関西本線に乗るために加茂駅へ行ったら、構内に大仏鉄道の案内コーナーがありました。廃線跡がハイキングコースになっています。
大仏鉄道とは明治31年に加茂駅~大仏駅で開業した路線で、名古屋から伸ばしてきた関西本線が加茂駅までつながりましたので、こここから奈良まで路線を伸ばします。大仏観光に来たお客さんで賑わいました。
もっとも急坂が多かったので蒸気機関車2台で運行し、峠の上からブレーキをかけないと大仏駅で止まらないなど、けっこう大変な路線でした。大仏駅は東大寺転害門の前をずっと西に行った一条通りにあり、現在は大佛鐵道記念公園になっています。
大仏鉄道ですが、平坦な木津駅経由で奈良へ向かう現在の路線ができたため、わずか9年間で廃止となりました。廃線沿いには橋梁などが残っています。昔、知研関西で大仏鉄道研究会・事務局長の高橋さんに、「なぜ大仏鉄道は消えたか?」というテーマでお話しいただきました。大仏鉄道開通の朝日新聞の記事を見せていただきましたがトップ記事はいわゆる遼東半島の三国干渉の記事だった時代です。
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津駅前チャム 明日、リニューアルオープン
津駅にある商業施設チャム、長らく改装工事をしていましたが明日、リニューアルオープンします。
ホームページを見ると名古屋ステーション開発株式会社というJR東海100%子会社がチャムの運営をしているんですね。チャムはJR側の改札にあります。
津駅はJRと近鉄の全国でも珍しい共用駅になっており、東京みたいに改札は分かれておらず、まさしく共用になっています。三重県内では桑名駅、松阪駅、伊勢市駅も共用駅になっています。
ですので、津へ出張したビジネスマンなどがよくJRの改札で「近鉄はどこから乗ったらいいですか」とたずねる光景をみることができます。JRの改札には近鉄の切符を通りますので、そのまま入って、陸橋をわたると近鉄のホームになっています。反対に山側(西側)は近鉄の改札になっていますがJRの切符でそのまま出られます。
少しややこしいのが伊勢鉄道。ワンマン運転なので津駅で降りるときに車内で支払って運転手さんから整理券をもらい、それで改札を通ります。乗る時はJRでも近鉄でもどちらの改札からも入れます。
マッチ箱のような電車
「停車場はすぐに知れた。切符も訳なく買った。乗り込んで見るとマッチ箱のような汽車だ。」
夏目漱石が小説「坊っちゃん」で伊予鉄道のことを形容した言葉です。
漱石が伊予鉄道に乗った頃、レール幅762mmの軽便鉄道で確かにマッチ箱のような汽車と客車が松山を走っていましたが、現在はレール幅が1067mm(狭軌)となり、JRのレール幅と同じになりました。
残念ながら漱石時代のマッチ箱のような電車が走っているところは三重県だけになってしまいました。一つが西桑名駅から出ている三岐鉄道北勢線。もう一つが四日市駅から出ている内部線・西日野線。采女城のある内部駅へ行くのに久しぶりに乗ってきました。
三両編成のワンマン運転で、30分おきに出ていますので1時間に2本のダイヤ。当然、単線です。電車の中は狭く両側の椅子に座った人が足を組むと通れなくなるほどの幅です。見どころは日永駅で西日野駅へ行く路線と別れるのですが西日野から四日市へ向かう電車と行き違いをします。しかも三角形のホームになっています。
マッチ箱のような電車を見るのなら、ぜひ三重県へどうぞ!
三岐鉄道 硬券の切符
三岐鉄道に揺られて企業さんへ。近鉄富田駅と西藤原駅を結ぶのが三岐鉄道。3両編成で黄色とオレンジの車体をワンマン運転で走ります。もちろん単線。
もともとはセメント輸送が目的の路線で、今も貨物列車が走っています。JR富田駅と結んでいたのですが、やがて旅客が増え、JR富田駅に着くと乗客がドヤドヤと少し離れた近鉄富田駅へ移動し、近鉄に乗り換えていました。単線であるJRの本数と比べ、近鉄の本数が多いので当然でしょうね。
乗客から嘆願でもあったのか昭和45年に近鉄富田駅と結ぶ連絡線ができ、近鉄の隣のホームに着くようになります。ただ近鉄とは別経営ですのでダイヤをあわすようなことはしていません。「スルット関西」にも入っていませんので、いったんホームを出て切符を買いなおさないといけません。この切符が今時珍しい硬券です!硬券の切符なんて何年ぶりだろう。
半世紀にわたり走る鮮魚列車
近鉄が行商用専用列車を走らせています。これが鮮魚列車。伊勢の宇治山田駅と大阪上本町駅を結んでいて、一般の乗客は乗れません。
朝は三重県の漁港から早朝に揚がった海の幸を持った行商人を奈良や大阪へ運び、帰りは大阪から伊勢へ戻ります。鮮魚列車が始まったのは昭和38年。ですので半世紀にわたって走っている列車です。三両編成で先頭には白い帯が入っていて、ロングシートタイプ。昔はたくさんの行商人が乗っていたんですが、今は10人ぐらいですね。
昔はいろんな私鉄で走っていましたが、国内で運転されている鮮魚列車は近鉄のみとなっています。時刻表にも乗っていませんのでドクターイエローみたいな電車ですが、早朝または夕方に運がよいと鮮魚列車を見かけることができます。
早朝、鶴橋駅に急行が着くとビジネスマンの横をドヤドヤと竹カゴを持った人が降りていきます。大阪近郊から鶴橋の市場へ買い出しに来た小売商なんでしょうね。魚屋さんかなあ。
近鉄名古屋駅に丸い柱と四角い柱がある理由
近鉄名古屋駅の普通や急行が止まるホームは丸い柱になっており、奥の特急乗り場のホームは四角い柱になっています。
現在の地下鉄の駅ができたのは戦前の昭和13年。当時は関西急行電鉄の時代で、あまり金がなかったので1面1線の配線にする予定でしたが、将来の発展を見込んで3面3線の駅にしました。この時に工事をして出来たのが丸い柱。
ところが戦後、輸送量が増えたこともあり1967年(昭和42年)に4面5線への拡幅工事を行います。この時に工事で増えたホームが四角い柱になりました。奥が特急乗り場になっていますが、何とか8両編成が止まるようになっています。
手前の急行の乗り場はホームの端まで止めて、やっとさ6両編成が止まります。名古屋駅以外の急行が止まる駅は8両編成でも大丈夫なんですが、名古屋線は名古屋駅のせいで朝夕、混んでいても6両編成になっています。
奈良と大阪難波を結ぶ奈良線は10両編成の急行が走っているのですが、奈良駅が名古屋駅と同じ地下駅で余裕がないので、西大寺駅で電車をつないで難波まで10両で走らせています。名古屋線の場合は名古屋へ行く通勤・通学客が多いので、途中で車両を減らすわけにはいかず、ずっと6両編成のままでしょうね。
神戸電鉄は登山鉄道だった
阪神、阪急の三宮駅から少し行くと新開地駅があります。有馬温泉、三田市、三木市へ向かう神戸電鉄でこの新開地駅から出ています。
神戸は海と山に囲まれた狭い土地で、北は山、南は海になっています。道に迷ったら山がどっちにあるか見たら、すぐに東西南北が分かります。ですので神戸っ子は他の土地へ行くと絶対に方向音痴になる人が多く、名古屋や東京へ行ったら迷いますね。
神戸電鉄はひたすら山側(北側)へ向かって走ります。山ですので、すごい坂を4両編成の電車が昇っていきます。車窓を見ていると、ほとんど高山鉄道。と思ったら箱根登山鉄道などと共に全国登山鉄道‰(パーミル)会を作っているんですね。
トンネルを抜けると住宅地が開けていて神戸市北区。神戸のベッドタウンになっています。今、兵庫県の実業家に関する本を読んでいるのですが山脇延吉という人物が紹介されていました。神戸電鉄の創業者です。
地元の名士ですが、小作農が窮した大正時代に国に対して農村振興を訴え、また農民には自力更生を唱えました。実にバランスがとれた人物。訴えは国に届き、やがて税制改正につながりました。農民の父と呼ばれていたんですね。
また陸の孤島だった 三田・有馬温泉間に軽便鉄道を大正4年にひき、これが後の神戸電鉄のスタートになります。有馬温泉から湊川に延ばし、さらに三木市への別ルートもひいて、現在の神戸電鉄になっていきます。ですが大正時代に軽便鉄道で、あの坂を登るのはしんどかったでしょうね。
忍者列車で伊賀へ
大阪から近鉄・伊賀神戸駅へ出て、伊賀鉄道に乗り換え。
伊賀鉄道はもともとは国鉄・関西本線の伊賀上野駅から西名張駅まで結ばれていた線で大正時代にできました。当時の名前は今と同じ伊賀鉄道。昭和になってから大阪電気軌道(今の近鉄)に合併されてしまいました。伊賀神戸駅から西名張駅は近鉄と並行して走っているので廃止に。
赤字路線だったので近鉄が手放し、昔の名前を復活させ伊賀鉄道になっています。フォークが流行した頃、西岡たかしが上野市(うえのまち)という歌を作って大ヒットしました。
♪私が訪ねた上野市 忍者屋敷の上野市
茅町 桑町 広小路 もすこしゆられて上野市
歌通り、伊賀鉄道に乗って茅町(かやまち)駅、桑町駅を通り、広小路駅で降りて企業巡りをしていました。松本零士がデザインした忍者列車が走っています
お堀をトコトコ走る電車
名古屋と焼き物で有名な瀬戸を結んでいるのが名鉄瀬戸線。今は栄の地下から出ていますが、かっては名古屋城のお堀が出発点でした。
名古屋城三の丸の外側に外堀が残っていて今も健在です。水堀ではなく空堀になっています。愛知県図書館の近くに御園橋があり、この下に堀川駅があり、ここが始点でした。ここから外堀の底をトコトコと走っていました。城の堀を走る鉄道は全国でも名古屋だけでしたのお堀電車と言う名前で親しまれていました。
先日、名古屋城へ行った時に外堀沿いを歩いてきました。大津橋の横にお堀に降りる階段があるのですがこの下にあったのが大津町駅。今は立ち入り禁止になっていて看板には名古屋鉄道と書いてあります。廃線になったあとも名鉄の管轄になっているんですね。
大津町駅を出ると外堀沿いに90度曲がり、お堀をコトコト走って外堀がなくなるあたりで地上へ出て瀬戸へ向かっていました。残念ながら昭和51年にお堀の路線は廃止し、栄乗り入れになりました。一度は見てみたかったですね。線路後はしっかりお堀に残っていました。
旧国鉄 伊勢鉄道開業40周年
国鉄時代に名古屋から津へ行こうとすれば、関西本線に乗って三重県内陸部にある亀山駅へ向かいます。ここで紀勢本線に乗りかえて津に行きますが、三重県を三角形のように走ればならず大回り。必然的に海岸を走る近鉄に乗ることになります。
そこで四日市と津を結ぶバイパス線として40年前(1973年)9月1日にできたのが伊勢線。名古屋へ向かう特急が伊勢線経由になりましたので早くなり便利になりました。ところが国鉄の分割・民営化に伴い第三セクターに。今ではレールバスがトコトコ走る路線になっています。
経営は順調でJRの快速みえや南紀特急がこの伊勢線を借りて走っているため賃貸収入で黒字経営。ただ快速みえが我が物顔で走っているのを、本家であるレールバスが駅で通過を待ち「軒を貸して母屋を取られる」ということになっています。(笑)