遣隋使と遣唐使

■日本書紀に記載されていない最初の遣隋使
最初の遣隋使派遣は600年で、無礼な国書を送ったと隋に評価されたため隋書には記録されていますが、日本書紀ではないこといなっています。(笑)これではまずいと冠位十二階、十七条憲法の制定など政治改革を行い、外交使節が迎えられる小墾田宮を造ります。

607年、小野妹子が有名な「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す」という国書をもって隋を訪問します。煬帝はおこりますが、ちょうど隋は高句麗と争っており日本を味方につけておかなければなりません。そこで隋は倭を「化外慕礼」の国として国交を開きました。「化外慕礼」の国とは中国の支配外だが中国の文化や商品を求めてやってくる国という意味です。

■揉み消した小野妹子
答礼として煬帝の勅使として裴世清が派遣され、小野妹子も一緒に戻りますが、煬帝から預かった返書を百済で盗まれてなくなってしまいました。まずいことが書いてあったので揉み消したのでしょう。

■Wスタンダードだった遣唐使
隋は長く続かず唐となったため、今度は遣唐使が派遣されます。隋と同様に遣唐使は中国に対する朝貢外交でしたが国内向けには対等外交ということにしていました。ですので唐から使節を派遣したいという話は必死で断っていました。つまりダブルスタンダード外交を展開していました。

丹波市駅

丹波市駅

奈良の古地図を見ていると丹波市駅を発見。まだ関西鉄道の頃ですね、現在の天理駅になります。大阪から丹波市駅へ行くには奈良駅経由となり時間がかかり、金額も高くなります。不便な点は今も同じですね。そこで途中の法隆寺駅で降りて徒歩で天理に向かう参拝客もいました。これは商売になると1915年(大正4年)に法隆寺駅から丹波市駅を結ぶ天理軽便鉄道が作られます。法隆寺駅から平端駅までがなくなり平端駅から天理駅までが現在の近鉄・天理線となります。

東の端には物部氏の武器庫だった石上神宮が見えています。昭和29年に市町村合併で天理市が誕生し、市名に宗教団体の名称が使われている唯一の市となります。

浮御堂

荒池

奈良の古地図を見ていると奈良ホテルの北に荒池があり、道路をはさんだ東側にも荒池が拡がっています。ちなみに奈良ホテルにあったのが鬼薗山城で、遺構は残っていません。東側の瑜伽神社裏側には西方院山城の一部が残っていて虎口や土塁を確認できます。この城は古市氏が築いたところ完成3日後に筒井氏に攻められ落城したと記録に残っています。

古地図を見ると東側の荒池の東側は畑になっていますが、今はここに鷺池があり、真ん中に浮御堂があります。檜皮葺き、六角形のお堂で、いかにも奈良という感じですが、あれって後から作ったんですね。調べると浮御堂ができたのは大正5年(1916)で奈良公園そのものは明治22年(1889)に整備されました。

大和西大寺駅

大和西大寺

近鉄の大和西大寺駅。難波と奈良を結ぶ奈良線と京都と橿原神宮を結ぶ橿原線が平面交差する鉄道ファンにはおなじみの駅です。

大日本帝国陸地測量部が発行した大正元年の奈良広域図を見ると駅は影も形もありません。近鉄の前身である大阪電気軌道が上本町と奈良の間に鉄道を通し、西大寺駅を開業するのは1914年(大正3年)です。地図が作られた頃は用地買収や線路の敷設をしていた頃でしょう。次に橿原神宮前までの畝傍線ができ、昭和になってから京都からの線と結ばれ、現在の橿原線となりました。

大和西大寺駅には路線の平面交差だけではなく、車庫まであるので線路を切り替えるポイントが41もある複雑怪奇な駅になっています。橿原線に乗ると西大寺駅のホームに入るまで握り棒などをしっかり持っていないと、数多くのポイントを渡っていく列車に体が翻弄されます。西大寺の北側には伎芸天で有名な秋篠寺があります。西大寺を出ると神功皇后陵の東側の山を通って京都へ向かいます。

暗越奈良街道

暗越奈良街道

大日本帝国陸地測量部が発行した大正元年の奈良広域図で尼辻あたりを見ると暗越奈良街道が記載されています。難波から生駒山地の暗峠を越えて平城京に至る街道で、尼辻を過ぎて坂を下れば朱雀門はすぐ先です。

■垂仁天皇陵
尼辻の西側に近鉄橿原線からよく見える垂仁天皇陵がありますが、地図を見ると天皇陵に沿った路が暗越奈良街道になっています。Googleマップでは上側のまっすぐな道が暗越奈良街道になっていて、どっちが正しいのでしょう。

さらに西に向かうと途中で2つの道は合流しています。垂仁天皇陵は古墳時代初め(5世紀初め)に造られていますので古墳を周遊する道が本来の暗越奈良街道である可能性が大です。

■倍塚はフェークニュース
垂仁天皇陵といえば湖の中に田道間守の倍塚があることで有名です。田道間守は垂任天皇の命令で常世の国へ行き、10年かかって「非時(ときじく)の香菓(かぐのみ)」を探し出してきました。ところが既に天皇は亡くなっており、田道間守も自殺し、この倍塚に葬られます。ところが元禄年間の山稜図にこの倍塚は出てこず、幕末の尊王思想が高まった時に古墳を取り巻く堤の一部を、それらしく島に改変した説が有力です。オイオイ!

ちなみに垂仁天皇の娘が倭姫命で伊勢神宮を今の場所に定めた人物です。また甥の日本武尊に草薙剣を与えています。

朱雀門

朱雀門

■朱雀門
平城京の正門が朱雀門で、ここから南の羅城門まで朱雀大路がのびています。平城京には12の門がありましたが、「天子南面す」が基本でしたので南の朱雀門が一番、重要な門になります。現在の朱雀門は1998年に復元され、休日に近鉄電車に乗ると「右手に平城京の朱雀門が左手には大極殿が見えます」とアナウンスされます。

藤原京などでは大伴氏が守っていたため大伴門とも呼ばれていましたが、714年に南方を守護する朱雀の名を冠した朱雀門になりました。外国使節は羅城門をくぐる決まりがありましたので、朱雀大路を進んで朱雀門に至り門前で歓迎会が開催されました。平城京ですが、「へい・じょう」は漢音、呉音の組み合わせでありえず、本当は「ヘイ・ゼイ」か「ヒョウ・ジョウ」のいずれかで呼んでいたはずです。

■SDGs
当時は資材が貴重でしたので、基本的に再利用です。藤原京から平城京遷都となった時、使える瓦は平城京に運ばれ再利用されました。平城京用に新規で焼いた瓦は黒っぽくなっていて、色で平城京の瓦か藤原京の瓦か見分けられます。

大極殿は中心となる建物なので全部新調されました。現在、平城京跡に大極殿と朱雀門が復元されていますが、大極殿には平城京で新調された黒っぽい瓦、朱雀門には藤原京の瓦が使われたことから白っぽい瓦で復元されています。

大極門・東楼

大極門

平城宮・大極殿の正門が大極門です。扁額に大極門と書かれていますが、門の名前は分かっていません。第一次大極殿院では大極門の横に東楼と西楼があり、遠くから見ると門が3つ並んでいるようにみえます。平城京が造られた頃は大極門だけでしたが、730年頃に回廊を改造して、左右対称の楼を作り、豪華に見せるように工夫したようです。

楼の2階は屋根付きのオープンテラスのような構造になっており聖武天皇が楼の上で宴会をしたという記録がありますので、宴会場として使ったのでしょう。東を見ると若草山、東大寺が見えるし、西は西大寺、生駒山が見え、塔以外に高い建物はないので平城京が一望できたでしょう。東楼ができあがるのは2026年頃のようです。

朱雀大路の延伸

平城京の朱雀門前に幅90mで220mにわたって朱雀大路が再現されていますが、大宮通りで途切れています。その先に住友化学の工場があったのですが、なくなって三条通りまで空地になっています。おお朱雀大路が伸びそうだなと調べてみると、公園が造られる計画だそうで、うまくいくと朱雀大路が三条通りまで延伸されるようです。

朱雀大路

平城京があった頃は、ここから4km先の羅城門までつながっていました。羅城門で出迎えた外国の使節は、この朱雀大路を通り、平城宮へ入りました。朱雀大路が延伸する三条通りは暗峠奈良街道と交差しており西に行けば鶴橋で東は興福寺につながっています。

天平祭り

天平祭り開催中の平城京跡へ

天平祭り

朱雀門近くで、いろいろとイベントをやっており、屋台も出ていました。天平祭りなので平城京にあった西市・東市の雰囲気になっています。と言っても売っているのはビールや焼きそばなどふつうの物です。天平衣装の貸出もしていて、天平人が海上のアチコチを歩いておりました。

頭塔

ファイティング・コンサルタンツ研究会という、創建時の崇高な思いはどこへやら、単なる飲み会組織に変貌した集団です。前回、山の辺の道の途中で断念したので、そのリベンジのために近鉄・奈良駅の行基像前に集合。とりあえず昼飯ということで、高速餅つきで有名な中谷堂のすぐ近くにある和食ダイニング拓というお店へ。小さなオチョコ100円でお酒が飲めるお店です。風の森などお酒が豊富なので、いろいろと試していると必然的に宴会に。奈良駅からJR柳本駅まで出て、山の辺の道リベンジのはずが、1時間に1本しかない列車の発車時間は過ぎ去ってしまいます。

ということで目的地を変更。東向商店街は観光客とインバウンドで一杯でしたので、そのまま餅飲殿商店街を南下して奈良町へ。奈良町もそこそこの人出なので元興寺の塔跡や大乗院庭園など、人がいない所を狙って散策。そのまま新薬師寺を目指すと、途中の頭塔で特別公開をしていました。ラッキー。

頭塔

■頭塔
奈良時代に東大寺の僧が国家安泰を祈って築いた土塔でピラミッドになっています。よく似た塔が堺の深井にある土塔です。茨城県にも土塔森林公園という所があるので、他にあった可能性もありますが、復元されてみることができるのは2つだけですね。