津駅周辺は吹雪に

朝起きたら雪が積もっていました。

積もっているといっても雪国と比べたら、そう大したことがないのですが、あんまり雪の降らない地域なので交通の方は大変な状態に。

幹線道路の国道23号線は大渋滞。バスも満員ですね。歩いて行っていますが、バスよりも早かった。(笑)

渋滞の車の列を横目に快適に歩いてくると急に吹雪状態に。雪でまっしろになってしまいました。

福引せんべい-節分に

日本三大観音をご存知ですか?

東京の浅草観音、名古屋の大須観音、そして津の津観音です。けっこう歴史のある観音さんでしたが、戦災で焼けてしまいました。今は復興されています。

津観音の門前に平治煎餅というお店があるのですが、ここが節分シーズンになると福引せんべいというのを販売しています。厄除け・開運の縁起菓子です。

煎餅といってもひらっべったい煎餅ではなく、立体になっています。大きく平べったい煎餅を、まだ熱いうちに職人さんが折り曲げて、三角立体にしま す。昭和初期の頃から、津観音・節分会の名物菓子として複数の菓子店で売られていましたたが、現在は、津の平治煎餅と松坂阪市の菓子店だけでしか作ってい ません、

大・中・小とあって、大は60cmもあります。

小(700円)を買ってきて、割らないようにと大阪まで持って帰ってきました。さっそく息子にたたかすと粉々になった煎餅の中から縁起物が出てきます。私が子供の時はこの縁起物がグリコのおまけのようでワクワクしたものです。
もっとも、うちの息子の場合は「何やこれ」の一言で終わりでした。だから縁起物だって!

奥田兄弟・深蒸し茶の故郷 飯高へ

お茶と言えば宇治、静岡が有名ですが、三重も茶の生産地として有名で生産量は全国3位になっています。

松阪からずっと山の方へ入っていくとやがて櫛田川沿いに走る道になりますが、峡谷のような風景がひらけ、まわりは茶畑だらけでになります。ここらあたりが飯高で、深蒸し茶の故郷です。

深蒸し茶とは摘んできたお茶の葉を蒸気で蒸す時、普通の煎茶の約2~3倍の時間をかけて作られるお茶のことです。

日経ビジネスの最新号にJ・フロントリテイリング(大丸&松坂屋)の奥田社長の記事が出ていました。トヨタ会長の奥田氏と兄弟で津の生ま れですが、二人とも戦争で祖母の里である飯高・上蛸路に疎開していたんですね。津の実家が空襲で焼けてしまったため、10代半ばまで飯高ですごしたそう で、よくホタル採りをしていたそうです。

さて、飯高の深緑茶房へ寄ってきました。ここには緑茶喫茶があり、お茶の入った急須と砂時計が出てきます。この砂時計の砂が落ちた時がちょうど飲 み時になります。庭園も見えるし落ち着いた店内で、癒されますね。

そうそう天皇杯も授賞されているお店です。あれってトロフィーとか受け取って店に飾った 後、皇居に返しに行かないといけない賞なんですね。

さて松阪まで戻るとちょうどお昼時でした。まさか和田金なんか絶対に入れませんので、すぐ近くにある不二屋で五目焼きそばを食べてきました。なか なかボリュームがあって好きなんですが、今日は卵が別に出てきて、上に少し窪みを作って入れてくださいとのことでした。なんかチキンラーメンのような食べ 方で、いつ変わったのかなあ。

伊勢商工会議所にテレビ局が

金曜は朝から伊勢へ

夕方、伊勢商工会議所へ寄るとCBCなど数台の報道車がとまっていました。テレビクルーもたくさん出入りしており、なんか騒然としていました。聞くと商工会議所で赤福会長の記者会見があったそうです。職員も、「今日は大変だった」ということで、そらそうでしょうね。

帰りに宇治山田駅に向かうと駅前にカメラをかまえたテレビクルーが、「ちょっといいですか?」とマイクを差し向けてきました。

どうも私が得意とする「サブプライムローンがWeb2.0に与える影響は?」というような質問ではないのは明白ですので、「大阪へ帰るので急いでいます」と振り切ってきました。(笑)

シャープのカメヤマ工場

今日は雨の中を亀山の企業さんへ

ついでにシャープのカメヤマ工場を見てきました。と言いましても、ガードが固く中へは入れませんので外から見るだけです。(笑)多気工場と同じぐらい大きいですね。

大阪のジョーシンへ液晶テレビを買いに行ったら、「これがカメヤマ・モデル」です」と店員に言われ、「亀山がどうしたんじゃい!」と思ったのですが、カメヤマがすっかりブランドになっていますね。もっとも、そのうちサカイ・モデルになってしまいそうですが。

そうそう亀山の隣の関に工場を持っていた大阪の会社があったのですが、工場名を亀山工場に変更したそうです。(笑)

伊勢の姫路城

伊勢へ行ってきました。

ついでに姫路城に寄ってきました。自宅の庭で1/23スケールで姫路城をせっせと作っている人がいて、よくテレビや新聞に登場しています。

実際に見てみると大きいですね。自宅の裏は田園地帯で、山が見え、これがうまく城の借景になっています。といいますか、そういう場所を考えて自宅 を作ったそうです。姫路城には本丸を防衛するため、いろは順に名づけられた門があるのですが、それも復元されていました。芸が細かい。
堀にはコイが泳いでいるし、二の丸、三の丸まで作られ御殿も復元され、かなり広大です。

雨の亀山へ

JRに乗って亀山駅へ

シャープで有名になった亀山ですが、駅前は特に何もありません。駅前から急な丘になっており登ると昔の東海道が走っています。城下町の雰囲気も残っており、亀山の次の宿場が関宿、関から険しい鈴鹿峠を越えると滋賀の土山に入ります。

液晶テレビを買いにいったら、「これは亀山モデルですから!」と店員さんに言われますが、三重県人にとっては亀山と言われても(笑)

亀山駅前で昼飯を食べて、タクシーに乗ろうとするとタクシー乗り場にタクシーがいません。

雨で使う人が多いんでしょうね。仕方がないので5分ほど待ちました。企業からの帰りに乗ったタクシーの運転手の話によると今日はシャープでイベントがあったそうです。

普段は朝、夕しか運行していない三重交通のシャープ行きバスが今日は1時間おきに運行しているそうです。ただ待てないお客さんはタクシーを使うということで、今日はフル回転状態に。

亀山駅からは関、柘植を越えてJR関西線で帰

近鉄の駅から赤福が消えた!

朝、支援センターへ行くと「赤福」の話題ばかり。伊勢と言えば赤福ですし、全国的にも有名な企業ですからね。

昼から企業周りに。
近鉄電車で行きましたので、赤福も当分食べられなくなるかもしれないと売店をのぞきましたがやっぱり撤去されていました。

赤福餅の餅と漉し餡の組み合わせは、この地域に昔からあった餅で昔は多くの店で売られていましたが今、残っているのは赤福餅と御福餅です。

こりゃ、二見まで行って御福餅を買うしかないですね。ここの小豆をカチンカチンに凍らせた御福マックはなかなかいけますよ。

静御前の生誕地(伊勢)

企業相談で伊勢へ
伊勢の入口にあるのが宮川です。けっこう大きな川で伊勢へお参りに行くにはこの川を越えねばなりません。昔は渡しがありました。
伊勢へ行ったついでに新道商店街にある「いせTMO(伊勢タウンマネージメント協議会」へ寄ってきました。昔の商店街の話(新道商店街は元遊郭だったことなど)の他に、倭姫命の話題に。伊勢らしいですなあ(笑)
宮川の下流に磯町という町があるのですが、ここが倭姫命が伊勢神宮を決める前に巡行した伊蘇宮のあったところで、現在は磯神社が残っています。この神社に静の井戸というのがあり、静御前(義経の奥さん)が生まれたという伝承があるそうです。本当かいな?
もう一つ聞いた話が磯町と御園町が飛び地のように宮川の両側にあります。これは江戸時代の地震の影響で現在の宮川ができて町が切り裂かれたからなんだそうです。本当かいな?

藤堂高虎入府400年(津市)

藤堂高虎が津に入府して来年で400年になります。
津の百貨店、松菱へ行くと手作りで作られた高虎の甲冑が展示されていました。遠くからもはっきりわかる兜ですね。
「武士たるもの七度主君を変えねば武士とは言えぬ」藤堂高虎の言葉が残っていますが、今の外資系ビジネスマンのようなバリバリの人物だったのでしょうね。義理人情に厚かったようで関ヶ原合戦の後に捕まった石田三成に他の武将が罵声を浴びせる中、勝負は時の運と陣羽織をかけた話が残っています。また「出世払い」という言葉は高虎が語源です。
■出世払い
藤堂高虎が浪人していた頃、吉田(豊橋市)あたりを放浪していた時に餅屋で無銭飲食してしまいましたが、店主に旅費までめぐんでもらい助けてもら いました。後に津藩の藩主となり江戸に向かう途中、この餅屋で行列を止め、お礼をして家臣一同に餅をふるまったそうで、これが「出世払い」の語源になりました。
■上野は伊賀上野が語源
東京の上野はもともとは忍岡と言っておりましたが、伊賀と伊勢の藩主である藤堂藩の藩屋敷があり伊賀上野の丘によく似ていることから上野の地名がついたそうです。
■東郷平八郎と連合艦隊が津へ
日露戦争の日本海海戦の後に津へ寄ったという話があり、最初は海軍のあった佐賀の三重津造船所と思っていたのですが、津だったんですね。
1905年10月13日に東郷平八郎が連合艦隊を率いて津を訪れています。これは藤堂高虎を崇拝する東郷平八郎が水軍司令で有名な高虎が津へ入府する故事を再現したパフォーマンスだったそうです。また伊勢神宮に戦勝報告したそうです。