JR王寺駅から南方向の高台にあるのが孝霊天皇陵。第7代目の天皇で欠史八代(実在しない天皇)の一人と考えられていますので、本当は誰の陵なんでしょうね。もっとも安康天皇陵のように本当は山城跡なのに天皇陵にしてしまった例もあるので、いいかげんなものです。
孝霊天皇陵は山の上にあるのですが、周りは住宅街となっています。ここにあったのが大和馬ヶ脊城。最近のGoogleマップはすごいですねえ。山城も出てくるようになっています。これで山城への踏破口まで表示してくれたら完璧なんですが、踏破口がないんで切岸を登ったり、藪を突っ切ることになります。
大和馬ヶ脊城は在地武士団(大和国人)である片岡氏(片岡城が本拠)が、松永久秀(信貴山城を本拠)と戦闘を繰り広げたと伝えられる“幻の砦”「馬ケ脊(せ)城跡」と言われています。改修の痕跡もあり、織田信長が信貴山に立て籠もる松永久秀攻めで再利用した可能性も言われています。
「【図解】近畿の城郭2」に大和馬ヶ脊城の単郭の縄張図が掲載されていました。王寺だから近いと思っていたら2008年に発掘調査され破壊されてしまっていました。500年も保存されてきた山城なのに、もったいないな~あ!
カテゴリー: 奈良県の山城
大和片岡城
JR王寺駅から和歌山線に乗り換えて一駅目が畠田駅。駅を降りて丘を登ると片岡城があります。中世の城では珍しく案内板まであります。堀切などが見事に残っています。
珍しく誰が築城したかもわかっていて片岡国春という人物。1550年に築いたようです。片岡氏は鎌倉時代から続く武士団で、太平記に大塔宮護良親王に付き従う九名の中に、赤松則佑とともに片岡八郎の名がでており、片岡氏の一人とみられています。
大和は筒井党と越智党との抗争のなどがあり、最終的に片岡氏は筒井方についていましたが、松永久秀に片岡谷を攻められ落城しています。
松永久秀の配下となった片岡城は大改修され、現在の遺構はこの時のもののようです。松永久秀が信貴山城に立て籠もり織田信長に反旗を翻しましたが、支城の片岡城は明智光秀勢の攻撃を受けて落城します。
明日香城塞群(10) 五条野城
明日香城塞群シリーズの最後は五条野城です。
岡寺駅から少し行った丸山古墳の近くに五条野町という土地があり、ここの丘陵の先端に城跡があります。城跡からは岡寺駅へ向かう155号線が見下ろせます。現在は八咫烏神社になっていて境内が主郭跡で今も屈曲した土塁や堀跡が残っています。
守護がいなかった大和は興福寺が守護代わりで、興福寺と一体化していた春日神社の神人に組み入れられていたのが国民(くにたみ)です。有名なところでは筒井氏、越智氏、十市氏、古市氏などがいますが、興福寺一乗院門跡坊人に五条野氏がいました。土地の名前からいって、この五条野氏の城跡のようです。国民はあっちについたり、こっちについたりという歴史ですが、室町後期には越智氏の「段銭帳」に名前の記載があり、越智氏の支配下にあったようです。
この五条野という土地ですが甘樫丘からつながる丘陵地域です。五条野内垣内遺跡などで建物跡などが見つかっており古代は蘇我氏の支配地域でしたが滅んでからは天皇家に関係する大型建物が造られた土地のようです。今は住宅街になっています。
明日香城塞群(9) 平田遺構
明日香城塞群(8) 野口吹山城
明日香城塞群(7) 野口植山城
明日香城塞群(6) 祝戸城
石舞台古墳から川を渡って南西に向かうと祝戸という土地になり、さらに奥へ行くと飛鳥稲淵宮殿跡があります。石舞台古墳は観光客で一杯ですが、祝戸は飛鳥の中心域からはずれていますので観光客もほとんどいません。
飛鳥稲淵宮殿跡の後ろが山になっていて、山の上に祝戸城があります。山は展望台(国営飛鳥歴史公園)として整備されていて麓から山上まで階段がひたすら続いています。山のピークの中心部まで階段が続いて東展望台と西展望台があります。階段から西展望台に向かう途中に祝戸城がありますが、小さな城ですので、しっかり縄張図を見て城の全体像を記憶していないと気がつきません。私も通り過ぎてから、”待てよ、さっきのは郭みたいだったな”と来た道を戻り、郭に登って気がつきました。祝戸城は2つの郭から構成され、小規模な堀切が2ケ所ありました。公園化でだいぶ改変されたようです。
飛鳥稲淵宮殿跡は発掘調査によると飛鳥の宮殿跡のようですが詳しいことは分かっていません。同様に祝戸城についても詳しいことはわかっていません。
明日香城塞群(5) 岡城
明日香城塞群(4) 飛鳥城
明日香城塞群(3) 奥山城
飛鳥資料館の裏にあるのが奥山。ここにあったのが奥山城です。誰が造った城なのか記録は残っていません。
皇太神社へ行く途中に公園みたいなところがあるので、ここにレンターサイクルをとめれます。公園から一番端の郭に入れますが、堀切がすごく郭に入るには切岸を登らないといけません。この郭からの眺めがよく雷丘城や雷ギヲ城を見ることができます。ですので雷丘城と対峙するための城だったかもしれません。
縄張図を見ると他にも郭があり、行きましたが藪だらけの郭で途中で迷っていまい、結局、皇太神社の裏側に出ちゃいました。途中、堀切のようなものがありました。飛鳥資料館へ行く人は多いのですが、こんな山城に登っている人は皆無でしょうねえ。