熊野古道センター

熊野古道センター
今日は三重県産業支援センターの仕事で尾鷲へ。
少し前まで国道42号線をひたすら走って峠をいくつも超えていかなければなりませんでしたが、高速道路が開通し、津からだと1時間少しで到着するようになりました。もっとも車窓はあまり楽しめず基本的にトンネルばっかりです。
IT相談に支援センターの職員と行ってきましたが、企業さんが尾鷲のはずれでしたので熊野古道センターで時間調整をしておました。
尾鷲といえば日本の平均降水量の2倍という雨の多い地域で木がよく育つため尾鷲ヒノキが有名です。そこで熊野古道センターは尾鷲ヒノキ・熊野杉という地場産の材料が使われて、なかなかすごい施設になっています。巡礼の道である熊野古道などを紹介。
熊野古道センターのすぐ横にはバイキングランチをしている「夢古道おわせ」があり、温泉にも入れますので、ぜひ尾鷲へ!

新年会(三重県産業支援センター)

昨晩は津駅近くの「バンブー」という居酒屋さんで新年会。
参加者は三重県産業支援センター内の北端にいるメンバーです。経営支援課の 経営向上班(小規模事業者向け経営革新支援)と新事業支援班(ファンド、創業補助金、設備資金貸付)。
私の机は経営向上班の一角にあります。そうか経営支援課という名前だったんだあ(笑)三重県産業支援センターには週に1回も行っていない状態で、久しぶりに支援センター・メンバーとの飲み会。
飲み放題で、なかなか、おいしい料理でした!

名張生まれの江戸川乱歩

江戸川乱歩
「ハッハッハッハッ、明智君」といえば怪人二十面相です。今なら名探偵コナンですね。
明智小五郎、怪盗二十面相、少年探偵団とくれば江戸川乱歩。江戸川乱歩は名張市生まれで、生家跡は商店街から細い路地を奥に入った一角で今は公園になっています。もともとは武士の家系で祖父の代まで藤堂家の藩士でした。
小さい時に父の転勤で転居したので名張にはあまり足跡がありませんが、鳥羽造船所に勤めるなど三重県とは縁はけっこう深い作家です。鳥羽の離島から発想を得て「パノラマ島奇談」。鳥羽の後、上京し、団子坂上で兄弟三人と三人書房と名づけた古本屋を始めます。これが「D坂の殺人事件」となります。探偵文壇の大御所になってから生まれ故郷の名張を訪れています。
これが随筆「ふるさと発見記」になっています。
“私の生家の跡は、新町という大通りの裏手にあった。四間くらいの小さな借家だったという。家主は名張の城代の侍医で、その医院の裏に幾軒かの貸家が建っていた、その一つを父が借りたのである。”
名張にある造り酒屋・木屋正酒造から「幻影城」というお酒が出ています。

伊勢へ

伊勢商工会議所
IT窓口相談で伊勢商工会議所へ。
写真は伊勢商工会議所1階の様子です。たまには近鉄ではなくJRの「快速みえ」に乗って伊勢へ行こうとしたのが失敗。
津駅は定刻通りに出ましたが、高茶屋駅ー松阪駅間が強風のため減速運転となり、結局25分遅れで伊勢市へ到着。商工会議所横に新しくできた店でランチをと思っていたら時間ギリギリで、お昼はなしでした。(泣)
1食、抜いても全然やせませんが(笑)

関西とは鈴鹿関の西のこと

鈴鹿関
関西の語源は関の西側という意味。関というのは不破関(関ヶ原)、鈴鹿関、愛発関(弁慶の愛発超えで有名)の三関のことで関宿には鈴鹿関がありました。ですので鈴鹿関の東側にある四日市、桑名、名古屋は古代では関東でした。
鈴鹿関がどこにあったのか長らく謎でしたが「西の追分」(東海道と大和街道の分岐点)ちかくにある観音山麓から西城壁跡が見つかりました。観音山から城山を通って鈴鹿川まで長い城壁が続いていたようです。古代の関は江戸時代の箱根の関のようなイメージではなく、ずっと城壁が続き、現在の関宿をすっぽり囲んでいました。
→ 亀山市史(鈴鹿関の再現動画)
「壬申の乱」の大海人皇子の時代には関宿には鈴鹿郡家がありました。壬申の乱の後に鈴鹿関が整備されます。
大海人皇子は吉野から逃れて、鈴鹿郡家までたどりついたところで、ようやく東国に入ったと安心します。伊勢国司が応援に出迎え、近江軍に対抗するために鈴鹿の道を封鎖します。ここで合流したのが近江京を抜け出してきた大津皇子。後に持統天皇の謀略で謀反の疑いをかけられ二上山に葬られる、あの大津皇子です。当時は9歳ぐらいでしたのでお供がいたとしても大変だったでしょう。

江戸時代の宿場が残る関

関宿
日曜日、セミナー前に関宿を歩いてきました。
東海道53次の47番目の宿場町「関宿」は、まさに江戸時代のオープンセット。町屋が200棟以上も現存し、東海道で唯一、往時の町並みが残っています。中山道の奈良井宿も趣きありますが、関宿は規模が大きいですね。
東海道と大和道が分岐する西の追分から、東海道と伊勢別街道が分岐する東の追分までの約1.8kmに街並みが続きます。東の追分にある鳥居は20年に一度の式年遷宮の際に、内宮にある宇治橋の鳥居が新調されますが、それをリサイクルしたもの。もう一つの鳥居は桑名の七里の渡し跡にある鳥居にリサイクルされます。東の追分から伊勢別街道に入ると、そこから伊勢神宮の神域でした。
関宿を全部歩くと、けっこう時間がかかりそうだったので、関駅から西の追分まで歩きましたが、まあまあ距離がありました。
精一杯がんばることを「関の山」と言いますが、語源になっているのが関の山車。全盛期には16台ありましたが、現在は4台となっています。山車が壮麗で、これ以上は豪華にできなかったことと、山車をこれ以上、大きくすると道を巡行できなくなることから「関の山」という慣用句が生まれました。

織田信孝の首塚が関にあった

福蔵寺
織田信孝とは織田信長の三男。映画「清州会議」では坂東巳之助が演じていました。首塚が関にあるとは知りませんでした。
織田信孝は信長の伊勢攻めで鈴鹿近辺をおさめる神戸氏(関氏の一族)に養子にはいることになり、神戸信孝と名乗ります。信孝のお母さんは坂氏の出身で、坂氏は関氏の庶流、鹿伏兎氏の庶流にあたります。それで親戚筋にあたる神戸氏の養子に入ったんですね。
関西本線で亀山駅の隣が関駅で、次の駅が加太駅。鹿伏兎氏はこの加太駅周辺をおさめていました。すぐ近くを名阪国道が走っています。
織田信孝は信長が本能寺の変で倒れると、秀吉と組んで山崎の合戦を戦いいますが、清洲会議では甥の三法師に後継者が決定します。
織田信孝は岐阜城に入って、三法師の後見をすることになりますが、結局は秀吉とは敵対し、柴田勝家と組みすることになります。賤ヶ岳の戦いで柴田勝家が負けると、岐阜城を開城して秀吉に降伏。やがて秀吉によって自害させられ、首は関町の福蔵寺にもたらされ、ここで供養されました。
お墓は自害した知多の安養院にありますが、関に首塚があるとは知りませんでした。

日本最古の神社で神事

獅子岩
地元の中日新聞を見ると熊野市にある花の窟神社で縄掛け神事が行われたという記事が出ていました。
花の窟神社は熊野灘に面した海岸沿いにある神社で、ご神体は「いざなみのみこと」と「かぐつちのみこと」。神社に拝殿はありますが、ご神体はそびえたつ大きな岩になっていて、ほとんど崖。
日本書紀によると、火の神である「かぐつちのみこと」」を生むときに陰部を焼かれて「いざなみのみこと」が死んでしまいます。「いざなみのみこと」が埋葬されたのが熊野の有馬村。季節の花を供えて祭った岩屋なので、花の窟神社と呼ばれています。
夫の「いざなぎのみこと」は死んだ妻「いざなみのみこと」を追って、根の堅州国(ねのかたすくに)に行くのですが、変わりはてた妻の姿に逃げ出します。この時に逃げた道が黄泉比良坂で出雲にあると言われています。一説には、根の国は熊野にあったという説もあります。
熊野は神武東征の土地でもあり、古代から聖地ですね。最近はサッカーの聖地にもなっていますが。写真は熊野灘に面する獅子岩です。

増田氏城(伊賀)

増田氏城
上野市民病院がある丘の南端に増田氏城があります。民家の横を通って、少し登ると城の入口。写真は増田氏城の主郭から狭間城・北の城・城山城方面を見たところで、向こうに見える丘の端にあります。狭間城・北の城・城山城の後に増田氏城へも行ってきました。
増田氏城は、西郭、副郭、主郭、東郭からなっており、めちゃくちゃ大きなお城。郭を大きな土塁が巡っていて高さは10mもあり、なかなかの迫力があります。城の中の竹藪だらけで、さすがにスーツ姿では土塁にあがるのがやっと。郭の中に入るのはあきらめて土塁の上をずっとめぐっておりました。一角に墓があり、城を作ったと言われる増田氏の墓碑が見えます。詳細は不明で、これだけ大きな城を土豪一人で作れるわけもなく、伊賀の土豪が協力体制で作ったのでしょう。
伊賀天正の乱では伊賀軍が増田氏城にたてこもり信長軍との戦いになったようです。後で調べると、すぐ近くに中森氏城という小さな城があり、こっちは見逃してしまいました。機会を作って、また行かなければ。

近くなった熊野

さんま寿司
三重県産業支援センターの仕事で熊野へ。
まずは大阪から津へ出て、支援センターの車に乗せてもらって熊野へ。伊勢自動車道に乗って、勢和多気JCTから紀勢自動車道に入ります。2車線の高速道路ですが信号がないのではやいですね。
紀勢自動車道は紀伊長島まで開通していましたが、今年3月末に海山(尾鷲の手前)まで開通したので、尾鷲までずっと高速でいけるようになりました。尾鷲の街中は一般道ですが、街のはずれから熊野までも新しい道ができていますので実質的に津から熊野までほとんど高速でいけます。
以前は国道42号線しかなく、熊野古道にもなっている峠をいくつも超えなければなりませんでした。ですので津から車なら尾鷲まで3時間、熊野まで4時間ぐらい予想しないといけなかったのが、2時間強でいけるようになっています。もっともトンネルばっかりで、山の中を走るので、ほとんど景色は楽しめません。
写真は熊野市駅前にある喜楽で買ってきた「さんま寿司」。おいしくいただきました。