があったので久しぶりに桑名へ。 桑名商工会議所は駅前のサンファーレ2階に入居していますが、桑名駅を降りると桑栄メイト2階をそのまま通って、サンファーレに行けます。この桑栄メイトに昔からあるのがドムドムバーガ。

■日本初のハンバーガーチェーン ドムドムバーガ
ハンバーガーチェーンというとマクドのイメージが強いのですがドムドムが日本初のハンバーガーチェーン店です。作ったのはダイエーで、最初はマクドと一緒にやる予定でしたが条件があわずマクドより先に独自で展開しました。

大学を出て入社したSRAが当時、堂島にありました。ドウ地下にこのドムドムバーガがありプログラム作りで残業となると夜食確保のため、よく利用していました。

他のハンバーガ―チェーンの市場シェーアが拡がるなか、三重では桑名店だけが生き残っています。

今日は土用の丑

鰻
今日は土用の丑
立秋が8月7日(火)なので、夏の土用は今日から8月6日までとなります。その間の丑の日は本日と8月1日。鰻屋さんにとっては一番の書き入れ時になります。昼飯を食べに行った食堂でも鰻丼を臨時で出していましたが、いつもの唐揚げ定食にしました(笑)。
万葉集に大伴家持の「石麻呂に 吾物申す夏痩せに良しといふ物ぞ 鰻漁り食せ」という歌が残っています。石麻呂という古老が痩せていたそうで、夏バテに鰻が最適でっせえ!という歌になっています。昔から夏といえば鰻だったんですねえ。大伴といえば物部と同じ軍事の氏族でしたが、藤原氏にやられて没落していきます。大伴の後裔の一つである甲賀伴党から信長に仕える滝川一益が出ます。
夏の鰻を土用に丑に結び付けたのがコピーライターの元祖である平賀源内。江戸中に歯磨き粉のCMソングを流行させた天才です。俗説では集客の相談を受けた平賀源内が鰻屋の店前に「まもなく、丑の日」と貼り紙するようにアドバイス。店前を通る江戸っ子としては気になります。鰻屋の店主に”どういう意味か”と聞いても、”もうじき丑の日ですねえ”、とはぐらされるだけ。いよいよ丑の日になると店は大繁盛!
というわけで、今日は土用の丑です。