バッタモノの能見神社

バッタモノシリーズです。高槻城のすぐ近くに野見神社がありました。

能見神社
能見神社

まさかと思ったら祭神は野見宿禰でした。野見宿禰といえば垂仁天皇の命により当麻蹴速と相撲をして勝ち、土師氏の祖となった人物です。高槻といえば継体天皇陵といわれる今城塚古墳があるので埴輪の拠点だったのでしょう。

ただ調べると野見神社は、もともとは疫病対策の神社で須佐之男命を祀っていた牛頭天王社でした。明治になってから野見宿禰命を合祀して野見神社になります。理由は式内社に野見神社があり場所が分かっていないので、式内・野見神社になろうというもので、つまりフェークです。式内社は同じ高槻市内にある上宮天満宮摂社「野身神社」ではないかと言われています。

ところで式内社って分かりますよね。延長5年(927年)にまとめられた延喜式神名帳に記載された神社のことで、社格が高い神社です。

お茶屋御殿

枚方市駅から超ひらパー兄さん(岡田准一)で有名な枚方公園駅へ向かう時、京阪電車は大きくカーブしながら丘の横を通ります。この丘の上にあるのが御茶屋御殿跡展望広場公園。眼下には京阪電車と京街道、淀川、高槻の街が見えます。

お茶屋御殿
お茶屋御殿

枚方城・城主の本多政康は秀吉に従いましたが、秀吉は本多政康の娘である乙御前を側室にします。まあ側室が20人近くいて女好きで有名な秀吉ですからねえ。文禄四年(1595)に乙御前のために丘の上にお茶屋御殿を建てました。

秀吉が死んだあと、大坂夏の陣で本多政康は討死し、枚方城は廃城になります。ただ御茶屋御殿は残っていたようで、徳川秀忠の宿泊施設として改装されました。その後、延宝七年(1679)に起きた枚方宿の火災で焼失したと伝えられます。

御茶屋御殿は枚方城跡とは小さな谷を隔てたと高台にあち、出城を造るにはもってこいの位置ですね。

全員集合が閉店

中央線堺筋本町駅改札口から徒歩5歩の立地にある「全員集合」。リーズナブルなこともあり大阪府中小企業診断協会の行きつけの店になっていて、夜飲みに行くと診断士との遭遇率がめちゃくちゃ高いお店です。知的生産の技術研究会・関西のセミナー後にもよく利用していました。

全員集合
全員集合

来週で閉店することを知り、びっくり。さっそくランチを食べに行き、おばちゃんに挨拶。コロナの影響でランチはいいのですが夜はさっぱりなんで、歳もとったし閉店することにしたとのこと。

14時から居酒屋になるし、店を出て5歩歩いて階段を降りたら、すぐ地下鉄に乗れるお店だったのに残念。お店は8/21(金)までやっています。

大きな黄色いアヒル

大きな黄色いアヒルが天満橋に来ているというので八軒家浜船着場に行ってきました。

ラバーダック
ラバーダック

ラバー・ダックです。あいかわらず剽軽な表情でプカプカと大川に浮かんでいます。展示されているのは8/31(月)までだそうです。高さは9.5メートルあり、作ったのはオランダのアーティストフロレンティン・ホフマン。世界中を旅してセーヌ川などでプカプカしています。2015年に中之島(バラ園)で見て以来ですね。あいかわらずでかいですねえ。

ジャンクション萌え

都市部で用地確保するのが大変なため大阪では外堀(東横堀川)の上に高速道路を通したり、道の上に高速道路を作ったり複雑怪奇なことになっています。西梅田ではビルの中を高速道路がぶち抜いているところがあります。

阪神高速
阪神高速

複雑な高速道路が構成されたことから、特にインバウンドでジャンクション萌えとして注目されていて、写真集もあるんですねえ。そういえば大昔、スタニスワフ・レムの小説『ソラリスの陽のもとに』を映画化した『惑星ソラリス』の冒頭に未来都市として東京の高速道路が出ていました。50年も前からジャンクション萌えだったんですね。

大阪城公園駐車場

大阪府よろず支援拠点での仕事が終わると、大阪城の六番櫓を眺めながら森ノ宮駅まで歩いて帰っています。

大阪城公園駐車場
大阪城公園駐車場

大阪城公園にある大型バス向け駐車場横を通るのですが、あれほどたくさん停まっていたバスの姿はなく、コンクリートの間から草が生えている状況になっていました。インバウンド客が戻るのははるか先になりそうです。

夏越の祓

令和2年も前半がまもなく終了。

夏越の祓
夏越の祓

ということで枚岡神社へ夏越の祓に。例年は6/30の法要が終わってから茅の輪くぐりができるのですが、新型コロナの影響か、もう通れるようになっていました。

枚岡神社はしっかりマーケティングをしており、夏越の祓と大祓(年末)前には案内、人形(ひとがた)、振込用紙などの祓いセット、きっちり届きます。郵送もできるシステムになっていますが、いつも神社へ納めに行っています。

今年は新型コロナの影響もあるので、夏越の祓をする人が増えるかもしれません。

生国魂神社・行宮

大阪府よろず支援拠点は堺筋本町の大阪産業創造館にあり、朝は谷四で降りて生国魂神社・行宮にお参りしてから向かっています。行宮といいながら本殿と隣には稲荷神社もある立派な神社です。「商売繁盛」を祈願しています(笑)。

生国魂神社・行宮
生国魂神社・行宮

行宮から、ちょっと歩いた大阪城内には御旅所があります。本殿は上六近くにあり大阪では「いくたまさん」と呼ばれています。祭神は生島神(いくしまのかみ)、足島神(たるしまのかみ)で日本国土の神さんです。

なんで谷町周辺に行宮と御旅所があるのか不思議だったのですが行宮は明治始めに氏子が土地を奉納して行宮が作られたようです。御旅所は昭和の初めに大阪城公園を整備する時に造られました。今は碑だけが残っています。「いくたまさん」は元々、御旅所があった所にありましたが秀吉が大坂城を造る時、上六近くの現在の場所に移しました。

北御堂、南御堂

大阪府よろず支援拠点は以前、マイドームおおさか7階にあり、江戸時代、西町奉行所があった所です。昨年、東横堀川(秀吉が造った堀跡)を渡ったところにある大阪産業創造館2階に移転しました。

大坂
大坂

江戸時代、大阪産業創造館には何があったかなと古地図を確認すると秀吉が作った船場の町ですね。ちょっと前の大坂の陣では中村重勝の陣があった所で本町橋を渡って塙団右衛門に夜襲をかけられて中村重勝も討死しています。

■御堂筋の北御堂、南御堂
ずっと西を見ると西本願寺御堂、東本願寺御堂という文字が見えます。そうです御堂筋に今もある北御堂(本願寺津村別院)と南御堂(真宗大谷派難波別院)です。

本願寺は10年以上、織田信長と戦い、最後は信長と和解します。本願寺は紀伊鷺の森に移り、その後、貝塚に移ります、秀吉の時代に大坂天満に移ったあと京都に移ります。また一向宗にはトラウマがある家康によって西本願寺と東本願寺に分けられました。

やがて大阪の門徒たちが中心になって作った集会所を元に北御堂ができます。同じように大谷派も難波に造り、これが南御堂となりました。

男はつらいよの舞台 石切参道商店街

石切神社
石切神社

「男はつらいよ」と言っても贋作の方です。

コテコテの大阪弁の寅さんが登場し、舞台は石切神社の石切参道商店街にある老舗の甘味処「くるまや」。お団子を出していますが、実際の商店街では一軒だけしか出していません。しかも「みたらし団子」です。

ドラマでは石切駅から参道のいろんな場所が映るので、なかなか楽しめます。石切参道商店街では本当の寅さんでもロケ地になっています。

散歩コースなんで今日も石切参道商店街を通ってきましたが、テレビの告知も何もなくあっさりとしたものでした。贋作「「男はつらいよ」は今日が最終回です。