お城に一番近い花屋さん

お城と言っても津城なのですが(笑)

国道23号線から津城に入る角(津商工会議所への道)に花屋さんができました。この3月まで三重県産業支援センターに業務補助で来ていた女性で、まだできたばっかりです。

 

三重県産業支援センターでは経営支援チームのホームページ作りなどを担当しておりネットにも強く、いなくなった途端に雑用などがこっちへ回ってきています。困ったものだ。(笑)

さて本職は庭の設計ですので、津近辺でご用命があれば、ぜひお願いします。それにしても女性はほんまに元気ですね!

月・火は定休日です!

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吉田松陰が泊まった立町

今日の夕方は立町商店街のお店の相談に
立町商店街は津の中心市街地にあり、近くには日本三大観音と言われる津観音があります。かっては商店街の道が東海道でした。
相談が終わって、実家に戻ってからZTV(ケーブルテレビ)を見ていたら「あのつアカデミー」と言うのをやっていました。「あのつ」とは安濃津のことで、津の古い名前です。
江戸時代の参宮街道についてのお話でしたが、藤堂高虎が伊賀から津まで整備した伊賀街道を通って吉田松陰が津へやってきました。目的は津の漢学者・斎藤拙堂に会うためで、それはけっこう有名な話なんですが、泊まった宿が、立町だったそうです。
立町は今は商店街になっていますが、江戸時代には旅籠が並んでいたんですねえ。郷土の事ながら知らなかったなあ。

影清って、あの影清!

三重県産業支援センターのすぐ近くにある四天王寺(聖徳太子が建立したと言われ、境内には信長のお母さんのお墓があります。)に碑があるのを見つけました。

松のすぐ近くにある碑で「平影清鎧掛松」と書かれていました。影清ってあの落語に出てくる「影清」!

影清は盲目の人が願をかけて百日参詣することにより影清の目を神様からレンタルしてもらえるという話。平影清は平家が滅んで源氏が栄える世を見たくないと自らの目をえぐった武将ということ設定に落語ではなっています。

影清は伊勢平氏ですので、そら津に史跡があってもおかしくはないんですが

AllAbouにはちゃんと「落語」ガイドもいらっしゃるんですね!

紀伊長島で瞬停(瞬電)

今日は大阪から近鉄、JRを乗り継いで三重県の南の紀伊長島へ

松阪駅でJRに乗り換えたら関西線で故障があったそうで15分遅れで列車が入ってきました。結局、紀伊長島駅へは20分遅れで到着。

「まずいなあ、待ち合わせ時間を過ぎてしまったな」と駅から会社に向かって歩いていると、後ろから「水谷さん!」という声が。偶然社長の奥さんの車が通りかかったので、便乗させてもらいました。ラッキー。

午前中から夕方にかけて、経営についてのご相談。さて、そろそろ帰ろうかなと思うと窓の外に稲光が。

そのうち蛍光灯が一瞬消えて、またたきました。瞬停(瞬電)です。そしたら事務室で、「ワードで文章を入れていたのに!」と叫び声が。瞬停(瞬電)で、デスクトップが無常にも再起動になっていました。(笑)

帰るまでに4回ほど瞬停(瞬電)が起こりました。さすがに東紀州は雷もすさまじいですね。

「まもなく雷シーズン 準備は万全ですか!」

 

 
結局、雨が続いていたので帰りは社長さんに駅まで送ってもらい多気経由でJRで帰ってきました。朝はあんなに晴れていたのに。

 

※紀伊長島は屋久島に次いで雨の多い尾鷲の隣です。

津駅前のレンタルオフィス

昨日は伊勢商工会議所へ行く前に津駅前で新しくレンタルオフィスを始めたオンリーワンスペースに寄っておりました。
もともとは花婿教室や出会い事業を考えて創業されたのですが、事務所を借りようとすると大きなスペースしかありません。机1個と打ち合わせスペースがあればいいのにと探したのですが都会のようなレンタルオフィスは三重県内にありませんでした。
きっと自分と同じように困っている人がいるだろうということで津駅前の第一ビルの一室を借りてレンタルオフィスをオープンしました。8月8日に机などを搬入しますので、まだ部屋が出来ただけの状況です。
津駅前から徒歩0分と言いますか、ビルの入口まで3秒です。(笑)ビルの1階には本屋がありますし、駅前なんでコンビニや銀行など便利なところですね。
一番便利なのは地下に居酒屋さんが3軒ほどあることで、ビルを出ずに飲みにいけます。(笑)また、この居酒屋さんの刺身などがおいしくって伊賀の銘酒「若戎」などを揃えており、たまりませんなあ(笑)
今度はぜひ夕方にのぞきに行こう!

道の駅「阿山」で醤油を

津の実家を出る時、「今日は、どっか行くの?」と母親が聞くので
「午後は伊賀の予定」と答えると 、「あのあたりに何か有名な醤油があるようね」と重ねて質問が
「そら、はさめず醤油だろう、でも場所は奈良との県境にある島ヶ原だが」 というやりとりが
今日は佐那具(伊賀)の企業さんへ専門家派遣の事前ヒアリングに担当者と行ってきました。少し早めに着きすぎたので、時間つぶしに道の駅「阿山」へ寄ってきました。
そしたら、あるじゃないですか、はさめず醤油が!
でも買うと重いしな、と思いましたが結局、買ってしまいました。企業さんへは醤油を入れた鞄を持って行ってきました。
ブログのタイトルは「ティファニーで朝食を」もじったのですが、全然違いますなあ(笑)

♪私が訪ねた上野市(うえのまち)

♪くわ町、かや町、広小路、もすこし揺られて上野まち♪
昔、西岡たかしの歌で有名になった伊賀上野です。企業さん巡りで行ってきました。
近鉄・伊賀神戸駅で2両編成の電車に乗り換えて、上野市(うえのまち)を目指します。松本零士デザインの有名な電車でもあります。
上野の町が見えると桑町、茅町、広小路と住宅街の中を通り抜けながら止まっていきます。歌の通りですね。広小路の次が上野市(うえのまち)駅です。
久しぶりに行くと駅舎の中が変わっていました。帰りは上野市駅から伊賀上野へ出て、関西線で帰ってきました。 こっちのコースも鄙びて、いいですね。
おみやげに伊賀上野の銘菓、丁稚ようかん(桃青庵ふじさき)を買ってきました。甘くなくていいですね。酒のあてにして食べています。(笑)

大入道

昼から四日市へ出てIT窓口相談
今日のお昼は若鯱亭(チェーン店)のカレーうどん定食、ここのカレーうどんはちょっとクセになる味ですね。
四日市駅前の諏訪商店街の中にちょうど昔の東海道が走っており、そこに首が伸びたり縮んだりする大きな人形が置いてありました。 この人形はすぐ近くに諏訪神社があり、ここの祭礼が四日市祭で使われています。
四日市祭では京都の祇園祭のように各町内から山車が出ますが、この人形は中納屋町の「大入道」です。山車が動きながら首が伸びたり縮んだりします。他にも鯨船やカラクリなど と言いながら、まだ四日市祭を見たことがないんです(笑)

岩田の戦いで亡くなった北畠満雅(津市)

津は朝からずっと雨ですね。
実家のすぐ近くですが阿漕駅(津市)近くに「北畠満雅卿忠烈遺跡」と書かれた石柱があります。この一帯で南北朝の戦いが行われました。石柱の横には祠もありますが、そんなことがあったとは知らない人がほとんどでしょうね。
昔、日本史で習いましたが北朝方が「両統迭立」を提唱して南朝方と和解します。まあ南朝方がうぶいといいますか、結局は北朝方にだまされます。怒った伊勢国司・北畠満雅が南朝最後の天皇・後亀山上皇とその皇子を奉じて挙兵します。初戦で北畠方は破れ、阿坂城に籠城、結局包囲した足利軍と和議になりました。
和議の条件は次こそ南朝から天皇を出すという誓約でしたが、これも反故に。ほんまに甘いですね。そこで北畠満雅は再度挙兵をします。津に百五銀行本店がありますがその横を流れるのが岩田川です。この岩田川で北朝方と決戦となりました。(岩田の戦い)。結局、北畠満雅は壮絶な敗死を遂げ、これが南朝最後の大きな戦いとなりました。津は結城神社(結城宗弘)など南朝ゆかりの土地ですね。

七夕飾り

津市の中心市街地である丸の内を歩いていると、七夕の飾り付けがずらっと並んでいました。なかなか壮観ですね。
このあたりはちょうど藤堂藩の藩校である有造館があったところです。今は建物はなく津城の公園に有造館の門【入徳門】だけが現存しています。また昔はジャスコがあり、よく買物に行きましたが、これもなくなってしまい今は駐車場になっています。