大和三山をゆく(6) 耳成山(天神山城)

耳成山(天神山城)

大和八木駅近くにあり大和三山で一番きれいな円錐形をしています。なんで大和三山のハイキングにつきあったかと言えば耳成山の頂上が山城跡なんです(笑)。最後に山城が待っているなんて素敵じゃないですか。

中大兄皇子と鎌足が密談した談山神社が有名ですが、平安末期頃から多武峰一帯に城が築かれて多武峰城塞群ができあがります。大和の国は僧兵(衆徒)をかかえた興福寺が支配し、守護がいない特異な地域でした。ところが衆徒(国人)の間で戦ったりする割には外部からの侵入があると一致団結したりします。

■天神山城
永正3年(1506年)に室町幕府に派遣された赤沢朝経が多武峰城塞群、龍王山城、二上山城にたてこもった大和衆を攻撃するために築いた陣城が天神山城です。頂上ちかくに耳成山口神社があり、ここから登っていくと城跡で
耳成山の頂上が主郭となり、周りを郭が取り囲んでいます。ハイキング客も多いのですが、城跡だと思ってみている人は一人もいませんね。

和歌山城

和歌山城

和歌山でお仕事だったので、まずは和歌山城へ

和歌山へ行くたびに寄っているのでたぶん10回以上は来ています(笑)

和歌山城を造ったのは来年の大河ドラマ主人公である豊臣秀長です。秀吉の紀州征伐のあと、秀長が紀伊もおさめることなりました。そこで虎伏山に平山城を築き拠点としました。これが和歌山城です。江戸時代になると徳川家康の十男・頼宣が入り、紀州徳川家となります。

城のあちこちに秀長時代の野面積みの石垣が残っています。もう少し後の切込みハギと混在するのが楽しめます。

辰市城

辰市城

中ツ道の終点が東九条町だったので、ちょっと歩いて辰市城跡へ。

主郭があった場所は辰市幼稚園でしたが、久しぶりに行ってみると南部公民館東九条分館になっていました。住宅地になっていて城跡は残っておらず水路跡が堀跡かなという程度です。

ここが有名な「辰市城の戦い」の舞台です。松永久秀と筒井順慶が大和の覇権を争っていました。大河ドラマ「麒麟がくる」でも二人の対立が描かれていました。松永久秀が信貴山城、筒井城、多聞山城という城をつないだネットワークを築いていましたが、そこにクサビをうつために筒井方が辰市に城砦を築きます。急ごしらえの城郭でしたので松永久秀方が攻めたてますが筒井方の後詰があらわれ、松永方が敗戦。松永久秀の大和支配がゆらぐ分水嶺の戦いになりました。

中ツ道をゆく(13) 東九条城

東九条城

今市城から中ツ道に戻り、北上すると五徳池があります。単なる溜池に見えますが、平城京の時代から存在し、当時は越田池と呼ばれていました。この近くで奈良時代に瓦を焼いた窯跡がみつかり、光明皇后に関連した木簡に出てくる越田瓦屋の跡とみられています。

平城京の参考にした長安(唐)の南東端には曲江池があり、平城京を造る際に真似して越田池をつくった説があります。池のほとりに白山神社があり、このあたりにあったのが東九条城で小字名「城」が残っています。神社の周りなどを歩いたのですが、それらしい遺構は残っていませんでした。

中ツ道をゆく(12) 今市城

今市城 堀跡

中ツ道を歩いていると、どっかで見た光景が東側に見えます。このへんって確か城があったのでは、とGoogleマップで調べると今市城がありました。前はJR帯解駅から歩いて行った城です。

ということで中ツ道から寄り道して台地を登り、今市城へ行ってきました。城跡は住宅街になっていますが、ガマ池が南の堀として残っています。城の北側にあった堀は埋められて遊歩道になっています。今市城を造ったのは、このあたりを支配した今市氏で筒井氏に属していました。

大和は力をもつ守護がおらず、筒井氏と越智氏が争っている時代で、今市城も戦の舞台となりました。

浜田城

浜田城

四日市商工会議所で仕事なんで駅近くの浜田城へ寄ってきました。

主郭跡は鵜森神社になっていて郭の周りは鵜の森公園になっています。四日市駅のすぐそばですが神社を囲む三方の土塁がよく残っています。文明2年(1470年)、田原忠秀によって浜田城が築かれたと伝わっています。田原忠秀は上野国佐位郡赤堀を本貫とする赤堀氏の一族で上野国から伊勢へ移り、浜田城を築きました。東海道や市場の整備も行い、四日市という地名はこの頃にできたそうです。

3代・田原元綱の時、織田信長の伊勢攻めで滝川一益に攻められ落城します。城はそのまま残っていたようで小牧・長久手の戦いの時、織田信雄方の滝川雄利が松ヶ島城を開城した後、浜田城に移って籠城したと記録されています。

足助城

足助城

せっかく豊田に行ったのなら、目指すは足助城です!

豊田市駅からバスで1時間ほど揺られ足助の町へ、町から1時間ほどかけて真弓山に登ります。車でも登れるように舗装されていますが、歩くとなるときついですね。足助城は発掘調査にもとづいて全国で初めて戦国の山城を再現したもので、まさに山城のテーマパークです。高櫓、長屋、物見台、冠木門、木柵などが復元されています。当時の山城を体感できる全国でも珍しい施設で公園として整備されていて入場料は300円です。平日の朝、行ったのですが誰も観光客はいませんでした。なんてもったいない!

足助城は境目の城で、いろいろな文献に登場し小牧・長久手合戦の舞台にもなっています。足助城を作ったのは挙母神社にも関係している足助鈴木氏のようですが足助氏という説もあります。城からは足助の町がよく見えます。堀切や切岸などよく整備されていました。

井伊谷城

井伊谷城

井伊谷の目的地はもちろん井伊谷城です。大河ドラマでも井伊直虎などが井伊谷城から井伊谷を一望するシーンがでてきます。

井伊谷城がある山は、そう高い山ではないので麓から15分ほど登ると城跡につきます。井伊谷城はけっこう単純な縄張りで土塁がある主郭と帯郭で構成されています。戦国時代に改修されることがなかったんですね。すぐ眼下に井伊家の屋敷があったはずですが、今は住宅地になっています。

井伊谷城を造ったのは井伊家初代の井伊共保といわれています。そう井伊の旗印になった井戸の人物です。屋敷のすぐ裏山が井伊谷城で、詰め城になっています。

浜松城 出城

浜松城 出城

浜松城は三方原台地の東縁にあたる段丘を利用した平山城で、浜松駅から少し登ったところにあります浜松城の二の丸から少し離れた南側を守るために出丸がありました。現在は浜松市中央図書館になっていて、階段脇に、出城跡の石碑が建っています。見上げるとけっこうな高低差があります。この出丸は家康の伝記「武徳編年集成」に書かれている鳥居曲輪とみられています。鳥居とは鳥居元忠のことで家康が浜松城に在城した時に曲輪に屋敷をかまえ守備していたようです。

鳥居元忠は超有名人で、家康が大坂から会津征伐に向かう途中、伏見城の守備をまかせた鳥居元忠と酒を酌み交わすシーンは必ず映画やドラマで出てきます。「どうする家康」では音尾琢真さんが鳥居元忠を演じていて、武田の間者だった千代ともども伏見城落城で散っていくシーンが描かれていました。

浜松城

浜松城

お仕事のついでに久しぶりに浜松城に寄ってきました。

もともとは曳馬城と呼んでいましたが、馬を引くのは敗北につながるので、家康は浜松城に名前を変え城を拡張していきます。もともとの曳馬城は今は城横の東照宮になっています。発掘調査が進んでおり、天守の前にある天守門が復元され、中にも入れました。本丸が整備されていて、古い野面積みの石垣を見ることができるのがいいですね。

家康は武田信玄の侵攻に備えるため、岡崎から東側の浜松に移し、岡崎は嫡男・信康が預かることになります。