雨の亀山へ

JRに乗って亀山駅へ

シャープで有名になった亀山ですが、駅前は特に何もありません。駅前から急な丘になっており登ると昔の東海道が走っています。城下町の雰囲気も残っており、亀山の次の宿場が関宿、関から険しい鈴鹿峠を越えると滋賀の土山に入ります。

液晶テレビを買いにいったら、「これは亀山モデルですから!」と店員さんに言われますが、三重県人にとっては亀山と言われても(笑)

亀山駅前で昼飯を食べて、タクシーに乗ろうとするとタクシー乗り場にタクシーがいません。

雨で使う人が多いんでしょうね。仕方がないので5分ほど待ちました。企業からの帰りに乗ったタクシーの運転手の話によると今日はシャープでイベントがあったそうです。

普段は朝、夕しか運行していない三重交通のシャープ行きバスが今日は1時間おきに運行しているそうです。ただ待てないお客さんはタクシーを使うということで、今日はフル回転状態に。

亀山駅からは関、柘植を越えてJR関西線で帰

近鉄の駅から赤福が消えた!

朝、支援センターへ行くと「赤福」の話題ばかり。伊勢と言えば赤福ですし、全国的にも有名な企業ですからね。

昼から企業周りに。
近鉄電車で行きましたので、赤福も当分食べられなくなるかもしれないと売店をのぞきましたがやっぱり撤去されていました。

赤福餅の餅と漉し餡の組み合わせは、この地域に昔からあった餅で昔は多くの店で売られていましたが今、残っているのは赤福餅と御福餅です。

こりゃ、二見まで行って御福餅を買うしかないですね。ここの小豆をカチンカチンに凍らせた御福マックはなかなかいけますよ。

静御前の生誕地(伊勢)

企業相談で伊勢へ
伊勢の入口にあるのが宮川です。けっこう大きな川で伊勢へお参りに行くにはこの川を越えねばなりません。昔は渡しがありました。
伊勢へ行ったついでに新道商店街にある「いせTMO(伊勢タウンマネージメント協議会」へ寄ってきました。昔の商店街の話(新道商店街は元遊郭だったことなど)の他に、倭姫命の話題に。伊勢らしいですなあ(笑)
宮川の下流に磯町という町があるのですが、ここが倭姫命が伊勢神宮を決める前に巡行した伊蘇宮のあったところで、現在は磯神社が残っています。この神社に静の井戸というのがあり、静御前(義経の奥さん)が生まれたという伝承があるそうです。本当かいな?
もう一つ聞いた話が磯町と御園町が飛び地のように宮川の両側にあります。これは江戸時代の地震の影響で現在の宮川ができて町が切り裂かれたからなんだそうです。本当かいな?

藤堂高虎入府400年(津市)

藤堂高虎が津に入府して来年で400年になります。
津の百貨店、松菱へ行くと手作りで作られた高虎の甲冑が展示されていました。遠くからもはっきりわかる兜ですね。
「武士たるもの七度主君を変えねば武士とは言えぬ」藤堂高虎の言葉が残っていますが、今の外資系ビジネスマンのようなバリバリの人物だったのでしょうね。義理人情に厚かったようで関ヶ原合戦の後に捕まった石田三成に他の武将が罵声を浴びせる中、勝負は時の運と陣羽織をかけた話が残っています。また「出世払い」という言葉は高虎が語源です。
■出世払い
藤堂高虎が浪人していた頃、吉田(豊橋市)あたりを放浪していた時に餅屋で無銭飲食してしまいましたが、店主に旅費までめぐんでもらい助けてもら いました。後に津藩の藩主となり江戸に向かう途中、この餅屋で行列を止め、お礼をして家臣一同に餅をふるまったそうで、これが「出世払い」の語源になりました。
■上野は伊賀上野が語源
東京の上野はもともとは忍岡と言っておりましたが、伊賀と伊勢の藩主である藤堂藩の藩屋敷があり伊賀上野の丘によく似ていることから上野の地名がついたそうです。
■東郷平八郎と連合艦隊が津へ
日露戦争の日本海海戦の後に津へ寄ったという話があり、最初は海軍のあった佐賀の三重津造船所と思っていたのですが、津だったんですね。
1905年10月13日に東郷平八郎が連合艦隊を率いて津を訪れています。これは藤堂高虎を崇拝する東郷平八郎が水軍司令で有名な高虎が津へ入府する故事を再現したパフォーマンスだったそうです。また伊勢神宮に戦勝報告したそうです。

お城に一番近い花屋さん

お城と言っても津城なのですが(笑)

国道23号線から津城に入る角(津商工会議所への道)に花屋さんができました。この3月まで三重県産業支援センターに業務補助で来ていた女性で、まだできたばっかりです。

 

三重県産業支援センターでは経営支援チームのホームページ作りなどを担当しておりネットにも強く、いなくなった途端に雑用などがこっちへ回ってきています。困ったものだ。(笑)

さて本職は庭の設計ですので、津近辺でご用命があれば、ぜひお願いします。それにしても女性はほんまに元気ですね!

月・火は定休日です!

→ Tspace/

吉田松陰が泊まった立町

今日の夕方は立町商店街のお店の相談に
立町商店街は津の中心市街地にあり、近くには日本三大観音と言われる津観音があります。かっては商店街の道が東海道でした。
相談が終わって、実家に戻ってからZTV(ケーブルテレビ)を見ていたら「あのつアカデミー」と言うのをやっていました。「あのつ」とは安濃津のことで、津の古い名前です。
江戸時代の参宮街道についてのお話でしたが、藤堂高虎が伊賀から津まで整備した伊賀街道を通って吉田松陰が津へやってきました。目的は津の漢学者・斎藤拙堂に会うためで、それはけっこう有名な話なんですが、泊まった宿が、立町だったそうです。
立町は今は商店街になっていますが、江戸時代には旅籠が並んでいたんですねえ。郷土の事ながら知らなかったなあ。

影清って、あの影清!

三重県産業支援センターのすぐ近くにある四天王寺(聖徳太子が建立したと言われ、境内には信長のお母さんのお墓があります。)に碑があるのを見つけました。

松のすぐ近くにある碑で「平影清鎧掛松」と書かれていました。影清ってあの落語に出てくる「影清」!

影清は盲目の人が願をかけて百日参詣することにより影清の目を神様からレンタルしてもらえるという話。平影清は平家が滅んで源氏が栄える世を見たくないと自らの目をえぐった武将ということ設定に落語ではなっています。

影清は伊勢平氏ですので、そら津に史跡があってもおかしくはないんですが

AllAbouにはちゃんと「落語」ガイドもいらっしゃるんですね!

紀伊長島で瞬停(瞬電)

今日は大阪から近鉄、JRを乗り継いで三重県の南の紀伊長島へ

松阪駅でJRに乗り換えたら関西線で故障があったそうで15分遅れで列車が入ってきました。結局、紀伊長島駅へは20分遅れで到着。

「まずいなあ、待ち合わせ時間を過ぎてしまったな」と駅から会社に向かって歩いていると、後ろから「水谷さん!」という声が。偶然社長の奥さんの車が通りかかったので、便乗させてもらいました。ラッキー。

午前中から夕方にかけて、経営についてのご相談。さて、そろそろ帰ろうかなと思うと窓の外に稲光が。

そのうち蛍光灯が一瞬消えて、またたきました。瞬停(瞬電)です。そしたら事務室で、「ワードで文章を入れていたのに!」と叫び声が。瞬停(瞬電)で、デスクトップが無常にも再起動になっていました。(笑)

帰るまでに4回ほど瞬停(瞬電)が起こりました。さすがに東紀州は雷もすさまじいですね。

「まもなく雷シーズン 準備は万全ですか!」

 

 
結局、雨が続いていたので帰りは社長さんに駅まで送ってもらい多気経由でJRで帰ってきました。朝はあんなに晴れていたのに。

 

※紀伊長島は屋久島に次いで雨の多い尾鷲の隣です。

津駅前のレンタルオフィス

昨日は伊勢商工会議所へ行く前に津駅前で新しくレンタルオフィスを始めたオンリーワンスペースに寄っておりました。
もともとは花婿教室や出会い事業を考えて創業されたのですが、事務所を借りようとすると大きなスペースしかありません。机1個と打ち合わせスペースがあればいいのにと探したのですが都会のようなレンタルオフィスは三重県内にありませんでした。
きっと自分と同じように困っている人がいるだろうということで津駅前の第一ビルの一室を借りてレンタルオフィスをオープンしました。8月8日に机などを搬入しますので、まだ部屋が出来ただけの状況です。
津駅前から徒歩0分と言いますか、ビルの入口まで3秒です。(笑)ビルの1階には本屋がありますし、駅前なんでコンビニや銀行など便利なところですね。
一番便利なのは地下に居酒屋さんが3軒ほどあることで、ビルを出ずに飲みにいけます。(笑)また、この居酒屋さんの刺身などがおいしくって伊賀の銘酒「若戎」などを揃えており、たまりませんなあ(笑)
今度はぜひ夕方にのぞきに行こう!

道の駅「阿山」で醤油を

津の実家を出る時、「今日は、どっか行くの?」と母親が聞くので
「午後は伊賀の予定」と答えると 、「あのあたりに何か有名な醤油があるようね」と重ねて質問が
「そら、はさめず醤油だろう、でも場所は奈良との県境にある島ヶ原だが」 というやりとりが
今日は佐那具(伊賀)の企業さんへ専門家派遣の事前ヒアリングに担当者と行ってきました。少し早めに着きすぎたので、時間つぶしに道の駅「阿山」へ寄ってきました。
そしたら、あるじゃないですか、はさめず醤油が!
でも買うと重いしな、と思いましたが結局、買ってしまいました。企業さんへは醤油を入れた鞄を持って行ってきました。
ブログのタイトルは「ティファニーで朝食を」もじったのですが、全然違いますなあ(笑)