神戸電鉄は登山鉄道だった

koube20131113.jpg阪神、阪急の三宮駅から少し行くと新開地駅があります。有馬温泉、三田市、三木市へ向かう神戸電鉄でこの新開地駅から出ています。 

神戸は海と山に囲まれた狭い土地で、北は山、南は海になっています。道に迷ったら山がどっちにあるか見たら、すぐに東西南北が分かります。ですので神戸っ子は他の土地へ行くと絶対に方向音痴になる人が多く、名古屋や東京へ行ったら迷いますね。 

神戸電鉄はひたすら山側(北側)へ向かって走ります。山ですので、すごい坂を4両編成の電車が昇っていきます。車窓を見ていると、ほとんど高山鉄道。と思ったら箱根登山鉄道などと共に全国登山鉄道‰(パーミル)会を作っているんですね。 

トンネルを抜けると住宅地が開けていて神戸市北区。神戸のベッドタウンになっています。今、兵庫県の実業家に関する本を読んでいるのですが山脇延吉という人物が紹介されていました。神戸電鉄の創業者です。 

地元の名士ですが、小作農が窮した大正時代に国に対して農村振興を訴え、また農民には自力更生を唱えました。実にバランスがとれた人物。訴えは国に届き、やがて税制改正につながりました。農民の父と呼ばれていたんですね。 

また陸の孤島だった 三田・有馬温泉間に軽便鉄道を大正4年にひき、これが後の神戸電鉄のスタートになります。有馬温泉から湊川に延ばし、さらに三木市への別ルートもひいて、現在の神戸電鉄になっていきます。ですが大正時代に軽便鉄道で、あの坂を登るのはしんどかったでしょうね。 

忍者列車で伊賀へ

iga20131101.jpg大阪から近鉄・伊賀神戸駅へ出て、伊賀鉄道に乗り換え。 

伊賀鉄道はもともとは国鉄・関西本線の伊賀上野駅から西名張駅まで結ばれていた線で大正時代にできました。当時の名前は今と同じ伊賀鉄道。昭和になってから大阪電気軌道(今の近鉄)に合併されてしまいました。伊賀神戸駅から西名張駅は近鉄と並行して走っているので廃止に。 

赤字路線だったので近鉄が手放し、昔の名前を復活させ伊賀鉄道になっています。フォークが流行した頃、西岡たかしが上野市(うえのまち)という歌を作って大ヒットしました。 

♪私が訪ねた上野市 忍者屋敷の上野市 
   茅町 桑町 広小路 もすこしゆられて上野市 

歌通り、伊賀鉄道に乗って茅町(かやまち)駅、桑町駅を通り、広小路駅で降りて企業巡りをしていました。松本零士がデザインした忍者列車が走っています 

お堀をトコトコ走る電車

ohori201310.jpg名古屋と焼き物で有名な瀬戸を結んでいるのが名鉄瀬戸線。今は栄の地下から出ていますが、かっては名古屋城のお堀が出発点でした。 

名古屋城三の丸の外側に外堀が残っていて今も健在です。水堀ではなく空堀になっています。愛知県図書館の近くに御園橋があり、この下に堀川駅があり、ここが始点でした。ここから外堀の底をトコトコと走っていました。城の堀を走る鉄道は全国でも名古屋だけでしたのお堀電車と言う名前で親しまれていました。 

先日、名古屋城へ行った時に外堀沿いを歩いてきました。大津橋の横にお堀に降りる階段があるのですがこの下にあったのが大津町駅。今は立ち入り禁止になっていて看板には名古屋鉄道と書いてあります。廃線になったあとも名鉄の管轄になっているんですね。 

大津町駅を出ると外堀沿いに90度曲がり、お堀をコトコト走って外堀がなくなるあたりで地上へ出て瀬戸へ向かっていました。残念ながら昭和51年にお堀の路線は廃止し、栄乗り入れになりました。一度は見てみたかったですね。線路後はしっかりお堀に残っていました。 

旧国鉄 伊勢鉄道開業40周年

isetetudou201308.jpg国鉄時代に名古屋から津へ行こうとすれば、関西本線に乗って三重県内陸部にある亀山駅へ向かいます。ここで紀勢本線に乗りかえて津に行きますが、三重県を三角形のように走ればならず大回り。必然的に海岸を走る近鉄に乗ることになります。 

そこで四日市と津を結ぶバイパス線として40年前(1973年)9月1日にできたのが伊勢線。名古屋へ向かう特急が伊勢線経由になりましたので早くなり便利になりました。ところが国鉄の分割・民営化に伴い第三セクターに。今ではレールバスがトコトコ走る路線になっています。 

経営は順調でJRの快速みえや南紀特急がこの伊勢線を借りて走っているため賃貸収入で黒字経営。ただ快速みえが我が物顔で走っているのを、本家であるレールバスが駅で通過を待ち「軒を貸して母屋を取られる」ということになっています。(笑)

さすがは日本一の営業キロの近鉄

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    夕方、吹上にある名古屋市新事業支援センターを出て近鉄名古屋駅から伊勢中川行きの快速急行に乗って津へ行こうとしたら電車がいない。8分遅れで電車がやってきました。 

    電車のアナウンスによると早朝に奈良線(難波ー奈良)で人身事故が発生し、上下線とも遅れているとのこと、ネットで調べると菖蒲池(あやめいけ)-大和西大寺間の踏切で特急電車との人身事故が発生したようです。 

    早朝に起きた、はるかかなたの奈良線の影響が名古屋まで波及するんですね。名古屋は基本的に伊勢・鳥羽・賢島と結んでいますが難波行き特急もあり、大阪線の影響を受けます。大阪線はもろに奈良線の影響を受けるのでドミノ倒しのように愛知県まで影響を受けます。 

    奈良線は阪神電車と相互乗り入れしていますので三宮まで影響したでしょう。結局、奈良で起きた事故が愛知県、三重県、奈良県、京都府、大阪府、兵庫県と2府3県にまで影響。さすがは日本一の営業キロの近鉄です。

伊勢電気鉄道

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    現在の近鉄の前身の一つとなったのが伊勢電気鉄道。津駅の隣にある江戸橋駅(三重大学の玄関駅)から現在の近鉄線と違う路線を通って、松ヶ崎(松阪)経由で大神宮(伊勢神宮)と結んでいました。 

    けっこう最近まで残っていた路線で廃止になったのが昭和36年。子供の頃は踏切跡などが残っていました。津駅は部田(へた)駅という名前で、現在の津駅から少し離れた三重交通バスの営業所ところにありました。 

    廃線跡は基本的に狭い道路跡になったりして残っていて航空地図を見るとカーブなどが独特ですね。たまに津の廃線跡を歩いたりしていますが、傍から見ると住宅街の中の小道を散歩しているだけです。(笑) 

    津の岩田川にかかっていた橋梁はそのまま道路橋として転用されています。橋梁の上をにそのまま舗装道路を乗っけた構造で、センターラインはありません。 

    一車線ずつU字状の溝の中を走ることになっていて鉄道には最適ですが、自動車向けじゃないですね。鈴鹿サーキットのゴーカート用コースを走っているようなイメージです。

大阪のチンチン電車

hansakai201308.jpg今日は住吉さん近くの企業へ行く用事があったので、久しぶりに恵美須町(通天閣のあるところ)から阪堺電車に乗りました。 

昔は改札口があった時代もあったんですが、今は道路からそのままホームに入れます。初めて行くと小さな駅名しか出ていないので、駅だと気がつきません。もっとも住吉公園駅なんか宝くじ売り場の奥にホームがあり、知っていなければ駅だとはまず分かりません。 

恵比寿町駅を出発すると北天下茶屋駅、聖天坂駅、天神ノ森駅などの由緒ありそうな駅を過ぎ、専用軌道から普通の道路に乗り入れます。ここから、いわゆるチンチン電車になり、道路も狭いので、園舎の後ろに車を従えて進む形になります。 

見どころは住吉駅で、ここで天王寺駅前からの路線とクロスしますので、天王寺駅、恵比寿町駅、住吉公園駅、我孫子駅の各方面へ向かう電車が見られます。 

堺に入る我孫子駅まで、大阪では「大和川を超えるまで」と言いますが、料金は200円です。天王寺駅からの本数が多いですが、恵比寿町駅からも1時間に5本は出ていますので、なかなか便利。 

隣を南海電車が並走していて確かに速いのですが、ひなびた阪堺電車は風情がありますね。

鉄道マニアの聖地 桑名駅近くの踏切

kuwana20130722.jpg桑名駅のすぐそばに三岐鉄道北勢線の西桑名駅があります。この西桑名駅を過ぎて、ステーションホテル桑名のちょっと先に行ったところに人と自転車が通れる小さな踏切があります。 

この何のへんてつもない踏切が鉄道マニアの聖地です。踏切の一番、東側を走っているのが三岐鉄道北勢線。ナローゲージ(762mm)という昔の軽便鉄道の線路の規格でとっても狭い幅の線路があります。今やナローゲージで現役の電車が走っているのは、この北勢線と四日市から出ている近鉄内部・八王子線しかありません。 

真ん中を走っているのがJRで、JRの軌道は狭軌(1067mm)。一番西側を走っているのが近鉄で、近鉄の軌道は広軌(1435mm)で新幹線と同じです。 

この桑名駅近くの踏切ではナローゲージ、狭軌、広軌の3つをいっぺんに渡れるという日本でただ一つの踏切。北勢線はこの踏切を過ぎると大きくカーブ―してJRと近鉄を橋脚でまたいでいきますので線路が3つ揃うのは、この踏切しかありません。 

地元・桑名の人もなかなか知らない聖地です。 

90度も曲がる近鉄・南大阪線

kintetu20130704.jpg鉄道に関する本に近鉄・南大阪線の不思議について書かれていました。 

日本一の超高層ビル「あべのハルカス」のある阿部野橋駅から近鉄・南大阪線に乗ると道明寺駅の手前で速度を落とし、ほぼ90度曲がって南に下ります。しばらく走ると古市駅でまたグニャーと曲がって奈良の橿原神宮前駅へ向かいます。 

■なんで90度も曲がっているの 
なんで90度も曲がっているかといえば応神陵など200メートル級の古墳が点在する古市古墳群があるので、古墳を縫うように走るためという説明を聞いたことがあります。 

確かにそうなんですが、もともとはJR柏原駅から出ている現在の道明寺線(上の青い部分)と道明寺駅から古市駅の間、古市から河内長野駅に向かう長野線(下の青い部分)が1本の路線で河陽鉄道という明治31年開業の鉄道会社が運営していました。ですので、もともとは1本のまっすぐな路線だけでした。 

■南海に負けたのでカーブが多い路線に 
大阪から高野山の参詣客を運ぼうと考え河内長野駅まで線路を伸ばしましたが、高野登山鉄道(南海電車)に高野山まで先にのばされ敗退。 

これじゃダメだと大正時代に道明寺駅からミナミの玄関口である阿部野橋駅まで路線を延ばすと、お客さんが増えて成功。次は古市駅から橿原神宮前へのばします。まっすぐな線に後からつけ加えたので、道明寺駅と古市駅でグニャーと曲がる近鉄南大阪線になりました。

孤立した田原本線

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    私鉄で最も営業距離が長いのは近鉄ですが、いろいろな支線があります。近鉄のいずれかの駅から分岐しているんですが、田原本線だけは、どこの駅ともつながっていません。 

    JR王子駅には生駒駅からのびてきた近鉄・生駒線があり近鉄王子駅になっています。そこから150メートルほど離れたところに近鉄・新王寺駅があり、ここから田原本駅までのびています。わずか150メートルですが、接続していません。また田原本駅も橿原線とつながっておらず150メートルほど離れています。まさに単独の線で、近鉄でもここだけ。 

    前からなんで接続していないのか不思議に思っていたんですが、田原本線はもともと大和鉄道という路線で近鉄の支援というより関西本線・王子駅の支線という意味合いが強かったんですね。近鉄の前身である大起が大和鉄道を傘下におさめたのは大正14年だそうです。
    いまだに関西本線の支線という位置づけが強いので、そのままのようですが他社の阪神電車や京都や大阪の地下鉄とは接続しているなか、同じ近鉄なのに孤高を守っています。