石切神社 

太鼓台

昨日、今日は石切神社(石切劔箭神社)のお祭りで太鼓台が巡行しています。21日には宵宮祭、22日には例大祭が行われます。

大阪のお祭りというと岸和田のだんじりが有名ですが、河内は太鼓台が多いですね。枚岡神社、石切神社、大賀世神社などで太鼓台の巡行が行われます。規模が大きいのが枚岡神社で秋郷祭りでは各町内から23台の太鼓台が宮入します。

大阪もやっとこさ涼しくなってきたので、石切さんにお参りに行ったら、町内を練り歩いた太鼓台が通っていました。

足助

足助の町並み

足助は山の中の街ですが、古代から街道が集まる交通の要衝です。信濃と結ぶ伊那街道、美濃と結ぶ美濃街道、尾張国への伊保街道、岡崎に向かう足助街道が通っています。ですので足助城は境目の城として今川、武田、松平(徳川)が争うことになります。江戸時代は足助陣屋がおかれました。跡地には何もありませんが徳川四天王で有名な本多忠勝の子孫である本多家が領していました。

足助川下流域両岸に発達した河岸段丘上に商店街が整備され、足助の町並みは国の重要伝統的建造物群保存地区になっています。愛知ではほかに有松が、三重では関宿が指定されています。バスで田舎道をずっと走っていくと急に伝統的な街並みが登場します。香嵐渓という紅葉の名所があるようですが、足助城以外に用事はないので街並みをざっと見てバスで豊田に帰ってきました。

枚岡駅

枚岡駅

2日間の祭りが終わり、太鼓の声も聞こえなくなって静かな朝ですね。関西の放送局では万博閉幕の話題をずっとやっています。

枚岡神社・秋郷祭 宮入は東高野街道の一の鳥居から始まりますが標高は10mほどです。ここから太鼓台をかついで40m登ると枚岡駅の踏切に到達し標高50mほどです。まあマンション13階分、登るようなものですね。踏切を超えると最後の急坂が待っていて枚岡神社の境内にはいりますが、ここが標高80mになり、麓から70mも登ることになります。

近鉄奈良線は瓢箪山駅を過ぎると線路は大きくカーブし、ここから登山鉄道になります。35.7パーミルもある急勾配に枚岡駅があり、ここから石切駅まで車窓から大阪平野を一望できるスポットになっています。

枚岡神社 秋郷祭2025

枚岡神社 秋郷祭

枚岡神社 秋郷祭り

この土日は枚岡の町中が祭り一色になり、町内のあちこちで太鼓台の太鼓の音が響きます。

今年度はマンションの自治会をやっているので、宝箱太鼓台がマンションに立ち寄って休憩するアテンドをやっていました。

いつも枚岡駅の踏切越えが面白くって見学に行っています。東高野街道の一の鳥居から枚岡病院前の急坂を登って近鉄の線路前へ。ここで休憩し、電車の合間をねらって進み、踏切のところから枚岡神社まで最後の急坂がまっています。

枚岡祭り

枚岡祭り

本日と明日は枚岡神社の秋郷祭各町内を太鼓台が巡り、15時頃に神社への宮入がはじまります。瓢箪山の商店街へ買い物に行ったのですが、行くまでに3つの太鼓台通過で待たされました。

商店街のアーケードへ着くと、喜里川の太鼓台が休憩中でした。この後、太鼓台が商店街のアーケードに入る前に脇を通って、買い物に行ってきました。

挙母神社

挙母神社

豊田市はもともと挙母(ころも)市でしたが、トヨタの企業城下町でもあり市名が変更になりました。ただ町を歩くと挙母の名前が残っていたりします。その一つが挙母神社です。

創建は諸説ありますが、1189年(文治5年)義経の家臣である鈴木重善が建立した説があります。熊野から平泉の義経のもとに向かう途中、挙母で衣川の戦いで義経が討ち死にしたことを知り、この地に隠れ住んだそうです。やがて吉野から「子守明神(吉野水分神社)」を勧請し挙母神社の創建になりました。

「熊野の鈴木」でピーンときたあなた!ピンポン、そうです。熊野が発祥の地であるあの鈴木氏です。本家の鈴木重家は衣川の戦いで義経とともに討死にしています。この重家の叔父が重善で重家が幼い時は預けられて面倒をみていました。自身も平泉に向かっていましたが病気がちで義経の訃報から、そのまま三河に土着し三河鈴木氏の祖となりました。

豊田市駅からちょっと歩いた街中にあり、近くには桜城址公園があります。

龍潭寺

龍潭寺

大河ドラマ「おんな城主 直虎」でよく出てきた龍潭寺です。住職の南渓和尚(小林薫)が直虎(柴咲コウ)を小さな時から支えていました。井伊家の菩提寺だったので元祖から井伊直政までの墓が境内にあります。後に彦根に移りましたので井伊家の墓は彦根市の清凉寺、近江市の永源寺、また東京都世田谷区の豪徳寺(招き猫で有名)の三箇所にあります。

■南北朝の舞台 井伊谷宮
龍潭寺の横にあるのが井伊谷宮で宗良親王(むねながしんのう)を祀っています。宗良親王は後醍醐天皇の皇子ですが、皇子といいながら戦の最前線にいました。南朝が落ち目になった時、伊勢から陸奥へ船で目指しますが、暴風雨で遠江に漂着し、井伊を頼ります。やがて井伊が北朝に攻められると信濃に移ります。

「おんな城主 直虎」では今川氏から派遣された検地奉行(木村祐一)が隠田(年貢の徴収を免れるために密かに耕作している水田)を見つけた時に「ここはかつて、南朝の御子様が隠れてお住まいになられていた里でございます。故に、井伊の領地にありながら、井伊の領地にあらずという扱いでございます」と返答するシーンがでてきました。「おお!宗良親王のことじゃないか!」とドラマを見ながら感激したものです。

井伊家の井戸

井伊家の井戸

浜松駅から三方ヶ原を横断し、気賀へ行った目的はもちろん井伊谷です!

気賀駅でレンターサイクルを借て20分ほど走れば井伊谷へ到着。大河ドラマ「井伊直虎」の舞台で、彦根藩・井伊家の故郷ですね。彦根藩といえば「井」と書かれた真っ赤な旗印が有名ですが、旗印のもとになったのが
井伊谷にある井戸の井桁です。井伊家初代が生まれたといわれる井戸で、井伊谷に移った時に本貫として井伊と名乗るようになりました。

井伊家は徳川四天王である井伊直政の時に彦根に移りますが、井伊家の聖地として彦根藩主が繰り返し井伊谷の井戸を整備し、今に残っています。大河ドラマでは山の中にある雰囲気ですが、田んぼの中にポツンとあります。

気賀関所

気賀関所

東海道は海岸沿いを進みますが、浜名湖が1498年の明応地震で外海とつながってしまいましたので「今切の渡し」を船で渡らないといけません。「今切の渡し」近くには新居関所がつくられました。

「今切の渡し」を避ける浜名湖を大回りする本坂通(ほんさかどおり)があります。女性や大名の利用が多かったことから姫街道とも呼ばれています。こちらには気賀関所ができ冠木門などが復元されています。ただし本来の場所ではなく実際にあったのは気賀宿の東側でした。1729年に清国の商人が京都で天皇に象を見せ、江戸の吉宗に見せる途中に気賀宿に宿泊しましたが大騒ぎだったのでしょうね。

シン・ハママツ計画

シン・ハママツ計画

浜松城の隣にある浜松市役所へ行くとロビーにエヴァンゲリオンの立像が立ってました。めちゃくちゃでかい!

シン・エヴァンゲリオン劇場版に登場する「第3村」のモデルが天竜二俣駅(信玄が攻めた二俣城跡があるところだあ!)なんだそうで、シン・ハママツ計画という遠州鉄道や天竜浜名湖鉄道を巻き込んだイベントを来年2月末までやるそうです。そういえば、浜松城にもパネルが展示されていました。