ようやく涼しくなり、まもなくシーズン到来ですのでリハビリがてら飯森山城へ登ってきました。
麓の野崎から登りはじめましたが、だいぶ体がなまっていますね、途中でけっこう息がきれました。ヒーハー言いながら1時間ほどかけて山頂を目指します。
飯森山城は南北朝時代には築かれていて、高師直軍と楠木正行が戦った四條畷の戦いでは、南朝方の恩地氏が飯盛山城をおさえたようです。それもあって頂上には楠木正行の銅像があります。その後、守護・畠山氏の被官だった守護代・木沢長政が城として整備をし、本格的な山城としてスタートします。石垣の城として整備したのは三好長慶で、織田信長よりも先に天下人になった人物です。
少年の時に父親を殺した細川晴元と手を結び、戦国時代には珍しく、兄弟で役割分担しながら畿内を平定します。しかし嫡子に先立たれるなど晩年は恵まれせんでした。この三好長慶に仕えていたのが松永久秀です。そうそうキリスト教の布教も認めていて高山右近がキリスト教に改宗したのも三好長慶の影響がありました。
三好長慶はこの飯森山城で病死し、御体塚郭に埋葬されていると伝わっています。大きな郭が稜線に連続し、一番北側の出丸からは山城、摂津、河内、大和の国を270度パノラマで見ることができます。