新幹線のワゴン販売10月末に終了

食堂車

東海道新幹線のワゴン販売が10月末で終了するそうです。時たまワゴン販売でウイスキーの水割りセットを買っていましたが、コロナ禍以降、新幹線に乗る機会が減り、さっぱりです。

昔、近鉄特急でもワゴン販売をしていましたが2020年に終了し、今は、しまかぜ、青の交響曲などの観光列車でしか行っていません。もっと昔になると近鉄特急が発車すると、一人ずつ熱々のおしぼりを配るサービスもやっていました。だんだん味気なくなりますね。

まだ初々しいサラリーマンをやっていた頃というと1985年頃ですが、大阪から東京本社へ行く出張があると基本的に1泊2日でした。帰りは夕方でしたので、新幹線に乗ると指定席を取っているのに、すぐに食堂車に行って同僚と宴会していました。ひどい時は京都あたりまで食堂車にいてましたね。新幹線の食堂車は2000年に廃止になりました。風情があったんですが

中央線 400系

400系

6月25日からOsaka Metro中央線の新型車両400系が走っているのですが、ようやく乗れました。なかなか面白い見た目で宇宙船をイメージしたデザインだそうです。中央線は関西万博ではメイン路線になるので、それにあわせたデザインだそうです。デザインよりも冷房がよく効いていたのがうれしいですねえ。

おおさか東線

大阪駅

おおさか東線の終点が新大阪駅だったのですが大阪駅まで延伸したので乗ってきました。新大阪駅を出ると淀川を渡って貨物線に入りますが、途中から地下トンネルに入る形に変わっていました。おおさか東線は特急「はるか」やサンダーバードとは別のホームに到着して折り返し運転をしています。

顔認証ゲートをホーム側から見てきましたが、大阪駅地上ホームに、そのまま乗り継ぎができエスカレータを上がって下がるを2回、繰り返すと大阪駅地上ホームの尼崎側の端に出ます。東京駅の総武線ホームへ向かう感じですね。東大阪だと混雑している御堂筋線に乗らずにバイパスできるので便利ですね。

新しい大阪駅

LEC梅田で朝から経営情報システムの講義

講義終了後、「皆さん、合格したら診断協会のイベントなどで声かけてくださいね。覚えていないと思うけど」と声掛けしています。実際に覚えてませんので(笑)

大阪駅

昼休みに新しくできた大阪駅に行ってきました。ニュースでよく見た顔認証ゲートです。顔認証を使っている人はおらず、皆さん交通カードで通行しています。同時に双方向で通れるんですね。

ただ、けっこう遠くってグランドフロントや西梅田へ行くなら便利ですが、やっぱり東梅田駅ですね。

中之郷駅

中之郷駅

大阪から新快速に乗ると湖東周りの終点は近江塩津駅になります。近江塩津駅で乗り換えて敦賀へ行けます。木ノ本駅を出ると大きく左(西側)にカーブして余呉湖の隣にある余呉駅を経由して近江塩津駅になります。かっては木ノ本駅から、そのまま北上して中之郷駅、柳ケ瀬駅から柳ヶ瀬トンネルを通って敦賀駅を結んでいました。今は鉄道はなくなり北陸道が走っています。鉄道が残っていたら、湖北の山城に行くのに便利だったのに残念です。

昔、大阪から敦賀へ向かう時、永原駅-近江塩津駅間で電車の明かりが2、3秒消える時がありました。これが交直セクションです。直流区間(東海道線・湖西線)と交流区間(北陸鉄道)が交わるところです。けっこう最近まで残っていて2006年に直流化工事が完成しました。これで湖西線内は全て直流電化となり、湖西線を経由する新快速が敦賀駅まで延長されることになります。

高宮駅

彦根駅からガチャコン(近江鉄道)に乗って高宮駅へ。ここから多賀大社駅まで支線が出ています。といっても途中駅にはスクリーン前駅しかない短い路線です。新幹線からこの高宮駅の扇型ホームを見ることができます。四日市から出ている四日市あすなろう鉄道の日永駅が内部線と八王子線の分岐になっていて高宮駅と同様に扇形ホームになっています。

高宮駅
高宮駅

滋賀県は公共交通を維持する財源として交通税として利用者以外の県民からもお金を集める計画をしています。今は自家用車に乗っていても高齢化して免許返納となった時、公共交通機関がなくなって困るのは自分自身ですからね。Maasの動きもありますがオンデマンドで全国的に利用できるようになるには、まだまだ時間がかかるでしょう。

忍者列車

伊賀へ行くなら伊賀鉄道です。昔、西岡たかしが上野市(うえのまち)というフォークを歌っていて、「私が訪ねた上野市(うえのまち)...桑町、茅町、広小路 も少しゆられて上野市」という歌詞がでてきます。1975年発売なんで50年ちかく前ですねえ。

伊賀鉄道
伊賀鉄道

2両編成ですが、時たま忍者列車が走っています。松本零士がデザインした列車で1997年に登場したので、もう25年になるんですねえ。

水間鉄道

水間鉄道
水間鉄道

貝塚駅と水間観音駅を結ぶのが大正時代にできた水間鉄道です。水間観音への参詣鉄道でした。バブルの時に不動産事業に乗り出したのですがバブル崩壊で倒産。グルメ杵屋が支援をすることになり、子会社になっています。

2両編成のワンマン運転で1時間に2本の割合で走っています。貝塚駅を出発すると大きく左に急カーブします。もともとカーブの先に海塚駅があり、ここが起点でしたが南海・貝塚駅ができたことで乗り入れするために急カーブになったようです。

貝塚から水間観音駅間は15分で、けっこう短く、単線のため途中の名越駅で行き違いします。千石堀城の最寄り駅になります。関西のローカル線ながらICカードが使えるのがいいですね。

京都駅

京都駅前にある羅城門模型と京都タワーです。

羅城門と京都駅
羅城門と京都駅

大学1回生の頃はまだ京都市電が走っていて外周線(九条ー東大路-北大路ー西大路)だけ残っていました。京都駅前からは七條通りを通って東山七条で外周線に接続していましたので時たま市電に乗って烏丸車庫で降りていました。ちょうど一回生の1978年9月30日に廃線になってしまいます。モータリゼーションはわかりますが風情があってよかったのに残念です。

国鉄時代、津から京都まで急行1本で行けた時代がありました。始発はどこか覚えていませんが紀勢本線を走って亀山へ出て、そのまま関西本線を柘植まで走り、今度は草津線に入って草津に出て、最後は東海道線で京都が終着駅です。近鉄だと中川と八木で乗換が必要でしたので本数は少なかったですが便利でしたねえ。

廃線跡をゆく 嵯峨野トロッコ列車

廃線跡をゆく

山陰本線の廃線跡に作られた嵯峨野トロッコ列車です。チケットがとれたので亀岡から嵐山まで乗ってきました。保津川沿いを進んでいきますが、ちょうど保津川下りをしているのが見られます。保津川下りの船は嵐山でトラックに乗せられ、亀岡まで運ばれるところを見かけます。

保津川は奈良時代から丹後の材木を運ぶために材木を筏にして流していました。江戸時代に角倉了以が保津川を開削して船が通れるようにします。最初に船に乗って保津川下りを楽しんだのが角倉素庵(角倉了以の息子)です。

嵯峨野トロッコ列車、秋だとライトアップや紅葉が楽しめますがチケットをとるのが大変ですね。