近鉄・田原本線

田原本線
田原本線

近鉄なのに他の路線とつながっていないのが田原本戦(新王寺~西田原本を結ぶ単線)。新王寺駅は生駒線・王寺駅のすぐ近くにありますがつながっておらず間をJR王寺駅がはさまっています。西田原本駅も橿原線田原本駅のすぐ近くですが駅はつながっていません。ただし橿原線との間に渡り線だけあります。 

西部多摩川線(武蔵境~是政間)のような存在で、多摩川線がもともと多摩鉄道だったように田原本線ももともとは大和鉄道で、後に近鉄に買収されました。新王寺駅と西田原本駅以外はすべて無人駅になっています。写真は途中にある箸尾駅で列車の行き違いができます。近くには箸尾氏の箸尾城があり西に行くと馬見丘陵公園があり、馬見古墳群が拡がり一説には葛城氏の古墳群ではないかと言われています。

水間鉄道

水間鉄道
水間鉄道

南海・貝塚駅と水間観音駅との間の5.5kmを結んでいるのが水間鉄道。単線で途中の名越駅で行き違いをします。 二両編成のワンマン列車で貝塚駅と水間鉄道駅以外では後ろの車両の扉は開きません。

水間鉄道沿いには根来衆の出城が並び、まず石材駅近くにあったのが積善寺城。行き違いをする名越駅のすぐ横にあるのが高井城で少し歩くと千石堀城があります。ここは秀吉の紀州攻めで有名なのが千石堀城の戦いが行われたところです。終点の水間観音駅まで乗ると根福寺城へ行けます。城好きには便利な路線ですねえ。

岡山市電

岡山市電
岡山市電

岡山駅からお城へ行くのに便利なのが岡山市電。運営しているのは岡山電気軌道です。東山行きの市電に乗って城下へ降りればOK。しかも100円とえらく安い料金設定になっています。 

和歌山電鐵が岡山電気軌道の子会社になったので「たま電車(市電版)」が走っているはずなんですが、見かけませんでした。街に市電が走っている姿はいいですねえ。私が大学在学中に京都市電が廃止されてしまいました。 

岡山市電ではピタパが使えるのがいいですねえ。ピタパは他の交通系ICカードと同様にチャージできますが関西人はそんなことはせずチャージゼロで後払いです。なんせ使った額によって割引が受けられるので使わなあ損です。ようやくJR西日本のイコカエリアでも後払いでピタパが使えるようになりました。 

ピタパは近鉄名古屋駅まではOKですので、次はJR東海が対応してくれないかなあ。まずJR四日市駅から南(津や伊勢も含まれます)ではトイカそのものが使えないので、そこから始めないといけませんが。

四日市あすなろう鉄道

四日市あすなろう鉄道
四日市あすなろう鉄道

昔、日本全国でナローゲージ(いわゆる軽便鉄道)が走っていましたが、営業運転している路線はわずか2つだけになりました。2つとも三重県内にあります。 

その一つが近鉄四日市駅から出ているのが四日市あすなろう鉄道の内部線と八王子線。途中の泊駅で分岐します。ゲージ幅が狭く必然的に車両幅が狭くなるのでロングシートにすると座った乗客の足の間を抜けていくのが大変です。そこで列車の進行方向を向いた固定座席になっています。もともとは近鉄が運営していましたが赤字路線なので公有民営方式に移行しました。三重県は車社会ですからねえ。 

そういえばこないだ日経新聞に高齢者の免許返納について面白い意見が載っていました。「車に乗れなくなったら公共交通機関を使う」と高齢者がよく言っているが絶対に無理という記事で、車に乗るよりも体力がいる公共交通機関に、ふだんから乗っていなければ車に乗れなくなった時点で無理という至極まっとうな意見です。歩いて10分のスーパーに車で買物に行く田舎の生活スタイルから変えていかないと無理なんでしょうね。

西日野へは軽便鉄道で

四日市あすなろう鉄道

西日野に向かうには近鉄四日市から出る四日市あすなろう鉄道八王子線が便利です。 

なんせ日本で2路線しか走っていない軽便鉄道(ナローゲージ)の一つで、全国的に鉄ちゃんには滅茶苦茶有名な路線です。もう1路線は西桑名駅から出ている三岐鉄道北勢線で三重県内には日本最後の軽便鉄道が残る稀有な県になっています。 

線路が狭いので車両も狭く、夏目漱石の「坊ちゃん」で、「マッチ箱のような汽車」という表現が出てきますが、軽便鉄道時代の伊予鉄道の話で、実感できるのが四日市あすなろう鉄道です。 

もともとは伊勢八王子まで走っていましたが、西日野駅ー伊勢八王子駅間が廃線となり、現在は西日野駅が終点になっています。ポリテクセンターは西日野駅から歩いて10分ほどの所にあります。最近まで近鉄でしたが旅客が減ったためバスに変更するという案に地元が反対し公有民営方式で残っています。日本最後の軽便鉄道を残すためにも、皆さんしっかり乗りましょう!

ガチャコン(近江鉄道)

近江鉄道

滋賀のローカル鉄道といえば近江鉄道。地元ではガチャコンと呼ばれています。

米原駅と貴生川駅を結んでいて途中の八日市駅から近江八幡駅まで支線が出ています。時たま新幹線横をガタゴト走っているのを見ることができます。なんせ近江の城巡りには便利なので時たま乗っています。近江といえば西武・堤家の発祥地でもあり近江鉄道は西武グループとなっています。駅前には西武バスや西武タクシーが走っていて関西人にとっては違和感がありますね。

孔舎衛坂駅

孔舎衛坂駅

昔、近鉄奈良線は石切駅のもう少し先に孔舎衛坂駅があり、ここから旧生駒トンネルに入っていました。久しぶりに少し足をのばして孔舎衙坂駅へ、ホーム跡などがそのまま残っています。

もともとは日下(くさか)駅という名前でしたが、神武東征で神武天皇が長髄彦と戦った孔舎衛坂の名前をとって孔舎衙坂駅になりました。

神武東征に出発し、大阪は海でしたのでそのまま船に乗って草香津に着きます。ここから生駒山を越えて大和に入ろうとした時に孔舎衛坂という尾根道で長髄彦に敗退。神武天皇は日の神の子孫が日に向かって(東側)に攻めたのが敗因だと言いますが、そんなのは戦う前に分かるし、戦いに有利なのは高所をとった方ですから、最初は交渉できていたところを裏切られたか何かがあったんでしょうね。

草香津まで戻り、盾をたてて雄叫びしたので草香津は盾津と呼ばれるようになります。ここから紀伊半島を迂回し、三重県から大和を目指すことになります。

阿漕駅

阿漕駅

JR紀勢本線にある阿漕駅。

国鉄だった時代、この阿漕駅から中学・高校へ通っておりました。当時は貨物も扱っており、わりと大きな駅で駅員が5、6人おりましたが、今は御多分にもれず無人駅。中学1年の頃は、まだSLが走っていました。D51やC62が現役でしたね。

紀勢本線は1時間に1本走っており、本数は昔とあまり変わりません。そのうちの何本かは和歌山の新宮まで走っており、阿漕駅から36駅4時間かけて新宮まで普通で行くことができます。近鉄がダイヤ編成して急行が南が丘駅や桃園駅に止まるようになったので松阪あたりに行くのならJRの方が早いですね。

旧・石切駅

旧・石切駅
奈良と難波を結ぶのが近鉄奈良線。大阪と奈良との境には生駒トンネルがあります。大阪側の最後の駅が石切駅で生駒山の山麓にあり、夜は大阪平野の夜景が一望できます。この石切駅ですが昔は現在の駅よりも100メートルほど大阪よりにありました。
現在の生駒トンネルは2代目で初代の生駒トンネルは少し離れたところにあり、石切駅の次には孔舎衛坂駅があり、孔舎衛坂駅から生駒トンネルに入っていました。この孔舎衛坂駅の遺構が残っています。
暑い中、旧・石切駅の遺構を探していたらホテルセイリュウから少し行った土手に階段が残っていました。反対側にも駅に登れる坂があり、ここが旧石切駅だったようです。

小坂鉄道

小坂鉄道
車社会の大館で一番賑やかなのはロードサイドなんですが、街中で賑やかなのは駅から長木川を渡ったあたりで飲み屋さんやホテルが集中しています。大館駅前は鄙びていて、なんと名画座が残っていました。そんな大館駅近くで見つけたのが廃線跡。調べると小坂鉄道と呼ばれる鉱山鉄道でした。コサカと言われると司馬遼太郎記念館と大阪商業大学がある河内小阪を思い出しますね。
江戸時代から小坂鉱山の開発がはじまり、明治時代には銀の生産高が日本一の鉱山となりました。マルコポーロの東方見聞録で黄金の国ジバングと称えられましたが、奥州藤原氏の時代から金・銀が豊富な土地なんですね。小坂鉱山から22キロ先にある大館へ輸送するために作られたのが小坂鉄道で小坂製錬が運営していました。
小坂鉄道は貨物鉄道として1908年(明治41年)に開通。もともとナローゲージでしたが、1962年(昭和37年)に標準軌(JRの在来線と同じ)に置き換えられます。いまや日本で走っているナローゲージ(軽便鉄道と同じ)の電車は三重にしかなく三岐鉄道・北勢線と四日市あすなろう鉄道 内部線・八王子線が健在です。
小坂鉄道は貨物だけでなく人も乗せていましたが、1994年に旅客営業を廃止、2009年に貨物輸送が廃止され廃線となりました。10年ちかく前には走っていたんですねえ。廃線跡がずっと残っていて終点の小坂駅には小坂鉄道レールパークがあるそうです。大館駅近くもきれいに線路が残っており、廃線跡ツアーなど観光資源になりそうです。