現在とは参拝ルートが違った内宮

御手洗場
伊勢へ専門家派遣に行っていましたので、久しぶりに内宮まで足をのばしました。
平日だというのに、すごい人ですね。おかげ横丁も一杯の人でした。内宮では五十鈴川の御手洗場で手を浄めるのですが、昨日の豪雨(台風15号)の影響で五十鈴川が増水しているため立入禁止になっていました。
内宮の参拝ルートと言えば宇治橋を渡って右に折れて、次に御手洗場で左に折れて正宮に向かうコースになっていますが、直線にはなっていません。どうも昔は違っていたようで、本来は御手洗場の対岸から、五十鈴川を歩いて渡って、これが禊(みそぎ)となり、そのまま、まっすぐ正宮に行くのが本来の参拝ルートだったようです。
御手洗場はもともと五十鈴川の水の神様を祭ったところで、滝祭神の祠が今もあります。さすがにこんな所までお参りにくる人は少ないですね。
滝祭神→風日祈宮→正宮→荒祭宮→子安神社→大山祇神社と巡ってきました。皆、内宮にあり産土神も祭っています。ついでに月讀宮も巡って、五十鈴川駅から帰ってきました。

津商業高校 甲子園出場

津商業高校
津のアチコチに貼ってあるのが「祝 津商業高校 甲子園出場」の文字。
津商業高校の三重大会での優勝は初めてではなく、1961(昭和36)年に優勝した経験があり、2回目です。ところが当時は三重県と岐阜県の2県で1校しか甲子園に行くことができず、三重大会のあとの三岐大会で県岐商に破れてしまいました。ですので甲子園出場は今回が初めて。
第一試合で強豪・智弁和歌山に勝ち、2回戦は14日(金)に鳥羽(京都)とあたることになりました。在校生は競技大会などに出ていない限り応援。50台以上のバスをしたてて甲子園を向かうそうです。バス1台のチャーター代が15万円ほどなので50台だと750万円!
在校生はもちろん無料ですが、父兄なども同乗でき確か9,000円ほど。これで往復バス代、弁当代、応援グッズなどがついてくるので、かなりお得です。ただし応援席は試合が終わったら5分で片付けて出ないといけないそうで大変です。違う競技で全国大会に出た部活の先生が、「こっちの応援はバス1台しか出なかったのに、えらい差や!」と言ったとか、言わないとか、地元だといろいろな話が入ってきます。(笑)
高校野球なんで応援席ではダメでしょうが、内野席でビールが飲めるのか議論になったんですが、ネットで調べるとビールもチュウハイも売りにくるそうです。炎天下の甲子園ですので、飲まなきゃやってられないでしょうね。

伊勢鳥羽志摩サミット

伊勢商工会議所
午後は伊勢商工会議所でIT窓口相談。
近鉄・宇治山田駅を降りると伊勢志摩サミット決定という看板がありましたが、伊勢商工会議所前にもありました。サミット会場となる賢島があるのは志摩市。
伊勢志摩サミットとなっていますが、伊勢市と志摩市の間には鳥羽市がありますので、本当は伊勢鳥羽志摩サミット(笑)。このままだと鳥羽市が埋没すると、東京で海女を描いたバスを走らせるなど鳥羽市では知名度アップに今からいろいろと仕掛けをしていくようです。
JR参宮線は鳥羽駅が終点。賢島へ行くには近鉄しかありませんが、鳥羽駅から先は基本的に単線。しかも普通と特急しかなく急行はありません。近鉄・特急は特急券がいるので普通に乗っていくと、なかなか鄙びいていて風情があります。
もともとは志摩電気鉄道というローカル線がスタートで、そこらへんに急勾配や急カーブがあり、特急もあんまりスピードが出ない路線になっています。特に鳥羽駅近くはなかなかすごいですね。そうそう九鬼水軍の居城だった鳥羽城のすぐ横を通っていきます。

夏越の祓

夏越の祓
6月30日。今年も無事に半分が過ぎました。というわけで夏越の祓です。
いつもは地元の枚岡神社へ行くのですが、津にいますので三重県産業支援センターの仕事が終わってから、津城横の高山神社へ行ってきました。津藩の藩祖・藤堂高虎を祭る神社。藤堂高虎の法号が高山なので高山(こうざん)神社という名前になっています。
夕方から、あいにくの雨になっていましたが境内では4名ほどが茅の輪くぐりをしていました。しかも女性ばかり。
傘をたたんで雨に濡れながら3度、8の字をかくように茅の輪をくぐります。これで厄落としも、終了。後半戦、がんばらなくちゃあ。
写真は高山神社ではなく、先日行った伊賀天満宮の茅の輪です。

伊勢の国では、まだまだお木曳が行われています

宇治橋
伊勢神宮の式年遷宮では、木遣り歌を歌いながら台車に乗せた神木を引っぱるお木曳きが行われ、テレビなどで放映されました。
内宮、外宮の式年遷宮は終わりましたが、伊勢の国では、まだまだお木曳きが行われています。行われたのは関宿(亀山)と桑名。
関宿には東海道と伊勢別街道に分かれる東の追分があります。京や近江からお伊勢参りに行くには東の追分で伊勢別街道に入り伊勢を目指します。ここが伊勢神宮への西からの玄関口にあたります。東の追分に建っているのが鳥居。
鳥居の近くには、「これより伊勢へ」「外宮まで15里」と刻まれた石の道標が建っています。式年遷宮の際に、内宮の宇治橋が建て替えられますが、この宇治橋の鳥居の旧材を活用して、東の追分の鳥居が建て替えられます。つまりリサイクル。宇治橋の鳥居も、さらに20年前は内宮正殿の棟持柱でした。
江戸を出て熱田神宮の宮宿から七里の渡しを船で渡り、上陸するのが桑名。ここに伊勢国一の鳥居が建っていて、ここが伊勢へ向かう東側の玄関口になります。この鳥居も宇治橋の鳥居(おはらい町側)のリサイクル。さらに20年前は外宮正殿の棟持柱でした。
つまり棟持柱が20年建つと宇治橋の鳥居になり、さらに20年建つと伊勢への入口のとなる鳥居へリサイクルされます。土曜日に関宿で、日曜日には桑名でお木曳きが行われ、鳥居が建て替えられました。関宿などの旧鳥居はさらに全国の神社などへリサイクルされます。阪神大震災後で神戸の生田神社の鳥居が被災しましたが、この時は関宿の鳥居が使われました。

三重県庁がある吉田山の名前の由来

吉田山
2週間ぶりに三重県産業支援センターへ。
三重県産業支援センターが入居している三重県合同ビルの隣のビルが吉田山会館、三重県庁がある山を吉田山とよんでいますが、この吉田って人の名前だったんですね。
戦国時代に吉田六左衛門重勝という人物がいて、代々、弓術家の家系。近江・六角氏の家来でしたが、主君と争いになり、家伝が絶えることを危惧した父親が重勝に弓術の奥義を授けて京都に移らせました。
吉田重勝は多くの武将と交際し、細川幽斎とは特に親しかったようです。重勝の号は雪荷で、吉田流弓術雪荷派の祖となります。雪荷から免許を受けた武将には、細川幽斎、蒲生氏郷、豊臣秀長・秀次、宇喜多秀家らがいます。
重勝の子供が吉田元直で豊臣秀長(秀吉の弟)に仕え、秀長がなくなると浪人となって京都に在住。吉田元直が浪人していると聞いた藤堂高虎が招き、子孫は代々、藤堂家の弓術師範となります。吉田家は代々、六左衛門を称し、この吉田家に与えた土地が現在の県庁がある土地で、吉田山と呼ばれるようになったそうです。へ~え、家臣の名前が由来だったんですね。
もちろん三重県庁・職員の皆さんは全員がご存知でしょう。

水軍が移り住んだ久留島(津市)

津
津の実家周辺の地名が岩田。今はすっかり住宅地になってしまいました。
岩田は、もともと伊勢神宮の料地であった岩田御厨があった所。御厨とは神の台所という意味で、神饌を調進する場所や神饌を調進するための領地を意味します。
この岩田の一角にあるのが久留島。秀吉の朝鮮出兵では日本水軍の大将が藤堂高虎だったので、村上水軍の一派、来島水軍の将兵の一部が藤堂高虎に従い、そのまま住んだ所だそうです。すぐ近くには伊予町があり、こちらは藤堂高虎の前の領地だった伊予からついてきた町人が移り住んだところ。
そういえば日本海海戦でバルチック艦隊を破った東郷平八郎が戦勝報告を伊勢神宮にするために軍艦を引き連れ、上陸したのが津の港。水軍の大将だった藤堂高虎にあこがれていたようです。阿漕駅から伊勢神宮へ向かいました。
岩田と言えば有名なのが「岩田川の戦い」。伊勢の国司だった北畠の三代目が北畠満雅です。南朝方で、岩田川で足利幕府と戦い、討死してしまいます。これにより北畠氏の勢力が弱まりました。
大阪で住んでいる枚岡も南朝方(楠木正成)が敗れたところですし、いろいろとご縁がありますなあ。

かぎろひ(クラブツーリズム専用の団体列車)

かぎろひ
今日は伊勢の企業まで出張相談。帰りに宇治山田駅に行くと「かぎろひ」がホームに止まっていました。
クラブツーリズム専用の団体列車「かぎろひ」です。2両編成で、年間を通して旅行会社が専用に使う団体列車は「かぎろひ」が国内初です。
クラブツーリズムとは近畿日本ツーリストの社内ベンチャーで生まれた中高年向けの国内外ツアー。ダイレクトマーケティングが特徴で、情報誌「旅の友」の宅配および新聞広告で集客しています。現在は近鉄の子会社になっています。
「かぎろひ」ですが時たま近鉄沿線で見かけることができます。

熊野古道センター

熊野古道センター
今日は三重県産業支援センターの仕事で尾鷲へ。
少し前まで国道42号線をひたすら走って峠をいくつも超えていかなければなりませんでしたが、高速道路が開通し、津からだと1時間少しで到着するようになりました。もっとも車窓はあまり楽しめず基本的にトンネルばっかりです。
IT相談に支援センターの職員と行ってきましたが、企業さんが尾鷲のはずれでしたので熊野古道センターで時間調整をしておました。
尾鷲といえば日本の平均降水量の2倍という雨の多い地域で木がよく育つため尾鷲ヒノキが有名です。そこで熊野古道センターは尾鷲ヒノキ・熊野杉という地場産の材料が使われて、なかなかすごい施設になっています。巡礼の道である熊野古道などを紹介。
熊野古道センターのすぐ横にはバイキングランチをしている「夢古道おわせ」があり、温泉にも入れますので、ぜひ尾鷲へ!

新年会(三重県産業支援センター)

昨晩は津駅近くの「バンブー」という居酒屋さんで新年会。
参加者は三重県産業支援センター内の北端にいるメンバーです。経営支援課の 経営向上班(小規模事業者向け経営革新支援)と新事業支援班(ファンド、創業補助金、設備資金貸付)。
私の机は経営向上班の一角にあります。そうか経営支援課という名前だったんだあ(笑)三重県産業支援センターには週に1回も行っていない状態で、久しぶりに支援センター・メンバーとの飲み会。
飲み放題で、なかなか、おいしい料理でした!