近鉄・川原町駅 高架化

塩浜駅
近鉄・名古屋駅から津方面へ向かうと四日市駅の手前が高架化されており、川原町駅がきれいになっていました。川原町駅は四日市から一駅目で名古屋よりの駅。もっとも伊勢方面へ向かう下り線だけで、上りはこれから高架工事が始まるようです。10月25日(土)から高架に切り替えたようです。もっとも距離は短く海蔵川と三滝川の間の1km弱の間です。
近鉄・奈良線、上下線の高架化は9月に行われ、こっちは八戸ノ里~瓢箪山間、約3.3kmが高架になりました。
今、阪神電車も高架化工事をしていて、住吉駅の東側から芦屋市境までの約4kmが高架化されます。踏切がなくなると人や車の行き来が楽となり、お店の商圏が拡がる効果があります。電車のスピードアップにもなりますが、団塊の世代が定年を迎え、電車の通勤客が減る中でなんで高架化工事が行われているのかは、よく分かりませんね。
写真は塩浜駅に止まっている作業車です。

開業50周年は新幹線だけじゃない

桔梗が丘駅
■桔梗が丘駅 開業50周年
新幹線・開業50周年が話題になっていますが、名張市にある近鉄・桔梗が丘駅も開業50周年です。地元の中日新聞に掲載されていました。
大阪・上本町から青山町駅まで快速急行が出ており、桔梗が丘駅までは1時間強。桔梗が丘は大阪のベッドタウンとして開発され、たくさんのビジネスマンが近鉄で通勤しましたが、定年退職などで通勤定期の売上ががたっと減っています。
■田原本線も50周年
JR新王寺駅から西田原本駅までの路線が近鉄・田原本線。本線ではなく田原本・線です。大和八木から京都方面へ向かうと最初に急行がとまるのが田原本駅。橿原線と田原本線とは接続しておらず、田原本駅から改札を出て西田原本駅まで歩かないといけません。田原本線は近鉄ではなく、もともとは大和鉄道でした。1961年に信貴生駒電鉄へ合併されます。
■生駒線も50周年
信貴生駒電鉄は生駒駅と王子駅を結んでいる線。もともとの鉄道会社が異なっていたので王子駅に両方の線が乗り入れていますが、接続されていません。王子駅の西と東にそれぞれ改札があり、歩かないといけません。ほとんどの乗客は王子駅からJRに乗り継ぐので、それほど影響はないようです。
この信貴生駒電鉄が1964年10月1日に近鉄に吸収合併されて、現在の近鉄・生駒線になりました。つまり田原本線、生駒線とも近鉄になってから50周年になります。
1963年10月1日に近鉄が奈良電気鉄道と合併したので、昨年は近鉄京都線・誕生50周年となりました。それにしても10月1日ばかりに近鉄は合併していますなあ。

近鉄・奈良線が高架に

近鉄
長らく工事をしていた近鉄・奈良線の高架工事が昨日終了。
奈良行は既に高架になっていましたが、反対側の難波行きも今日から高架になりました。これで八戸ノ里駅から瓢箪山駅まで高架になりましたので、鶴橋から瓢箪山駅まで高架でつながったことになります。
高架になったことが影響しているのか、今日から近鉄の時刻表が変更になっています。近鉄のヘビーユーザーですので(笑)おかげで時刻チェックが大変。
瓢箪山駅まで高架でつながりましたが、そこから先は従来のまま。瓢箪者商店街を分断している踏切もそのままで、あいかわらず待たないといけませんなあ。生駒山の麓になってしまうので、高架にするのはもともと無理ですから、ずっとこのままですねえ。

9年で消えた大仏鉄道

大仏鉄道
関西本線に乗るために加茂駅へ行ったら、構内に大仏鉄道の案内コーナーがありました。廃線跡がハイキングコースになっています。
大仏鉄道とは明治31年に加茂駅~大仏駅で開業した路線で、名古屋から伸ばしてきた関西本線が加茂駅までつながりましたので、こここから奈良まで路線を伸ばします。大仏観光に来たお客さんで賑わいました。
もっとも急坂が多かったので蒸気機関車2台で運行し、峠の上からブレーキをかけないと大仏駅で止まらないなど、けっこう大変な路線でした。大仏駅は東大寺転害門の前をずっと西に行った一条通りにあり、現在は大佛鐵道記念公園になっています。
大仏鉄道ですが、平坦な木津駅経由で奈良へ向かう現在の路線ができたため、わずか9年間で廃止となりました。廃線沿いには橋梁などが残っています。昔、知研関西で大仏鉄道研究会・事務局長の高橋さんに、「なぜ大仏鉄道は消えたか?」というテーマでお話しいただきました。大仏鉄道開通の朝日新聞の記事を見せていただきましたがトップ記事はいわゆる遼東半島の三国干渉の記事だった時代です。

津駅前チャム 明日、リニューアルオープン

チャム
津駅にある商業施設チャム、長らく改装工事をしていましたが明日、リニューアルオープンします。
ホームページを見ると名古屋ステーション開発株式会社というJR東海100%子会社がチャムの運営をしているんですね。チャムはJR側の改札にあります。
津駅はJRと近鉄の全国でも珍しい共用駅になっており、東京みたいに改札は分かれておらず、まさしく共用になっています。三重県内では桑名駅、松阪駅、伊勢市駅も共用駅になっています。
ですので、津へ出張したビジネスマンなどがよくJRの改札で「近鉄はどこから乗ったらいいですか」とたずねる光景をみることができます。JRの改札には近鉄の切符を通りますので、そのまま入って、陸橋をわたると近鉄のホームになっています。反対に山側(西側)は近鉄の改札になっていますがJRの切符でそのまま出られます。
少しややこしいのが伊勢鉄道。ワンマン運転なので津駅で降りるときに車内で支払って運転手さんから整理券をもらい、それで改札を通ります。乗る時はJRでも近鉄でもどちらの改札からも入れます。

マッチ箱のような電車

内部線
「停車場はすぐに知れた。切符も訳なく買った。乗り込んで見るとマッチ箱のような汽車だ。」
夏目漱石が小説「坊っちゃん」で伊予鉄道のことを形容した言葉です。
漱石が伊予鉄道に乗った頃、レール幅762mmの軽便鉄道で確かにマッチ箱のような汽車と客車が松山を走っていましたが、現在はレール幅が1067mm(狭軌)となり、JRのレール幅と同じになりました。
残念ながら漱石時代のマッチ箱のような電車が走っているところは三重県だけになってしまいました。一つが西桑名駅から出ている三岐鉄道北勢線。もう一つが四日市駅から出ている内部線・西日野線。采女城のある内部駅へ行くのに久しぶりに乗ってきました。
三両編成のワンマン運転で、30分おきに出ていますので1時間に2本のダイヤ。当然、単線です。電車の中は狭く両側の椅子に座った人が足を組むと通れなくなるほどの幅です。見どころは日永駅で西日野駅へ行く路線と別れるのですが西日野から四日市へ向かう電車と行き違いをします。しかも三角形のホームになっています。
マッチ箱のような電車を見るのなら、ぜひ三重県へどうぞ!

三岐鉄道 硬券の切符

三岐鉄道
三岐鉄道に揺られて企業さんへ。近鉄富田駅と西藤原駅を結ぶのが三岐鉄道。3両編成で黄色とオレンジの車体をワンマン運転で走ります。もちろん単線。

もともとはセメント輸送が目的の路線で、今も貨物列車が走っています。JR富田駅と結んでいたのですが、やがて旅客が増え、JR富田駅に着くと乗客がドヤドヤと少し離れた近鉄富田駅へ移動し、近鉄に乗り換えていました。単線であるJRの本数と比べ、近鉄の本数が多いので当然でしょうね。

乗客から嘆願でもあったのか昭和45年に近鉄富田駅と結ぶ連絡線ができ、近鉄の隣のホームに着くようになります。ただ近鉄とは別経営ですのでダイヤをあわすようなことはしていません。「スルット関西」にも入っていませんので、いったんホームを出て切符を買いなおさないといけません。この切符が今時珍しい硬券です!硬券の切符なんて何年ぶりだろう。

半世紀にわたり走る鮮魚列車

sengyo201405.jpg近鉄が行商用専用列車を走らせています。これが鮮魚列車。伊勢の宇治山田駅と大阪上本町駅を結んでいて、一般の乗客は乗れません。 

朝は三重県の漁港から早朝に揚がった海の幸を持った行商人を奈良や大阪へ運び、帰りは大阪から伊勢へ戻ります。鮮魚列車が始まったのは昭和38年。ですので半世紀にわたって走っている列車です。三両編成で先頭には白い帯が入っていて、ロングシートタイプ。昔はたくさんの行商人が乗っていたんですが、今は10人ぐらいですね。 

昔はいろんな私鉄で走っていましたが、国内で運転されている鮮魚列車は近鉄のみとなっています。時刻表にも乗っていませんのでドクターイエローみたいな電車ですが、早朝または夕方に運がよいと鮮魚列車を見かけることができます。 

早朝、鶴橋駅に急行が着くとビジネスマンの横をドヤドヤと竹カゴを持った人が降りていきます。大阪近郊から鶴橋の市場へ買い出しに来た小売商なんでしょうね。魚屋さんかなあ。 

近鉄名古屋駅に丸い柱と四角い柱がある理由

nagoya20140115.jpg近鉄名古屋駅の普通や急行が止まるホームは丸い柱になっており、奥の特急乗り場のホームは四角い柱になっています。 

現在の地下鉄の駅ができたのは戦前の昭和13年。当時は関西急行電鉄の時代で、あまり金がなかったので1面1線の配線にする予定でしたが、将来の発展を見込んで3面3線の駅にしました。この時に工事をして出来たのが丸い柱。 

ところが戦後、輸送量が増えたこともあり1967年(昭和42年)に4面5線への拡幅工事を行います。この時に工事で増えたホームが四角い柱になりました。奥が特急乗り場になっていますが、何とか8両編成が止まるようになっています。 

手前の急行の乗り場はホームの端まで止めて、やっとさ6両編成が止まります。名古屋駅以外の急行が止まる駅は8両編成でも大丈夫なんですが、名古屋線は名古屋駅のせいで朝夕、混んでいても6両編成になっています。 

奈良と大阪難波を結ぶ奈良線は10両編成の急行が走っているのですが、奈良駅が名古屋駅と同じ地下駅で余裕がないので、西大寺駅で電車をつないで難波まで10両で走らせています。名古屋線の場合は名古屋へ行く通勤・通学客が多いので、途中で車両を減らすわけにはいかず、ずっと6両編成のままでしょうね。 

神戸電鉄は登山鉄道だった

koube20131113.jpg阪神、阪急の三宮駅から少し行くと新開地駅があります。有馬温泉、三田市、三木市へ向かう神戸電鉄でこの新開地駅から出ています。 

神戸は海と山に囲まれた狭い土地で、北は山、南は海になっています。道に迷ったら山がどっちにあるか見たら、すぐに東西南北が分かります。ですので神戸っ子は他の土地へ行くと絶対に方向音痴になる人が多く、名古屋や東京へ行ったら迷いますね。 

神戸電鉄はひたすら山側(北側)へ向かって走ります。山ですので、すごい坂を4両編成の電車が昇っていきます。車窓を見ていると、ほとんど高山鉄道。と思ったら箱根登山鉄道などと共に全国登山鉄道‰(パーミル)会を作っているんですね。 

トンネルを抜けると住宅地が開けていて神戸市北区。神戸のベッドタウンになっています。今、兵庫県の実業家に関する本を読んでいるのですが山脇延吉という人物が紹介されていました。神戸電鉄の創業者です。 

地元の名士ですが、小作農が窮した大正時代に国に対して農村振興を訴え、また農民には自力更生を唱えました。実にバランスがとれた人物。訴えは国に届き、やがて税制改正につながりました。農民の父と呼ばれていたんですね。 

また陸の孤島だった 三田・有馬温泉間に軽便鉄道を大正4年にひき、これが後の神戸電鉄のスタートになります。有馬温泉から湊川に延ばし、さらに三木市への別ルートもひいて、現在の神戸電鉄になっていきます。ですが大正時代に軽便鉄道で、あの坂を登るのはしんどかったでしょうね。