ようやく足の痛みが治ったので山城登りを再開。ただこの時期から山城はヤブ蚊がすごくなりますので、なるべくヤブの少ない山城を探したところ生駒にありました。
近鉄けいはんな線・学研北生駒駅から奈良交通バスに乗り西庄田で降りて、山を目指します。近畿自然歩道が通っているため、高山城への案内板もあり、また遊歩道も整備されています。高山は南都、山城、河内の三国の境界にあり、中世には鷹山庄という荘園がありました。この高山をおさめていたのが鷹山氏。
鷹山氏は高山氏とも書き、大和の国人の一人で戦国時代、江戸時代を生き抜き、鷹山氏の末裔が城跡を所有していました。平成18年に城跡を再整備するのにあわせ地元に寄贈。それで遊歩道ができたんですね。
遊歩道を登ると九頭龍王社が祀られている2郭に着きますが、主郭はどうも2郭ではなく尾根沿いに進んだ別の郭のようで、そちらに進出。さすがに遊歩道も何も整備されていないので、ヤブに分け入って土塁などを見てきました。井戸跡も残る郭で見応えがあり、おかげで堪能できました。
カテゴリー: 奈良県の山城
北田原城(生駒市)
片道40分、こんな通勤はいやだ(高取城)
超昇寺城
佐紀城の横に御前池があるのですが、対岸にあるのが超昇寺城。室町時代に作られたようで戦国時代は筒井方、松永久秀方の争いに巻き込まれ松永方についたり、筒井方についたり大変だったようです。
大和西大寺駅からみると佐紀城も少し高台になっていますが超昇寺城は、それ以上の高台になっています。佐紀城は超昇寺城の出城だったのではという説もあります。
佐紀城を見てから対岸の超昇寺城へ行きましたが、こちらは竹藪だらけ。外から見たら森にしか見えませんが中には土橋、空堀、郭、土塁、櫓台が残っていました。ただし竹藪の中を押し入らないといけないので、大変。けっこう大きな城で、現在は住宅地になっているところも郭だったようです。まあ、スーツ姿で行くところではありませんなあ。
藪が大変なので、この手の城へ行くのはしばらく無理ですねえ。はやく寒くならないかなあ。
大極殿から徒歩3分のところにあると佐紀城
平城京跡には時々行っているんですが、まさか大極殿から徒歩3分のところに城があるとは知りませんでした。専門家派遣の後に時間があったので西大寺駅から歩いて行ってきました。
場所は大極殿のちょうど北側。平城京時代の柱跡が植木で再現されているのですが、その北側に佐紀神社があります。ここが佐紀城跡。あまり大きな城ではないのですが社殿があるところが郭で、櫓台らしきものの跡や空堀跡がありました。室町時代に作られた城です。
神社のすぐ南が佐紀幼稚園で、ここから大極殿がよく見えます。ちょうどお迎えの時間帯のようでお母さん方が子供を迎えに来ていたのですが、ヘンなおじさんがヤブなどを熱心に見ているので不審に思ったでしょうねえ。ヤブの奥に空堀があるんです。
それにしてもさすがは奈良ですね。奈良公園の中にも城があったし、平城京跡のすぐ近くにもあるんですね。
筒井城
近鉄・大和八木駅から西大寺駅に向かう途中、筒井駅という普通しか止まらない駅があります。高架駅になっています。
駅の横が商店街になっていますが、かって一帯は筒井城という平城でした。室町時代~戦国時代の筒井氏の居城。筒井氏で有名なのが筒井順慶です。洞ヶ峠の逸話で有名ですが実際は山崎の合戦への強力を頼んだ筒井順慶を明智光秀が洞ヶ峠で待っていたのが真相のようです。筒井康隆が小説「筒井順慶」を書いていますが筒井一族というわけではなく同じ姓だからのようです。
筒井城は大和の中心地にありますので、しばしば戦場の舞台となり攻城戦が5回もありました。信貴山の松永久秀などともよく争っていました。
筒井城の中心部は蓮根畑になっていて「シロ畠」という名前がついています。筒井の殿様が住んでいたので遠慮して家を建てないと伝承され、現在も畑のままです。ちょうど発掘調査をしていました。城跡は残っていませんが、堀の跡が水路になっているなど、現在も当時の城の様子をうかがえる箇所がいくつかあります。
筒井順慶は織田信長の部下となり筒井城から大和郡山城に移ります。筒井順慶は若くして亡くなりますが、筒井氏は秀吉の時代に伊賀上野に移封。やがて藤堂高虎が大坂の陣に備えて、伊賀上野城を築きますが、その前にあったのが筒井の伊賀上野城。現在も筒井時代の天守閣があった場所などが伊賀上野城に残っています。ちょっと分かりにくい場所なので、誰も行きません(笑)
奈良公園内にあるお城 西方院山城
冗談のような話ですが奈良公園の中にお城があります。
奈良公園には昔から何度も行っていますが、お城がよもやあるとは知りませんでした。少し前に奈良の城一覧を見ていたら奈良公園にあるのを発見。今日は朝から伊賀の企業へ行っていましたので関西本線での帰り、奈良駅で降りて城を見てきました。
場所は奈良ホテルの向かい側、瑜伽神社の裏手にあります。入口は奈良ホテルの駐車場なんですが、とんでもない場所で、調べて行かなければ絶対に分かりませんね。しかも主郭まで登らないといけないので、ちょっと大変です。でも見応えのあるお城で、二重になった空堀や土橋など見事に残っていますね。主郭からは興福寺の五重塔が見えます。奈良公園の一角なので主郭には鹿がいました。
このお城の名前は西方院山城(さいほういんざんじょう)。たった3日間という短命のお城でした。城が出来上がった3日間後に筒井氏が攻めてきて落城してしまいました。実は道路をはさんだ向かい側にある奈良ホテルにも昔、城があり、名前は鬼薗山城。遺構は何も残っていません。