妙顕寺城の遺構が発見される

妙顕寺城の遺構が初めて確認されたと報道がありました。

大政奉還の舞台となったのが現在の二条城ですが、この前にいろいろと二条城があり妙顕寺城は秀吉が築いた二条城です。まずは武衛陣という、もともとは斯波氏の屋敷で将軍御所となった場所があります。武衛陣の近くに作られたのが織田信長が足利義昭のために築いた二条城です。ルイス・フロイスが初めて織田信長と出会ったのが、この二条城の工事現場でした。信長が足利義昭と敵対した後に作ったのが二条新御所になります。

■妙顕寺城
本能寺の辺の後、信長が造った二条城新御所の西側にあった妙顕寺を移転させ、1583年(天正11年)に城を造りました。今も古城町という地名が残っています。信長が本能寺の変で亡くなったことを教訓に堀や天守閣を備えた強固な城でした。今回、遺構が見つかったのが、この城になります。

二条という土地は足利将軍の武衛陣があったこともあり、武家政権の聖地になっていました。ですので信長、秀吉、家康はこの地に城を作ることになります。

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