
岡山でお仕事。大阪から新幹線に乗りましたが1両に10名も乗っていない状態でした。
ランチは黒田さんに教えてもらったイオン岡山へ行って岡山B級グルメ「ぶたかば」を食べてきました。4階がでかいフードコートになっているんですね。「かばくろ」があったので、ぶたかば重&温玉トッピングです。「ぶたかば」とはウナギの蒲焼用のタレを用いて豚肉を炭火で焼いたもので、もともとは”まかない料理”からスタートしたそうです。
岡山でお仕事。大阪から新幹線に乗りましたが1両に10名も乗っていない状態でした。
ランチは黒田さんに教えてもらったイオン岡山へ行って岡山B級グルメ「ぶたかば」を食べてきました。4階がでかいフードコートになっているんですね。「かばくろ」があったので、ぶたかば重&温玉トッピングです。「ぶたかば」とはウナギの蒲焼用のタレを用いて豚肉を炭火で焼いたもので、もともとは”まかない料理”からスタートしたそうです。
LEC梅田で経営情報システムのステップアップ講座。
オリンピックの影響で中小企業診断士1次試験が1ケ月前倒しになって7月11日、12日に開催されることになりましたが肝心のオリンピックが延期になってしまいました。
不要不急の外出を自粛してくださいということでホワィテイ梅田はいつもの1/3ほどの人出で、かなりすいています。そうそう阪急三番街の北館B2にでっかいフードコートができていました。お店の一つが名古屋で有名な矢場トン。ランチは久しぶりに「わらじトンカツ」にしました。
午後は四日市商工会議所で出張相談。
駅前の大衆食堂のあさひに入ったら、3組のシニア世代が宴会をやっていて、店の半分を占拠しておりました。昼からいいな~あ!と思いながら本日のランチ「生姜焼き定食」を食べておりました。
岡山駅のすぐ近くに奉還町商店街があります。明治となり職を失った武士が、藩から与えられた奉還金を元手に商売を始めたので、この名前になっています。
奉還町商店街には古い店舗から新しくお洒落な店まで混在しています。商店街の中にあったのがグリルB食というお店。かつ丼を頼んだらソースカツ丼になっていて、これがなかなかいけます。
岡山のB級グルメというと岡山ラーメンとデミカツ丼だそうで、岡山ラーメンは割と食べているので、次はデミカツ丼に挑戦しなければ
昨日は博多廊法善寺店で「おやぢの会」。
猛暑で日本人はあまり出歩いていないせいか道頓堀界隈で聞こえてくるのは外国語ばかり。店の呼び込みも中国語でやっています。
法善寺のすぐ横にある博多廊で「おやぢの会」。年2回、集まるのが恒例の会で参加者メンバーは変わっていませんので、どんどん高齢化しています。最初の話題も病気の話題ですねえ(笑)。
メインは水炊きでしたが、これが絶品!おいしくいただきました。
昨夜は大阪中小企業診断士会・総務部の委員会。18:30スタートで19:30終了予定でしたが、結局は20時過ぎまでいろいろな議題で議論していました。終わってからは交流会。
堺筋本町駅近くの「全員集合」や「ねぎ坊主」をよく使っていましたが、最近はもっぱら「ちどり亭」を使っています。「ちどり亭」は関西を中心に展開している焼き鳥屋さんで、総務部委員の一人がここのチキン南蛮に惚れ込んでいるために、最近はもっぱら「ちどり亭」です。またメガハイボールがあって大ジョッキーで出てきてコスパがよいです。というわけで22時過ぎまで飲んで帰ってきました。
NHKの朝ドラ「なつぞら」を見ていますが番組に登場する川村屋って新宿中村屋をモデルにしていたんですね。そういえば昔、阪急3番街にもお店があり、時たまカリーを食べていました。。
■インド独立に尽力したボース
中村屋の主人が相馬愛蔵です。この中村屋に本格的なカレーの味を伝えたのがR.B.ボース。イギリスの植民地だったインドで独立運動をしていました。インド総督に爆弾を投げるなどして、懸賞金がかかるようになりました。そこでイギリスの魔手から逃れるために大正4年に日本に亡命します。
イギリス政府もその事実をすぐに察知し、日本政府に身柄引き渡しを求めました。日本政府は昔から外圧に弱いので、すぐに応じる気配でしたが、マスコミと文化人がこれに反対!
これに中村屋が関わっていまして、中村屋には外国人の出入りも多いから目立たないだろうとボースを中村屋の裏にかくまいます。これが縁でボースは相馬愛蔵の長女と結婚することになり、日本に本場のインドカリーを紹介します。これが中村屋のカリーになったわけです。
銀座に「ナイルレストラン」がありますが、創業者のナイルも京大留学時代からインド独立運動をしておりボースと連携していろいろと行動しています。
■相馬愛蔵と黒光
新宿中村屋の主人です。奥さんが相馬黒光(こっこう)。この奥さんも学生時代から色々なことに巻き込まれていました。明治女学校に入学した頃に、従姉妹が文士志望の国木田独歩に恋したため、結婚、破局につきあわされることになります。のちに有島武郎がこの従姉妹をモデルに「或る女」という小説を出しています。
中村屋も店を軌道にのせるまでが大変で、酒の売りだしをしようとしたら、「中村屋が悪魔の使者ともいうべき酒を売るとはなにごとだ!」と内村鑑三がどなりこんでいました。ようやく軌道にのると中村屋は文化サロンとなります。
白馬に碌山美術館がありますが、相馬愛蔵はクリスチャンでもあり、この荻原守衛(ロクザン)など日本の若い文化人は相馬夫妻に皆、世話になっていました。
谷町四丁目から本町橋にかけて多いのがカレー屋さん。このカレー激戦区にあるのがゼロワンカレーです。
大阪よろず支援拠点のコーディネータにはカレー好きが多く、今日のランチも連れられて行ってきました。
場所は内本町交差点の南東にある食べ物屋さんが集まったダイアパレスビル本町の地下1階。メニューは南インドA定食(日替り肉系カレー)1,000円、南インドB定食(日替り魚介系カレー)1,000円、あいがけ1,200円です。カレー以外によくわからないインド料理が4品ほどついていて、壁には説明が書いてあるんですが、よう分かりません(笑)。
平日はなんとか座れますが、土日は行列になるお店です。
今日は節分です。
節分って季節を分けることなので春夏秋冬の4回あるんですが、なぜか立春だけが有名になっています。季節の分かれ目には鬼(邪気)が発生しやすいので、陰陽師の時代からあったのが追儺(ついな)行事、これが豆撒きになっていきます。こっちは伝統行事なんでわかるんですが、よく分からないのが恵方巻。
その年の恵方(2019を年は東北東)向いて無言で巻き寿司を食べると縁起が良いという風習ですが、全国的になったのは最近のことです。もともとは関西にあった風習のようですが、これに目をつけて昭和の始まりから販促が行われ、これが幸運巻寿司となります。
写真は上本町の鮨店・美登利が配っていたプロモーション用チラシ。「その年の恵方に向かって巻寿司の丸かぶりをすると大変幸運に恵まれる」と書いてあることは今と変わりません。これがコンビニなどの影響で全国に広まり、恵方巻として定着します。
というわけで立春と恵方巻とは関係ないんですが、やっぱり食べてしまうんだろうな~あ。さあ、恵方巻を買ってこようっと。
”さまよえる”と言えばリヒャルト・ワグナーのオペラ”さまよえるオランダ人”やヘディンの”さまよえる湖”を思い出しますが、”さまよえるカレー屋”さんの話です。
マイドーム大阪近くの谷四~内本町築といえばスパイスカレー激戦区です。ジッキンというキーマカレーのお店があるんですが、ずいぶん前、メキシコ料理を出すお店で昼間だけ営業していました。どうも間借りしていたようで、いわゆるヤドカリカレー(間借りカレー)です。店をまわしていたのは女性2人コンビでした。
いつのまにか看板がなくなり見なくなったな~あと思っていたら近くの居酒屋さんの三角看板にオロナイン風ホーロー看板風の女性(ジッキンのトレードマーク)を発見。ジッキンが復活していました。居酒屋さんを間借りし男性1名が定食とキーマカレーを出していました。そうそうキーマカレーを食べるとお土産に小さなアヒルの人形がもらえます。この男性がジッキン店主でしたが、9月末に居酒屋での間借りを終了し”さまよえるカレー屋”さんは終焉を迎えます。
12月中旬から「鍋とカレーとお酒のジッキン」として独自店舗をダイアパレスビル1F(内本町2丁目交差点南東角)に出店。メニューを見ると”ひとり鍋ランチ”という鳥鍋や豚鍋もありましたが、まずは定番の玄米キーマカレーです。豆腐やら、いろいろな具材がのっていて楽しめます。カウンターにあった高菜がなかなか美味でした。というわけで”さまよう”のをやめてしまったカレー屋さんです。