横小路(東高野街道)

街道をゆく 東高野街道

京都から高野山への参詣道として用いられた街道で、河内国にはいると北から南までまっすぐな道で少し微高地になっています。近鉄の安堂駅から枚岡まで3時間ほど歩きましたが、真っすぐな道です。

横小路(東高野街道)
横小路(東高野街道)

江戸時代、大和川の付け替えが行われるまで東高野街道のすぐ西側を大和川が流れていましたので、軍勢はこの街道を通るしかなく戦の舞台となりました。南北朝時代の四条畷の合戦が有名です。大坂夏の陣では京都から東高野街道を南下する徳川軍に向けて若江に出陣したのが若い木村重成です。大河ドラマ「真田丸」では白石隼也が演じていました。

対峙したのが藤堂高虎、井伊直孝です。東高野街道の西は湿地帯だったのですが、この横小路は生駒山から古道になっていて若江につながっていましたので、木村重成は、この道を狙ったかもしれません。藤堂軍の右翼を破りましたが井伊軍との戦闘の末に戦死します。この横小路をまっすぐ西に行くと木村重成のお墓があります。

727の看板

727の看板
727の看板

新幹線から見える謎の看板「727」。よくテレビ番組などで話題になっています。727の正体は株式会社セブンツーセブンという化粧品や健康食品を製造、販売している会社。なんでも創業者が7月27日生まれだったのでセブンツーセブンという社名になったそうです。

本社工場があるのが大阪の柏原市で近鉄・安堂駅のすぐ近くにあり、端から「727」の看板がよく見えます。727は化粧品メーカですが、販路は美容室専売品なので、縁なき衆生でごぞいます。

暗越奈良街道

街道をゆくシリーズ「暗越(くらがりごえ)奈良街道」

二軒茶屋
二軒茶屋

大阪環状線・玉造駅近くにあったのが二軒茶屋跡が起点で、ここから生駒山を暗峠で越えて奈良へ至る道です。もともとは難波と平城京を結ぶ道が元になっています。二軒茶屋跡から生駒山の麓の枚岡まで歩いてみましたが3時間弱というところですね。

当時の集落を通っていきますので玉造からいきなり南へ行って今里、深江、御厨、菱江、松原宿、枚岡と巡っていきます。けっこう複雑なんですがGoogleマップに街道が表示されるのと、ところどころ道標があるので迷うことはありません。

古河大阪ビル

SRA関西支社は堂島グランドビルにありましたが、分室が古河大阪ビルにあり、こちらにいることが多かったですね。堂島グランドビルから信号を渡ってサントリービルの裏側(西側)にありました。地下街入口が古河大阪ビルの手前にあったので、雨の日はビル入口から10メートルほど走って地下街入口にたどりついていました。

古河大阪ビル
古河大阪ビル

堂島グランドビルのついでに古河大阪ビルを見に行ったら更地になっていました。なんでも地上40階建てのタワマン&ホテルが建つそうです。そういえばサントリーの隣にあった堂島ホテルもなくなってしまいました。

古河大阪ビルは地下1階に郵便局もあり便利でしたね。ただ古いビルなので冬は寒い。システム作りで徹夜していた頃、あまりの寒さからリスト用紙を体に巻いてみましたが、なんの保温効果もないことを発見した頃でもありました。

堂島グランドビル

こう見えても若い時があり、新入社員で入ったのがSRA関西支社というITベンダー。堂島グランドビルにありました。久しぶりに前を通ったら建て替えか、リニューアルするのか1階を覆っていて中には入れませんでした。

堂島グランドビル
堂島グランドビル

当時は上新庄に住んでいたので阪急梅田駅で降りて地下街に入り、1kmほど歩いて地下から堂島グランドビルに入っていました。雨に濡れずに行けるのは便利でしたね。堂島グランドビルには富士通なども入っていたためか1階のオーム社の本屋は理数系の専門書が充実していました。雑誌「bit」と「UNIX MAGAZINE」を毎号買っていたなあ。同じ1階には第一勧業銀行があり、すぐ銀行に行けて便利。地下には紅茶の名店ムジカもありましたね。

IBM大阪事業所

IBM大阪事業所跡
IBM大阪事業所跡

本町・靭公園近くにあったのがIBM大阪事業所。久しぶりに前を通ったら地上36階のタワマンに変わっていました。堺筋本町の帝人本社もタワマンになったし、マンションだらけですねえ。IBM大阪事業所は中ノ島に移転したそうです。

40年ほど前、IBMへほとんど出向する形で仕事をしていた時期があり、IBM大阪事業所にもよく行っておりました。新しいMVS(OS)をシステム導入しても大丈夫かどうか、テスト用汎用機にお客さんの環境を設定しテストしていました。1フロアを丸々借りてIBMのSEと50台ほどの端末を使ったテストなどを深夜によくやってました。考えてみたら今のパソコンに入っているハードディスクよりも容量が小さいウィンチェスター・ディスクです。磁気テープなんて見たことない人が多いでしょうね。

おやぢの会

「おやぢの会」という面妖な会があり、コロナ禍で久しくやっていなかったのですが北新地の海藤花 (かいとうげ)で開催。北新地なんて、ほんまに久しぶりです。街を浴衣姿で歩いている人も多く、ちょうど、なにわ淀川花火大会が3年ぶりに実施される日だったんですね。

まずは古希を迎えるメンバーの祝福から始まった「おやぢの会」ですが、メンバーは変わりませんので、どんどん高齢化しています(笑)

海藤花は堂島アバンザの裏手の2階の、ちょっとわかりくい所にあります。昨夜は鱧ずくしで、いろいろな食べ方でハモを堪能できました。やっぱり関西の夏はハモですねえ。最初に出てきたナメロウと鱧鍋後の雑炊は絶品でした。

カーニバルプラザ

日経新聞夕刊(8/23)関西タイムラインに「カーニバルプラザって何?」という記事が

カーニバルプラザ、懐かしいですなあ。江坂駅近くにあるお店でちょくちょく行っていました。700席もある大型レストランで名物はシーフードエリアのカニでした。時間になると楽器隊が演奏して回る趣向があり、にぎやかなお店でしたね。記事によるとオープンは1983年12月とあります。

その前に梅田あたりに小さなお店がなかったかなあ。ここは時間になると店員による合唱がありました。声楽をやっているアルバイトばかりを採用していたようで、なかなかレベルが高かった記憶があります。「今度、江坂にお店ができるんです」と聞いて江坂店に行った記憶がありますが、なんせ昔の話なんで記憶違いかもしれません。

記事によると最盛期には市川市、金沢市、福岡市など6店舗を展開したそうで、1991年11月に近鉄ハーツ(東大阪)がオープンした時は中核施設として出店していました。なんせ店内にメリーゴーランドがあり、子供が小さい時によく行っていました。運営元はダスキンだったんですね。2007年に閉店となりました。

IMPビル

京橋でお仕事だったので帰りは久しぶりにOBP(大阪ビジネスパーク)へ。大阪砲兵工廠があったところで小松左京の「日本アパッチ族」の舞台となったところです。今は再開発され超高層ビル群と公園で構成されています。TWIN21ビルのすぐ横にあるのがIMPビルで上に貸し会議室があり、20年ほど前、ITコーディネータのケースケース会場として使っていたので、よく来ていました。懐かしいな~。

IMPビル
IMPビル

IMPビルの隣には読売テレビのビルができていてコナンの銅像もありました。そうそう団扇をもった女性がたくさんいて、大阪城ホールでキンプリのコンサートだったんですねえ。その後、ITコーディネータの研修会場は梅田スカイビルに移り、最後は松屋町のUHA味覚糖ビルとなりました。

大阪歴史博物館

久しぶりに谷四にある大阪歴史博物館へ

大阪歴史博物館
大阪歴史博物館

一番上の展示場が難波京大極殿をモチーフにしていて朱塗りの柱が原寸大に復元され、官人が整列しています。以前は暗いなか、上のスクリーンに長安から新羅、難波京への旅が映し出され、難波京大極殿前に整列した官人の前で左大臣である橘諸兄が聖武天皇による遷都の詔を読み上げるシーンで終わります。大極殿を俯瞰する映像に変わって現代の姿にだんだんと変貌すると、前方の窓が全部開きます。そして現在の難波京跡が俯瞰できるという粋な演出になっていました。

とってもダイナミックだったんですが、開閉動作を続けるのは保守が大変ということもあり、現在は開けっ放しになっていて映像を流しています。