名古屋名物と言えば道路幅が100m以上もある100m道路。若宮大通と久屋大通の2本あります。
名古屋市新事業支援センターが入っている吹上ホールの前を走っているのが若宮大通。一度の信号では対岸に渡れません。時々、ダッシュして渡る人を見かけます。この若宮大通の名前の由来になったのが若宮八幡社。
めちゃくちゃ古い神社で、武内宿禰などを祭っています。もともとは那古野城(名古屋城)の近くにあったのですが家康が現在地に移して、名古屋総鎮守としました。つまり名古屋の守り神さんです。名古屋で仕事や住むなら熱田神宮と若宮八幡社ははずせませんね。
昔、境内には200歳を超える狐夫婦が住んでいたそうです。この狐の家用に洞穴を用意して祠を建てたのが連理稲荷。2本の木の枝が連なる連理木があるそうで、縁結びのパワースポットになっています。
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世界の山ちゃん
津で建設業なんでも相談会を行ってから名古屋へ移動。
名古屋名物「世界の山ちゃん」へ。名古屋はよく来ていますが、入ったのは初めてです。まずは生ビールを頼もうとしたら、メニューに銀河高原ビールがあるじゃないですかあ!
地ビールブームの頃はいろんな店に置かれていたんですが、鮮度が短いので。最近、扱っている酒屋がほんとんどない中、なんと生ビールがありました。迷わず、大ジョッキーを注文。久しぶりの銀河高原ビールでした。おいしかった!
ビールのあてには定番の幻の手羽先を頼みましたが、これはメニューにある通り辛いですねえ。個人的にはもうちょっとコショウ抑え目でもよさそうです。味噌カツやらなんやら頼んで純米酒まで飲んでいたので、けっこう会計は高め。名古屋への出張族などが狙えるので、この値付けのいいんでしょうね。
2分間隔で電車が来る東山線
名古屋市新事業支援センターへ行くのに近鉄名古屋駅で降りて、地下鉄・桜通線に乗り換えています。今日は朝から名古屋大学の研究室へ行く用事があったので近鉄を降りて、桜通線への連絡口ではなく東山線へ。
朝の地下鉄東山線・名古屋駅って行ったことがなかったのですが、めちゃくちゃ混雑しています。改札の前に行列ができているのにまずビックリ。改札の先がつまっていて、行列はずっと続きホームに降りる階段もずっと行列です。ただし地下鉄は2分間隔で走っているので、そう待たずにホームに降りることができました。
この2分間隔は東山線全区間で、この短さは日本一なんだそうです。東京のメトロ丸ノ内線は1分50秒間隔ですが、これは一部区間になります。東山線って、めちゃくちゃすごいダイヤなんですね。あれほどの行列でしたが車内は御堂筋線のようにギュウギュウではなく、少しゆったりしています。すぐに電車が来ることもあって、一杯になりそうになると待つ乗客が多いことが影響しているようです。
東山線の本山駅で乗りかえて、環状線のように1周している名城線へ。一駅乗ると名古屋大学という駅です。ここの3号出口は名古屋大学キャンパスに直結。濡れずに大学構内に入れます。
駅から大学まで学生街が広がるというのが定番なんですが、3番出口にそんな風情はありませんねえ。
断夫山古墳(熱田神宮)
熱田神宮のすぐ近くに熱田公園があり、公園の中には熱田球場があります。公園にはこんもりとした森になっているところがあり、これが東海地域最大の前方後円墳「断夫山古墳」。6世紀初頭に築造されたと言われています。
先日、行ってみましたが東海地域最大と言いながら全長151メートルほどと、こじんまりした古墳でした。堺の大仙山古墳のように1周2.7kmもあって、1周するだけで息も絶えだえになることはありません。断夫山古墳の外周をまわると、きちんと円や方墳の形が分かり、なかなか見応えがあります。
古墳に葬られているのは、どうも尾張氏の首長であった尾張連草香(おわりのむらじくさか)のようですね。熱田神宮は尾張氏の本拠地で、宮司は代々、尾張氏が勤めていました。
壬申の乱の時には桑名まで来た大海人皇子に協力して、大友皇子を倒すのを手伝いしました。と言言うよりも、尾張氏を当てにして吉野を脱出したのが真相のようです。大海人皇子の乳母は尾張の大海氏の娘で、大海氏は尾張氏の同族です。
昔の熱田神宮と言えば、熱田台地の端にあり、すぐそばが海だったため、断夫山古墳は船から見るよいランドマークになったでしょうね。
源頼朝が生まれたのは名古屋
今日は日曜なので大河ドラマ「平清盛」ですなあ。
あまり知られていませんが源頼朝が誕生したのは名古屋です。
源義朝の正室は藤原季範の娘・由良御前で、この藤原氏は熱田大宮司。熱田神宮の目の前に平安時代、別邸がありました。由良御前は身ごもった後、実家(熱田)へ戻り、ここで源頼朝を産んだそうです。現在は誓願寺というお寺になっています。最寄駅は地下鉄・神宮西駅です。
寺の前に右大将頼朝公誕生舊地の碑があります。頼朝のお父さんふだった源義朝は平治の乱で敗軍の将となり、亡くなったのは尾張国野間(愛知県知多郡美浜町)で裏切りが原因でした。源氏は愛知県と深い縁があるんですね。
源頼朝、織田信長、豊臣秀吉は3人とも名古屋生まれながら、鎌倉、安土、伏見を本拠地にし、名古屋とはあまり縁がないですね。
全国でただひとつ超宗派のお寺 覚王山日泰寺
覚王山日泰寺へ。
名古屋市営地下鉄・東山線の覚王山駅から、参道を上がると覚王山日泰寺です。全国でここだけという超宗派のお寺です。昨日は弘法の日(21日)ですので、参道には屋台があふれていました。
事の発端は明治31年にお釈迦さんの遺骨である仏舎利が発見されたことにさかのぼります。インドで、骨壷が英国の手で発掘され、古代文字を解読したところ本物の仏舎利だったことが判明しました。この仏舎利が、英国からシャム国(現在のタイ王国)へ譲渡されています。
明治33年にこの仏舎利の一部が、シャム国王ラーマ5世から日本へ贈られました。受け取った日本では大騒ぎ。どこかのお寺に収めると、それぞれ宗派があるので角が立ちます。そこで超宗派の寺として仏舎利を安置するために作られたのが覚王山日泰寺です。
日泰寺の泰は仏舎利を贈ったタイ王国をあらわします。また覚王山の覚王とは、釈迦の別名。本堂にはタイ語の扁額がかかっていました。また参道の商店街にはエスニックで個性的なお店が並ぶことで有名です。ただし弘法の日は年配層が多かったですねえ。
尾張の物部氏
午後、名古屋の企業へ専門家派遣へ。午前中に前から気になっていた物部神社へ出かけてきました。物部神社は地下鉄桜通線・車道駅を降りてすぐの所にあります。祭神は物部氏の祖である宇摩志麻遅命。式内社ですので古代からあり、都会の一角によく残りましたね。
またここから歩いてすぐのところに高牟神社があります。JR千種駅のすぐそば。ここは物部氏の集落の一郭で、武器を納めた倉があり、現在の高室神社になっています。高室神社のあたりは常世の草香島(くさかじま)と呼ばれ清泉が湧き出ていました。今も境内に応神天皇に水を献上したと言われる古井が残っています。
私が住んでいる東大阪や八尾も物部の土地で、神社の神様と言うと決まって物部系です。おまけに八尾には大聖勝軍寺という寺があり、ここが物部守屋の稲城址。蘇我馬子、聖徳太子連合軍に敗れた場所で、近くには物部守屋の墓まであります。ほんまかいな(笑)
東大阪や八尾は今は大阪の東部ですが当時は海岸沿いで草香津から神武天皇が攻め入り敗れた場所でもあります。名古屋も古代の平野部は海で、名古屋城から熱田神宮あたりが海岸近くの高台でした。大阪も尾張も物部の土地で、不思議なご縁がありますねえ。
八幡山古墳(鶴舞)
名古屋市新事業支援センターへ行く時、名古屋駅から地下鉄桜通線で吹上駅へ出るのですが、今日は桑名駅からJRに乗ったので名古屋駅で中央線に乗り換え鶴舞駅で下車。
鶴舞公園を抜けて、前から行きたかった八幡山古墳へ行ってきました。東海地方最大の円墳です。古墳というと木々が生い茂っていて、古墳だと分かりにくいんですが八幡山古墳は山の形がよく分かり、また円墳を取り巻く堀もくっきり残っています。戦時中、陸軍が高射砲陣地を造るために周囲の樹木は切ったそうで、それで山の形がよく分かるんですね。
八幡山古墳があるあたりは高台になっていて、住宅地などはかなりの坂になっています。御器所台地と呼ばれ、名古屋城や熱田神宮はこの台地沿いにあります。大阪で言えば四天王寺や難波宮がある上町台地のようなものですね。八幡山古墳以外にもたくさん古墳がありましたが名古屋刑務所を作る時に壊してしまったようです。
古墳周辺にはぐるっと回れるように道がついています。八幡山古墳を見た後に吹上ホールへ行こうとしたら、名古屋の道は東西南北がグチャグチャですので迷ってしまい、近所の人に道を聞いて、ようやく名古屋市新事業支援センターへたどりつきました。
吹上観音
名古屋市新事業支援センターは吹上ホールの5階にあり、目の前は100メートル道路。100メートル道路とは太平洋戦争後の復興計画でできたもので吹上ホールの前を通っているのは若宮大通です。
片道4車線で真ん中には別に高速道路が走っています。道路幅は文字通り100メートルあり、徒歩で横断すると片側車線を通って高速道路の上を歩いている途中で信号が変わります。2回の信号でないと渡れません。
吹上ホールのすぐ近くにあるのが吹上観音。支援センターの皆さんに聞いても誰も知らなかったので、ネットで調べて出かけてきました。
100メートル道路から細い通りを入ったすぐの所にあります。この通りは旧愛知郡道で細い通りですが明治時代にこの辺りにあった愛知郡の村々を結ぶ主要道でした。いわば現在の100メートル道路ですね。
吹上観音は思っていた以上に大きく、中央には千手観音、他には地蔵菩薩、弘法大師像、おもかる地蔵が並んでいました。小塚村の守護仏として文政4(1821)年につくられそうです。地元の方がずっとお参りしているようで、法要の時の写真などが堂内に飾られていました。
吹上観音の目的はもう一つあり、この地にあった古墳の霊を追悼する意味がありました。茶臼山古墳と太郎塚と呼ばれる2つの古墳があったようですが名古屋刑務所を建設する時に古墳をどうも壊してしまったようですね。100メートル道路を作る時に名古屋刑務所が移転され、現在の吹上ホールや吹上公園になっていますので名古屋市新産業支援センターは古墳の上に建っているのかもしれません。
日本一乗るのが難しい名鉄・名古屋駅
名古屋市新事業支援センター、朝から3件の窓口相談があり1日しゃべっておりました。
先日、名古屋市新事業支援センターが行なっている専門家派遣事業の立ち会いで鳴海へ行ってきました。桶狭間の合戦の舞台の一つである鳴海城のあるところです。鳴海は名鉄線の沿線沿いですので、まずは名鉄・名古屋駅へ。
名鉄・名古屋駅は近鉄などと違い、ターミナル駅になっていません。上り下りの線路が2本あるだけです。乗ろうと思う方向にはセントレアへ向かう空港線、知多半島へ向かう路線などいろいろあります。これを一つのホームでさばいていますので大変です。
ホームには青、紫、緑などいろいろな色で書かれた線が少しずつ離れてあり、ここが電車に乗るために並ぶところになります。まず自分が乗る線がどの
色なのか把握しなければなりません。ホームの上に目的地別に色がついているので、この色に並べばよいのですが岡崎など最終目的が書かれていますので、自分
が降りたい駅の先にある駅を把握しておかなければなりません。
ひっきりなしに電車が入ってきますが、連動して色のボードが光るので、これは目的地に行くのかどうなのか瞬時に判断して乗り込みます。けっこう頭を使う路線ですね。名古屋在住でも、たまに名鉄に乗る人は迷うそうです。